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#3


 イフ・タワーの駐車場に一台の車が停まる。

 車の自動ドアが開くと、沖永に続いて、大人っぽい女性が出てきた。

 白いカーディガンに花柄のワンピース、茶色のハイヒールとどれも高級そうな服装に身を包み、清楚系メイクが施された美しい女性だった。


「もしかして緊張してます?」


 タワーまでの道のりを足早に歩きながら女性は言う。

 沖永は困惑したような苦笑いを浮かべた。


「緊張? まさか俺がするわけないだろ」


「失礼しました。暑くもないのに少し汗をかかれてましたので。どうかお忘れください」


「そりゃそうさ。いつだって俺は強い人間なんだぜ」


 沖永はやれやれというように額に手をあて、首を振った。


 沖永と秘書は首からぶら下げた認証パスでイフ・タワーに入る。

 タワーの中は圧巻だった。三英町の中でも一段と近未来感があり、ここだけ何百年も科学が進歩しているようだった。

 受付の前を通ると、係の女性に「おかえりなさいませ」と声をかけられた。


「おつかれ、そういえばもう例の会議って始まってる?」


 沖永は慣れた口調で軽く言った。


「いえ、沖永博士が来るまでお待ちいただいておりましたよ。糸杉社長のご配慮ですって」


「助かるよ」


「沖永博士、こちらの方は?」


 沖永の隣にいる見知らぬ女性の方に目をやりながら受付の女性は尋ねた。


「あぁ、今日から入った俺の新しい秘書だよ」


 ほら挨拶してと沖永が促すと、「初めまして」と秘書が丁寧に一礼した。


「そうですか。念の為イフ社のデータベースで調べさせてもらいますね」


 沖永博士を信用してないわけじゃないんですよ。受付の女性は申し訳ない顔をして付け加えた。


「構わないよ。最近何かと物騒だからな」


 受付の女性は慣れた手つきでタブレットを操作する。秘書は女性に気づかれないように、こっそりと目を金色に光らせる。すると先ほどまでなかったデータベースに新たなデータが書き加えられた。


"西波ルナ、25歳、女性、イフカルフォルニア大学卒"


 受付の女性はデータを確認するとにっこりと笑みを浮かべた。


「はい、問題ありません。IDを発行しますね」


 受付の女性はアルファにIDカードを手渡す。

アルファがIDを持つと、空白だった証明写真の枠にルナの写真が浮き上がり、記名欄には「西波ルナ」「沖永博士の秘書」と文字が刻まれた。レベルを表す星の数は七つ。その星の数によってイフ社の機密事項を知れるかどうかということらしい。


「会議は五十五階です。行ってらっしゃいませ」


 受付の女性に通された二人はエレベーターに乗った。

 誰もいないことを確認すると、沖永が肩の荷が降りたのか口を開いた。


「上出来だよ、アルファ」


「ありがとうございます、マスター」


 アルファは美しい女性の顔で微笑む。彼女は、女子高生の格好では目立つからと、イフ・タワーに入る前に服装を変えメイクをしていたのだ。


「こうして見ると、パッと見ルナって分からないな。本当に綺麗だ」


 アルファを頭からつま先まで見ながら感心したように沖永は言った。

 セーラー服の可愛らしい女子高生だった西波ルナの姿が、ここまで大人っぽい女性に化けたことが信じられないようだ。彼女が20代半ばのOLだと騙してもきっと疑うものはいないだろう。


