イフ・アカデミア。三英町にあるイフ社が運営する有名私立高校。世界的企業イフ社の未来の社員を育成するための学校である。
たった今この学校の二年生クラスでは三者面談が行われていた。
窓から差し込んでくる人工太陽の日差しに照らされた教室。そこには教師、そして母親と対峙しているルナがいた。
「西波さん、進路を変えたいってどういうことですか?」
堅物そうな女教師は電子タブレットの進路希望調査のページを広げ、二人の親子に見えるようにする。そこには「未定」とだけ記されていた。昨日までルナは「イフ看護大学」と記入していたが、直前になって書き換えてしまったのだ。
名前を呼ばれたルナは頬を膨らませながら言った。
「どうもこうもないよ! ボクは看護師になる気はないから」
「嘘でしょ……ずっとママと同じイフ社の看護師になるって頑張ってきたじゃない! それをどうして急に……」
横から母親が信じられないといった顔で愕然とする。年齢よりも若く見える母の表情には疲労の色が濃く浮かんでおり、問題児である娘に日頃から手を焼いていることが見てとれた。
「それはママが押し付けてただけじゃん」
フンと言わんばかりにルナはそう言い返した。こうなってしまっては言い合いになるのがいつものパターンだ。
「でもあなたも納得してたでしょう?」
「そうだけど今はそうじゃないもん!」
「イフ社の社員にならなかったら学費免除もしてもらえないのよ。その分あなたに払ってもらうわよ!」
「それは脅し? 本当大人げないんですけど」
「何? 親に向かってその口の聞き方は?」
もはや言い合いではなく口喧嘩になってしまい、痺れを切らした教師が、
「お二人とも落ち着いて」
と嗜める。
ルナと母は恥ずかしくなり、お互いに頭を下げた。
「今は喧嘩するよりも、建設的に話し合いましょう。では西波さん、他の進路は考えておられるんですか?」
教師は少し心配したような顔をしながら聞いた。
「ボクの未来……」
さっきまでの勢いとは裏腹に言葉に詰まるルナ。
『あなたはヒーローになれるわ』
そんな彼女の脳裏にまた今朝の夢のヒーローが浮かんだ。
もし今妥協した将来を選んだところで、あのヒーローに顔向け出来るのだろうか。
「西波さん、西波さん、どうされましたか?」
その時、教師の声でルナは我に帰る。
心配そうにルナの顔を覗き込む教師。隣には呆れたように溜息を吐く母。
「ひゃあ! 何でもないっ!」
どうしてこんな時に。恥ずかしくなるルナ。変な妄想を振り払おうと、子犬のようにふるふると首を振った。
何を考えているか分からないルナに心配になった教師は聞いた。
「考えてないなら、とりあえず大学に行ってみてそれから考えるのはどうですか?」
「そうよ! そうしましょ! 大人になれば言う通りにして良かったって必ず思うから」
母もそれに同調する。その方が親からしたら都合がいいからだ。
ルナは何も言わずに首を振ったが、母は娘の顔を見てはいなかった。
教師も問題児を早くあしらおうとばかりに、
「ではその方向でよろしいですか?」
と言った。
「えぇ。お願いします」
母は立ち上がりながら頭を下げる。
「やめて」
その時ルナは小さく呟いた。
「今回はウチの娘のワガママで振り回してすいませんでした」
「いえいえ。こういう時期の子にはよくあることですから」
しかしその小さな声は届いてないのか、話はルナが大学に行く話で纏まりかけている。自分を置き去りにして勝手に話を進めていく大人たちをルナは許せなかった。
「やめてよ!」
ルナは語気を荒げて言った。辺りが一瞬で静まり返る。
その目は普段のルナの可愛らしい印象からかけ離れた強気な態度だった。
「ルナ……」
母は目を丸くした。
「もう二人してボクを追い詰めないでよ!」
いよいよわけがわからないとばかり、ルナは逃げるように出口へと向かう。
「ちょっと西波さん!」
「ルナ!」
ルナを呼び止める教師と母の声が静まり返った教室に虚しく響いた。
教室を飛び出したルナは自動ドアを通り、VR図書室に来た。するとそこには同級生の糸杉ハルが読書をしていた。
ルナとハルは自他共に認める親友同士。ハルは少しキツい性格も相まってどこか近寄りがたい雰囲気があるが、変わりものであるルナとは馬が合うのだ。
自動ドアの音でルナに気づいたハル。
「どうしたのルナ?」
VRゴーグルを外すと、気品がある顔が露わになる。彼女は、今にも泣きそうな親友を前にキョトンとしていた。
