アルファの二つの丸い瞳が温かな光を宿す。
その光がライトのように空き教室全体を照らすと、たちまち3Dホログラムで部屋が変わっていく。
そこはイフ•タワーのラボの一室だった。
アルファはこの場所を別の場所のリアルタイムの映像に置き換えたようだ。
〈マスター。定期連絡のお時間です〉
ルナとは対照的な冷静な女性の声でアルファは言った。ルナに成りすましている時はボイスチェンジャーで声を変えており、こちらが本来の声のようだ。
するとホログラムの部屋から、白衣を着た若い男がいた。
沖永レイ。そのお洒落な金髪に端正な顔立ちはとても研究者のようには見えない。
だが彼こそが、アルファの開発者本人なのだ。
沖永はアルファの姿を見た途端、
「アルファ、ダメじゃないか。こんなとこで変装解いちゃ」
と慌てた様子で言った。
〈マスターに失礼かと思って〉
「いやいや、バレるリスクは少しでも減らした方がいい」
〈以後気をつけます〉
アルファは床に落ちたナノスーツを拾うと、それに身を包み再びルナに変装した。
その間、沖永は偶然娘の裸を見てしまった父親みたいな仕草で後ろを向いていた。
人間の考えというものを理解するにはまだまだ実践経験が少ないアルファ。時々彼女のAIプログラムは少々的外れな行動を行ってしまうようだ。
気を取り直した沖永は、一つ咳払いをして本題を切り出した。
「さてと経過報告を聞かせてもらおうか」
「現段階では西波ルナとしての日常を滞りなく過ごせております」
冷静な口調ではあるが、再びルナの可愛らしい声でアルファは言った。
「それは良かった。さすがのAIでも別人になりすますなんて無理があるんじゃないか心配だったんだよ」
「マスター、ご安心ください。私はあなたが造り上げた最高のAIです」
「あぁもちろん信頼してるよ」
沖永が安心した表情を見せたのも束の間、アルファは真顔で言った。
「ですが一つだけ問題が」
「問題?」
「糸杉ハルのことです。私は彼女との会話でミスをしてしまいました。このままでは私が西波ルナではないと気付かれる可能性は60%です」
「それは心配だな……ハルはイフ社の社長の娘、もちろんアルファのこともよく知っている。もしかしたら今いるルナがアルファだと疑い始めてるかもしれないな」
「マスター、心配には及びません。既に対策は用意しておりますので」
ペコリと頭を下げたアルファは通信を切った。
アルファの目の光が人間の目に戻ると、ホログラムはサラサラと消えていった。
●
教室の自分の席に戻ろうとしたアルファ。
その時、教卓の前にいた担任の堅物そうな女教師に「西波さん」と呼び止められた。
「先生、何でしょうか?」
「自分でも分かってるでしょ、西波さん。進路希望調査そろそろ出してくれませんか? 提出期限はもうとっくに過ぎてるのに出してないのはあなただけですよ」
またもやアルファにとって、何のことだか分からないことを言われてしまった。だが同じ失敗は繰り返すまいと、今度は知っているふりをすることにした。
「すいませんでした。自分なりに色々考えてて今日まで時間がかかってしまいました。今日中に必ず提出します」
「分かりました。くれぐれもお願いしますからね」
そう言い捨てると、担任は次の授業のため教室を出て行った。アルファは、その後ろ姿に礼儀正しくお辞儀をしていた。
そのやり取りを監視するように見ていたハル。彼女は今日の親友の姿がさらに不気味に感じられて仕方なかった。
そんなことも知るよしもなかったアルファは、背筋を綺麗に正し自分の席に座わるのだった。
アルファは、自らのAI機能を使って、最もルナらしい進路を導き出すことにした。
"ボクはあなたみたいになりたかった"
これは死に際にルナが放った言葉だ。
それを元に参照すると、アルファが医療用AIであること、ルナが以前イフ看護大学の見学にも来ていたこと、母親が看護師であること、その三つのデータから一つの答えが導き出された。
ーー"看護師"。
それがルナがなりたかったものだ。
アルファはさっそくタブレットを起動。進路希望調査のページを開き、第一希望にイフ看護大学と記入し、送信ボタンを押した。