「えぇ、西波ルナの顔のバランスはとても整っています」


「せっかく褒めたのに素っ気ないなぁ」


 人間は外見を評価されれば喜ぶという感情がある。アルファは自分の中にインプットしておくことにした。


 エレベーターは二十三、二十四、二十五と、階数表示が滑らかに移りかわっていく。目的の階までに着くにはまだ時間がある。アルファはふと疑問に思ったことを沖永に聞いた。


「マスター、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「何だい?」


「なぜタワーに入る際に、別人の顔になるように指示なさらなかったんですか? データによると、ここは西波ルナの行動範囲ではないようですけど」


「それは俺たちの後を誰かが追っていたからだよ」


 沖永は静かに言った。


 その頃、イフ・タワーのセキリティゲートの前では一悶着が起きていた。ゾロゾロと集まった警備ロボットに対してハルが通せんぼうされていた。


〈ハルお嬢様申し訳ありません。ここを通すわけには行きません〉


 感情のない合成音声で警告するロボット。マジックアームのような腕でハルの小さな肩を鷲掴みにする。


「あたしは社長の娘よ! どうして入れてくれないの?」


 かなり憤慨した様子でハルは問いただす。

 しかしロボットたちは負けじと詰め寄ると、ブザー音を鳴らしながら言い返した。


〈いまから大事な会議が行われます。関係者以外立ち入りを許されておりません。もちろんハルお嬢様もです。これは糸杉社長のご命令なのです〉


 またお父様が、なんで? ハルはこの場に膝から崩れ落ちてしまった。

 人口生命体の事件の時も似たような目にあった。被害現場にいるであろうルナの安否を知ろうと、現場に向かおうとしたら警備ドローンに足止めされた。もしあの時ルナに出会えていたら、彼女はあそこまで変わってなかったかもしれないと思うと悔やんでも悔やみ切れなかった。



 イフ社の会議室では沖永を始めとした重役たちの緊急会議の真っ最中だった。

 糸杉社長の席だけがポッカリと空き、ノートPCに"I"とデカデカと記された画面が表示されている。


「我々解剖班がホークスの遺体を調べた結果。その細胞がナノマシンで作られていたことが分かりました」


「ナノマシン? まさかどこかの組織が我が社の製品を模倣して犯罪に利用したのか?」


「いいえ……それは我が社のナノテク、トワイライトとは全く違う。いや、人類が到底及つかないぐらいに精巧なものだったんです」


「じゃあ宇宙人がやったとでもいうのか? 私はそんなマンガみたいなことは聞きたくないね」


「まだそこについては不明です……」


「不明って随分いい加減だな」


「人口生命体はアルファが倒した。問題は解決。それでいいじゃないか」


「そうだ。そうだ。こんなことよりももっと我が社の利益になるようなことを話し合うべきだよ」


 重役たちが口々に不満を漏らす中、解剖班の男が


「事態は解決なんかしてません!」


と机を叩きながら言った。


「事態は解決なんかしてないんです……。私たちは一つ見過ごしてはならない事実を知ってしまったのです」


 解剖班の男は青ざめた表情をしながら言葉を振り絞った。ホークスの遺体の中にほんの一部だけ、水中生物の鱗を模したナノテクが付着していたんです。鳥類が一部分だけ魚類の身体をしているなんてあり得ない。きっと同じナノテクの人口生命体が争ったなどした可能性が高いです。


 解剖班の男がそこまで言い終わるか終わらないうちに、アルファが挙手をした。


「あの、私の方からも」


「いきなりなんだね? 見たことない顔だ」


 アルファの言葉を遮り、ハゲ頭の男が言った。明らかに警戒している。


 ハゲ男の表情を読み取ったアルファはすぐさま頭を下げた。AIは人を傷つけないよう行動をするようにプログラミングされているからだ。


「申し遅れました。本日付けで沖永博士の秘書を務めることになった西波ルナです。もちろん私の権限はここにいるみなさまと同じレベル7です」


 胸元のIDを指差しながらアルファは説明するが、ハゲ男の顔は顰めっ面のままだ。


「うちの秘書がごめんなさい。でも彼女の話を聞いてあげてください。事態は一刻を争うんです」


 すかさず沖永が物おじせずにフォローした。


「沖永くんがそこまで言うなら彼女は信頼できる人間なのかもしれない。でも私は今日この会社に来たばかりの人の話を信じるのは難しいな」


 周りを見回すとハゲ男の言葉に重役のほとんどがうんうんと頷いていた。

 美人秘書の正体がアルファだと知らないものたちからしたら当然の反応だ。だがAIは人間ほど地位が高くない。もしアルファのままならこの会議に参加すらさせてもらえなかっただろう。