「ハル〜!!」
ルナはハルの顔を見ると一目散に彼女の胸に抱きついた。
「ちょっとちょっと! 一体何があったって言うの? もー鼻水くらい噛みなさいよ!」
悪態をつきながらも優しくルナを介抱するハル。大人達に散々いじめられたルナにとって、この温もりだけが救いだった。
校内の自販機前に移動した二人。
ルナはハルに奢ってもらったエナジードリンクを飲みながら、三者面談での出来事を話した。
「なるほどね〜。相変わらずルナの親って縛りがキツいわね。毒親じゃん」
事情を聞いたハルは苦笑いをしながらズバッと言ってみせた。
「そうなんだよ! もうやんなっちゃう!」
ルナはそう言って、ヤケ酒を飲むかの勢いでグビグビとドリンクを口にする。
「気持ち分かるわー。あたしも将来はウチの会社の後を継がなきゃだしね。そういう意味ではルナと同じ境遇って言えるのかしら」
ハルはイフ社の社長の娘。他に兄弟がいないため、後継者は彼女が最有力と見られている。
「そっか……イフ社の社長の娘となるとボクより大変そう」
ハルはその言葉に一瞬曇った顔になる。だがすぐに笑顔で取り繕いこう言った。
「あたしのことはいいの。それより今はルナの問題」
ハルはさっきまで飲んでいた空のコップをゴミ箱に捨てる。小さなワープゲートに消えたコップを見つめながら、ハルは聞いた。
「将来のことを真剣に考えるなんてルナらしくないね。何かきっかけがあったんでしょ?」
「......ないよ」
目を泳がせながらそう呟くルナ。いくら親友であっても、ヒーローの夢のことを言えるわけがない。どうせ笑われるのが関の山だ。
しかし、ハルは訝しげな顔で疑いの声を向けた。
「嘘、さっき一瞬間があった。あたしに嘘をつくなんてしばくわよ!」
拳で殴るポーズを見せるハル。ルナはそれにあわあわとしてしまう。
「わ、分かったってば、話すよ! 絶対笑わない?」
「笑わないに決まってるじゃない。何年親友やってると思ってんのよ」
ハルは安心しなさいとばかりに、ルナの肩に手を置いた。
「よしっ!!」
ルナは腰に手を当て、残っていたドリンクを全て飲み干す。そして意を決して打ち明ける。
「今日さ......小さい頃の夢を見たんだ。パパが亡くなってから、葬儀の日にボクは一人で泣いていた。そんな時にずっと好きだったヒーロー、シャイニングラブがボクのことを励ましてくれた。「あなたは大丈夫。あなたの未来は希望で満ちている」って。そしてボクらは夢の話もした。ボクがヒーローになりたいって言ったら、こう言ってくれた。「あなたはヒーローになれるわ。願いつづけてればきっとね」って」
「そう、いい思い出ね。小さい頃、ヒーローが好きだったってルナ言ってたもんね」
「うん。だから目が覚めた時ボクは思ったんだ。このまま大人が敷いたレールを歩いた所で、あの頃の子供だった自分が誇りに思えるのかなって」
どこか遠い目をしながらルナは笑った。そしてハルに誤解されないように、こう付け加えた。
「別にさすがに本物のヒーローになりたいなんて幼稚なことは考えてないからね」
「なるほど、大体分かったわ」
こほんと一つ咳払いをしつつ、ハルは意見を述べた。
「夢に幼稚も成熟もないわ。もしもあんたの夢が幼稚だって笑う奴がいるのなら、そいつの方がよっぽど幼稚よ」
「ハル、ありがとう。でもボクには特別な力があるわけじゃないし、さすがにヒーローにはなれないよ」
ルナはわかりやすくうなだれ、ベンチにもたれかかった。
その時、ハルは何か名案を思いついたのか、ニヤリと笑って言った。
「そうだルナ! 特撮ヒロインになってみれば?」
「もーいきなり何ー?」
「あんた顔も可愛いし、結構人気出るわよ」
ハルはルナの顔をまじまじと見つめながら言った。
ルナが可愛い、それは事実だ。ルナは、イフアカデミアの黒のセーラー服を着こなせる長身の少女。長い黒髪が背中まで伸びていて、人気女性アイドルのようだ。抜群のスタイルと可愛らしい顔立ちを備え、男女問わずクラスのみんなに好かれている。
「そ、そうかなぁ。まぁボクが可愛いのは認めるけどねー」
満更でもない顔でふふんと笑ってみせるルナ。褒められて少しいつもの元気を取り戻したようだ。
「オーディション受けてみれば? 近々この三英町でもやるらしいわよ」
「えー、ボクなんかが受かるわけないよ。そもそも演技なんてやったことないし」
