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#8


 さっきまで雨に濡れていたイフ・タワーは、人工月の光を浴びてまるで何事もなかったかのように輝いている。

 灯りの消えたイフ社のラボでは、冷凍保存されたルナのカプセルだけがうっすらと周囲を照らしている。

 アルファはカプセルに手を置き、か細い声で呟いた。


〈西波ルナ、彼女は一体何ものなんでしょうか〉


 アルファはルナの心が分からなかった。

 憧れの存在でも敵わなかった恐ろしい相手を前に、自らを危険に晒し、助けようとしてくれたことが。

 バックアップデータにある人間の行動パターンを検索しても、ルナに当てはまるものはなかった。彼女は人智を超えたとでもいうのか。


 ルナの死――あそこまで無理をしなければ、それは起こることがなかった。

 裏を返せば、自分がホークスをすぐに倒していれば彼女は死なずに済んだ。

 アルファは、人類を救済するという使命を果たせなかった現実を否応なしに突きつけられたのだ。


 そんな無力を感じるAI少女に、優しく手を差し伸べる存在があった。


「君が気に病むことはない。仕方なかったんだ」


 沖永レイ。

 アルファの生みの親であり、常に助言を与えてきた存在。

 彼女に優しい言葉をかけるのは、今は彼しかなかった。


〈マスター、以前私はAIだから落ち込むことはないと言いました。それならこの気持ちはなんなんでしょうか?〉


「心じゃないかな」


〈心……ですか〉


「君は西波ルナという一人の少女に心を学んだんだ。それは俺たちのようなどんなに偉い科学者でも出来ないことだ」


〈……そうですか。ですが、その恩を西波ルナに返すことは出来ません。私に心を授けてくれた彼女はもうこの世にいないのですから〉


 アルファの言葉に沖永は黙って頷いた。

 その時、沖永は何か思いついたのかハッとした顔をする。

 それは口にするのも憚れるような恐ろしいことだった。だが彼は恐る恐る言葉を発した。


「俺から君に提案がある。自分でも突拍子がないと思うが聞いてくれるかい?」


〈はい、マスター〉



 イフ社の社員更衣室に来たアルファ。ナノマスクとナノスーツを生成すると、それを機械の身体の上から被った。


カーテンで仕切られた更衣室に衣擦れのような音が響く。機械の身体のシルエットが次第に人間の少女のものへと変わっていく。


 カーテンがゆっくりと開けられる。

 そこにいたのはセーラー服を着た西波ルナだった。

 さっきまでAIだったことが信じられないくらいに、上から下まで彼女と瓜二つであった。


 これが沖永からの提案だった。

 数分前、二人の間でこのような会話があったのだ。


「アルファ、これから君は西波ルナとして生きていく。彼女の人生を引き継ぐことで、君は彼女の大切な人達に何かを与えていくんだ」


 少し驚いたように見えるアルファに沖永は真剣な顔で続けた。


「ナノマスクとつい先日開発したばかりのナノスーツとボイスチェンジャーがあれば、彼女の見た目と声になれる。それに君の分析力があれば日常的な西波ルナの喋り方や癖、行動を行うことは可能なはずだ」


〈えぇ、理論上では可能ですが〉


「どうしたのかい? 何か心配なことでもあるのか?」


〈私はイフ社の最重要プロジェクトです。そんな私がいなくなれば社内は混乱に陥ります〉


「それに関しては大丈夫だ。俺がアルファは、極秘プロジェクトに当たって貰ってるから忙しいとか適当に誤魔化しておくよ。時々社内に顔を出してくれれば問題ない」


〈分かりました。ではマスター、さっそく準備に当たらせてもらいます〉


 アルファは沖永に頭を下げると、ワープゲートへと歩いて行った。




〈西波ルナ、私があなたの意志を引き継ぎます〉


 静かな朝焼けが照らす、西波家の家の前まで来たアルファ。意を決して、喉の辺りを触れる。


「あー……あー」


 可愛いらしいルナの声になったアルファ。ボイスチェンジャーの効果によるものだ。


 玄関前の指紋認証コードに触れると、扉が開く。

 ゆっくりと玄関へと入る。

 ここからアルファの女子高生西波ルナの人生が始まるのだ。

 アルファは顔を上げ、ルナとしての第一声を発した。


「ただいま」


――――――


AlーPHA

Ver.0.0「AFH計画」


――――――

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