 その時だった。この日初めて糸杉社長が口を開いた。PCを通して穏やかな声がした。その瞬間会議室が一瞬でしんと静まり返る。社長の一挙一動に注目が注がれた。


「ねぇ君、せっかくお嬢さんが勇気振り絞って何か言おうとしてるんだ。それを新参者って理由だけで無碍にしちゃ可哀想だよ。さぁ遠慮なく話しなさい」


「ですが……」


 ハゲ男は聞こえるか聞こえない声でそう言ったが、周りの幹部たちの視線を感じ黙りこくった。糸杉社長の影響力はそれだけ凄まじいものなのだ。


 アルファはハイヒールをコツコツ鳴らしながら前に躍り出る。もしも彼女が人間ならこのような緊迫した空気に耐えられなかっただろうが、AIであるため緊張とは無縁だった。


 出来るだけ他人事を装いつつアルファは説明した。


「実は私は沖永博士の秘書の傍ら、アルファのお世話係も任されておりまして......先日のアルファがホークスと戦った際に聞いたんですが、ホークスの左足には出現時以前に負傷した形跡があったそうです。魚の鱗のようなナノテクも間違いなくその時のものでしょう」


「なるほど。まるで動植物の種類のように人口生命体も様々な姿を持っているってわけか」


「じゃあ我々が気づかなかっただけでこの地球中にあんなでっかい化け物がうじゃうじゃいるのか?」


「こうは考えられないでしょうか?始めは実際の生物と同等のサイズだったものが、何かの影響で急に大きくなった。ホークスの近隣では急に電気機器が使えなくなったことももしかしたらそのことと関係しているのではないかと私は推測しています」


「ほほーう……うむうむ。西波くん、秘書にしてはなかなかの分析力があるじゃないか。まるでアルファみたいだ」


「お褒めに預かり光栄です」


「よし、人口生命体の正体も掴めて来たし、今後の方針を伝えよう。イフ社の力を総動員して魚型の人口生命体を捜索し、巨大化する前に奴を殺処分することを目標にしよう」


 一同に糸杉社長が呼びかけると、幹部たちは口々に「やりましょう」と気合いを入れた。


「さっそく沖永くんたちは戦闘プログラムのデータをアルファに早急に組み込んでくれたまえ」


 しかし糸杉社長の指示に沖永からの返事はなかった。

 心配したようにアルファが彼の顔を覗き込んでいる。沖永の表情はどこか迷いがあるようだった。


「どうしたのかい? 何か気に入らないことでもあるのかい?」


 Iという画面がじっと沖永を見つめている気がした。

 しばし沈黙が流れたが、とうとう沖永は自分の心を押し殺すように言った。


「……いえ、了解しました」



 会議室には糸杉社長と繋がったパソコンと沖永だけが残っていた。糸杉社長は何か言いたげだった沖永と二人きりで話す時間を設けたのだ。

 いつも自信に満ち溢れたハンサムな男と掛け離れ、明らかになにかに怯えている弱々しい沖永の姿がそこにはあった。


「あの場所ではああいうしかありませんでしたが、正直に言わせてもらいます。俺はアルファに戦闘用プログラムを組み込むことは反対です」


「ほう。アルファは昨日のホークスとの闘いであれだけの力を見せつけた。戦闘用に改造すれば以前よりも効率良く人口生命体を駆除出来るはずだよ。賢い君なら分かるだろ?」


「アルファは医療用AIであって軍事兵器ではありません。このままアルファはずっと戦い続けるなんてことはないでしょうね?」


「どうしたんだい。ホークスの時とは随分と違った態度じゃないか」


「あの時はアルファの新たな可能性に興奮しちゃっただけです。しかし……またこんなことになるとは思ってなかった」


「人口生命体に対抗できる存在が今はアルファしかいないんだ。仕方ないだろう?」


「仕方ないですか……糸杉さんズルいですよ……」


「でも実際そうだからね。だけど自衛隊も指を咥えて見ているわけじゃない。人口生命体の攻撃をすり抜けない兵器の開発に取り組ませている。私もそのための協力は惜しまないつもりだよ」


「その言葉を聞けて安心しました」


「そりゃあ良かった。君を不安にさせてしまってすまなかったね」


「俺も恩人であるあなたに対して失礼な真似をしてすいません。人口生命体のせいで残された時間が減るんじゃないかと気が気じゃなくて」


「大丈夫だよ。その気持ちよく分かるよ。君も私も同じ痛みを持つもの同士だからね」


「糸杉さん、これからもよろしくお願いします」


「あぁ、君と私とで人類の新たなステージのために頑張ろう」



 ハルは糸杉家の屋敷には帰らずに、街の片隅にある三英霊園に来ていた。近未来に似つかわしくない石造りの墓石たちがずらっと並んでいる。ここだけがまるで時間が止まったかのように唯一古風な場所となっていた。