ルナの反論を受け、ハルは呆れたように溜息をつく。
「あんたバカァ? 最近のドラマの役者は演技の上手さよりも、顔の良さが全てなのよ」
「本当にそうかな? ボクが子供の頃に見たヒーローは本物にしか見えなかったけど」
「ルナって本当可愛いわね」
「もしかして馬鹿にしてる?」
「あらあらごめんなさいね」
他愛のない少女同士のやり取り。もはや真剣に悩みを相談する空気ではなくなっていた。
(やっぱりヒーローになりたい気持ちなんておかしいよね……)
明るく笑顔で取り繕ってはみたものの心の中でルナはモヤモヤが渦巻いていた。
●
家に帰ってきたルナは自室の押し入れを漁っていた。そこから子供の頃に使っていたおもちゃ箱を取り出し、ゆっくりと箱を開けた。
「うわぁぁ、懐かしいなぁ」
思わずルナは感傷的な気持ちで呟いた。
塗装が剥がれたソフビ人形、読み漁ってボロボロになったコミック本、装飾品が取れた変身コスチュームセット。埃を被っているがどれもルナにとっては思い出の品々だ。
ルナはその中にある紙を手に取る。幼稚園の頃に書いた七夕の短冊だった。
"しゃいにんぐらぶになれますように"
拙い文字で書かれた純粋な想いに頬を赤らめた。
短冊の願いはあの頃の思い出を鮮明に呼び覚まさせる。ヒーローになりたいと夢見ていた頃の自分を。
●
ヒーローは、現実の世界にも存在する。
幼い頃のルナは本気でそう信じていた。
なぜなら、シャイニングラブがそう教えてくれたからだ。
「偽善だっていいじゃないか」
画面に映るヒーロー、シャイニングラブと同じコスチュームを着たルナは舌足らずの声で言う。どんなに自分の正義を否定されても、この言葉で必ず立ち上がる。何度も繰り返し観たその姿はルナの憧れだった。
シャイニングラブというのは、当時流行っていた特撮テレビシリーズだ。偶然ヒーローの力を手に入れた女子高生、輝ヒデミが、学校生活や家族の問題とリアルな悩みを持ちながらもヒーローとして活躍する青春群像劇である。
この作品の大ヒットでシリーズ化され、現在まで一三作作られているような超名作だ。
「ヒーローは諦めない。それはいつの時代だってそうよ」
父親が連れて行ってくれたヒーローショーが、シャイニングラブとルナの出会いだった。強いだけではなく、優しさを併せ持ったヒーロー。ルナは一目見た瞬間に、この番組の虜になった。父は売れない俳優でほとんど稼ぎがなく、看護師である母に頼りきりで家計は苦しかった。
それでもルナは父を恨んでないどころか、大好きだった。
たまに時間のある時は、ヒーローごっこに付き合ってくれていたからだ。シャイニングラブ役をするルナに、父は悪役を喜んで買ってでてくれた。役者なはずなのに悪役らしい恐ろしさはない、その時のギャップがルナはとても好きだったのだ。
「ルナはほんとにヒーローが好きなんだな」
そう語る、いまは亡き父の優しい笑顔を、ルナははっきりと覚えている。
ごっこ遊びだけでは物足りないのが子供のさがなのかルナは、おもちゃ屋で変身コスチュームや武器をおねだりするようになった。
親は無理をしてでも彼女におもちゃを買い与えると、こうして暇さえあればなりきり遊びをしていた。
「シャイニング•アーク!!」
変身コスチュームを身に纏い、おもちゃの弓を使って遊ぶルナ。
まだシャイニングラブのように不思議な力は使えないけれど、いつか大人になれば、きっと自分にも力が覚醒する。本気でヒーローになって活躍できると信じていた。
そんなことはないと思い知るのは、それからすぐのことだった。
いつからか、ルナの両親は喧嘩をするようになった。
当時のルナにはよく理解できてなかったのだが、俳優である父親に、母親が「私たちの生活より夢の方が大事なのか」というようなことを言い始めたことがきっかけだった。
気が弱かったルナはそんな喧嘩をただ見ていることしか出来なかった。
それから数ヶ月もしないうちに父が亡くなる。
後から知った話によると、死因は火事の家から子供を助けようとしたせいだ。
結局助けられずに、子供もろとも焼かれてしまい死体すら残らなかった。
葬式でのシャイニングラブとの出会いを機にルナはヒーローへの憧れがより一層強くなった。七夕の短冊に願い事を書いたのもその頃だった。だが、それも長くは続かない。
小学校に入ったばかりの時に、クラスの男子にヒーローが好きなことを話すと、「あれは作りものだ」、「もうあんな幼稚いもんみてないよ」と笑われた。そこから周りにヒーロー好きを隠すようになった。