 イフタワーが数百年後なら三英霊園は昭和の光景だった。


 ハルはこの場所に眠っている母親に会いに来ていた。

 墓石の前で手を合わせ、心の中で話しかける。返事は返ってくることはないが、それだけでも気が休まった。


 しばし後、背後から誰かが呼ぶ声がした。

 後ろを振り返ると、手を振るルナの母の姿が見えた。

 ハルは小走りに近づいていく。


「お久しぶりです、ルナのお母様」


 ハルはルナの母の顔を見て、小さく安堵した。

 誰にも言えない悩みを背負ってこんなとこまで来て、一人で正直寂しかったのだ。


「まさかこんなとこで会うなんて、奇遇ですよね」


「実はうちの夫の墓がここにあって、時々こうしてあの人に会いに来てるの」


 にこやかに話してはいるが、ルナの母のその顔にはしっかりと最愛の人を亡くした悲しみが刻まれていた。


「あたしもです。何か悩み事がある度にお母様に話を聞いてもらってるんですよ」


 そう言った瞬間、ハルはしまったという顔をした。こんな言い方をすれば自分が今まさにそうだって言ってるもんじゃないか。親友の母親に自分の娘のことで悩んでるなんて言ったらきっと彼女を困らせるだけだろう。


「悩み事……? ハルちゃん何か悩みでもあるの?」


 案の定予想していた返答にハルはたじろいだ。


「えぇ……別に大したことじゃないんです」


と心配させないように嘘をつく。しかしルナの母はなんでもお見通しなのかハルの顔を伺いながら尋ねた。


「本当? おばさん全然話聞くよ。もしかしてだけどルナのこと?」


「えっ? なんで分かったんですか?」


 ハルの眉毛が持ち上がる。


「昨日帰って来てからあの子の様子がなんか変だったの。どうやら私の思い過ごしじゃなかったようね。詳しく聞かせてくれない?」


「……分かりました。少し長くなるけどいいですか?」


 観念したかのようにハルはそう答えた。ルナの母だって自分の娘の異変を心配している。状況が進展するのなら、ルナのことを話す方が良さそうだ。



 イフタワーのラボで、沖永のラボチームによるアルファの戦闘用アップデートが行われている。アルファは診察台の上に寝かされ、両腕には緑色に発光した何本ものケーブルが繋がれていた。


「名だたる格闘家たちの動きをデータに組み込んでおきました」


「相手の行動パターンを検知してバッドパターンを回避させることも可能です」


 メンバーは忙しい表情をしながら、沖永に報告する。


「少しアルファと話したい。数分だけ二人きりにしてもらえるかな」


 沖永はメンバーたちに頼む。

 メンバーたちは少し驚いた顔をしながらも、「了解しました」と言い残し、ゾロゾロとラボを後にした。

 誰もいなくなると沖永は作業の手を止めて、アルファに歩み寄った。そして懐からスマホを取り出し、アルファに見せた。


「このアプリを使うことで君はルナからアルファの姿に一瞬で戻れる。逆にルナの姿に変装することもね」


「マスター、これは素晴らしい。これがあればナノスーツの着脱の手間が省けます」


 改造したルナのスマホを手渡す沖永にアルファは感心した。そんな彼女に沖永は申し訳なさそうな声を漏らした。


「アルファ、俺たち人間の勝手な都合で戦闘用に改造なんてしてすまなかった」


「マスター、気に病まないでください。私は人間の役に立てるのならどんな形でも喜ばしいことですよ」


「それは君の本心かい? それともAIのシステムがそう言わせてるのかい?」


「さぁ、どちらでしょうね」


 小首を傾げるアルファ。その角度がAIロボットの顔なのに微笑んでいるかのようだった。

 沖永は作業に戻る際に言い残したことがあるのか、振り返って言った。その顔は真剣そのものだ。


「アルファ、一度だけしか言わないからよく聞くんだ」


 何でしょう? そう言いたげな顔でアルファは沖永の目を真っ直ぐ見据える。


「アルファ、君は人間の身体だけではなく心を救うAIだ。そのことを忘れないでくれ」


 それだけ言い残し、とぼとぼと戻っていく沖永の背中はどこか寂しそうだった。


つづく

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