数年後、小学校も高学年に上がったのを機に、母からの「ルナもお姉さんなんだからヒーローは卒業しなきゃね」と言う言葉が決め手となり、ルナはヒーロー番組を見なくなった。
今思えば、葬式の日に会ったヒーローは、自分が悲しみのあまりに産み出した想像だった気がする。
あの頃は自分が幼すぎたあまりに、そうすることで自分を慰めることしか出来なかったのだ。
シャイニングラブは実在しない。
ヒーローは空想、現実は現実。
切り分けて考えなければ。
そしてルナは、ヒーローの憧れを捨てた。
●
夕食時、ルナは改めて看護師になる気はないことを母と話し合おうと思った。
ところがいざ夕食が始まって母を前にすると、緊張で鼓動が高まり、話を切り出せないまま時間が過ぎた。三者面談であんな修羅場になったあとでは気まづくて仕方ない。
いつもは食いしん坊なルナも箸が進まず、最後の一口のご飯をようやく口に含む。これを食べ終わったら、勇気を出して話そうと決心した時、母の方が唐突に口火を切った。
「イフ看護大学の見学に申し込んどいたから」
母はまるで明日の天気は雨よと言わんばかりにさらっと言った。
「ママ! どうして勝手なことするの!」
ルナは椅子から立ち上がると激昂した。そんなルナを「いいから座りなさい」と落ち着かせる。
「三者面談をほっぽりだした罰よ。今まででも親の管理が行き届いてると思ったけど、まだ足りてないみたいね。これからはママがルナを正しい道に導いてあげるから安心しなさい」
母がキッパリと言った。
「へー。ママの言いなりになってなりたくもない看護師になるのが正しい道なんだー。ねぇ、パパはどう思う?」
ルナはわざとらしく父の遺影に向けて話しかけた。こうすることで少しでも母の嫌がらせをしたかったからだ。
しかし母はそんなことに意に返さず、反論した。
「パパももちろん正しいと言ってくれるわ。パパはやりたいことをやって、ママや小さかったルナに迷惑をかけていた。大切な娘には同じ道は辿って欲しくないはずよ」
「それはママの想像じゃん。勝手に代弁しないで」
「じゃあ看護師の他にやりたいことはあるの? 但し将来の見通しが立てられるものに限るからね」
「それは……」
また言葉に詰まるルナ。母にヒーローの夢を見た話をしたところで逆効果なのは明白。だからといってもっとマシな言い訳が思いつくほどルナの頭は良くなかった。
「やっぱりないんじゃない。ルナはまだ子供なんだから、ママの言う通りにしてればいいのよ」
母は小さな子供にするかのように、ルナの頭を優しく撫でた。
「ボク子供じゃないもん! もう高校生だよ!」
ルナは自分が着ているセーラー服をこれみよがしに見せつけながら言った。
「まだ高校生でしょ。ママからしたら全然大人じゃないわ」
「絶対行かないもん! 鎖に繋がれたって逃げてやる!」
ルナは吐き捨てるようにそう言うと、二階の自分の部屋へ逃げ込んだ。
「待ちなさい!」
母は階段を登っていき、ルナの後を追いかける。
「ついてこないでよ!」
ルナはバタンと扉を閉め、部屋に指紋認証で鍵を掛けて母が入ってこれないようにする。
母は強い口調で言った。
「ルナ! またそうやって拗ねていい加減にしなさい!」
「うるさい! 一人にして!」
ルナは扉に向けてぬいぐるみを投げつける。ドスンという空虚な音が響く。
一瞬母は怯んだが、厳しい声を崩さずに説得を試みる。
「ルナ、あなたは今将来に不安でどうしていいか分からないんじゃないの?」
さすがに母のこの訴えにはルナも思うところあったのか、黙って耳を傾けていた。
母は扉の向こうの娘に向け、さらに訴えかけた。
「あなたはきっかけがあればきっと変われるはず。いつきっかけがあるか分からないから若いうちは行動するべきよ」
とうとう諦めたルナは不満げな顔で返した。
「分かったよ……行けばいいんでしょ。話が終わったんなら、どっか行ってよ」
「言ったからにはちゃんと守りなさいよ」
母はそう言って部屋を後にした。
「そんな簡単にきっかけなんて訪れるわけないよ......」
一人取り残されたルナは複雑な表情で扉の方に吐き出すように言った。
一方食卓に戻った母は食器を片付けている。
「あの子ったらまた好き嫌いしてる……。どうしてこうワガママに育っちゃったのかしら」
皿に残った野菜を見ながら呆れた顔をしていた。
つづく