(これで西波ルナの果たせなかった夢を叶える手助けが出来ましたね)
アルファは満足げな顔でうんうんと頷くのであった。
●
その日、学校生活でもアルファはルナらしい行動を勤めるように努力した。
座学の授業では、当てられたらわざと間違えた答えを言う。クラスメイトの雑談には、男女分け隔てなく話しかけ可愛らしい笑顔を振りまく。持久走の授業では、目立たないように去年のルナの速度で走る……等々。
「ルナってこんなに走っても全然汗かかないんだね」とクラスメイトに言われたりもしたが、対してこちらのことを疑っているわけではなさそうだった。
一時はどうなることかと思ったが、なりすまし作戦は順調に進んでいた。
昼休み、カフェテラスでハルと昼食を取る。
アルファはルナのような食いしん坊少女を演じて、大盛りのカツ丼を頬張る。
AIであるアルファには、味覚という機能は備わっていない。だが、生前のルナにとってはこれが幸せな時間の一つだったのかもしれないと思い、頑張って美味しそうに振る舞った。
一方、向かい合わせに座っている親友は何処か元気が無さそうだった。
最高級カニ料理を一口も手をつけず、アルファの顔を見たかと思えば目を逸らしてを繰り返していた。
「ハル、食べないの?」
「た……たべるわよ」
ハルは深々と息を吐いて、すっかり手が止まっていた料理に箸を伸ばした。だがその表情が上の空なのには変わりなかった。
しばし無言が続いたのち、アルファはポツリと言った。
「もしかして朝のこと怒ってる?」
「怒ってない。でも、今日のルナは何か気持ち悪いわ……」
「気持ち悪いって……酷いなぁ、もう」
アルファは、屈託のない笑顔で取り繕う。
ハルはアルファのことを"気持ち悪い"と言っている。もしかしたらその"気持ち悪い"という違和感から、目の前の存在が偽物のルナだともう既に判断している可能性だってある。
一向も早くルナらしい行動を見せなければ大変だ。
アルファはAI機能でルナの行動パターンを検索した。
そんな中で、ハルは口を開いた。
「つい最近までルナって、何の目標もなかったじゃない。それがアルファと出会ったことで新しい夢を見つけた。そりゃああんたには不器用なところや、自分が見えてないところがあるから失敗することもある。でも……そんなあんたをあたしは羨ましいと思ってたんだよ。あたしにはイフ社の跡を継ぐって未来が決まってるから。それなのにルナ……どうしちゃったの……」
「う〜ん。それよりこのカニおいしいね」
アルファはハルが長く喋ってる時に勝手に彼女のカニに手をつけていた。それも硬い殻のまま直に、バリバリと食べている。
とぼけたアルファの反応に、ハルの心配はどんどんと怒りに変わっていく。また失敗だったようだ。
「とぼけないでよ! これを見なさい!」
ハルはタブレットを取り出すと、あるページを開いてバンと叩きつけた。近くにいた生徒たちが何事かと一瞬こちらを見る視線を感じるが、すぐに目を逸らし気にしてないふりをする。
タブレットには、アルファが今朝提出したはずのルナの進路希望調査が表示されていた。
"イフ看護大学"と記入された文字をハルは親の仇かってくらいに睨みつけている。アルファがAIとして導き出した進路がまさか間違いだったとでもいうのか。
ーどうしてハルがこんなこと知っているのか?
そう言いたげな表情のアルファにハルはピシャリと言い放つ。
「本当はダメなんだけど、あれから気になってウチの社員にルナが提出した進路希望調査を調べてもらったわ」
少し間を置いて、ハルは問いただす。
「単刀直入に聞くわ。あんたはどうしてこの進路を選んだの?」
「それは看護師になるためだよ」
何の迷いもなくサラリと答えたアルファにハルは自分の耳を疑った。
「え……?」
「聞こえなかった? ボク、看護師になるよ」
「は......ちょっと何言ってんのよ?! あんたの夢は......!」
そう言いかけたハルをよそに、「ごちそうさまでした〜」と手を合わせ、空の茶碗を持ってアルファは席を立つ。
一人残されたハルは、一体昨日何があったのよ、と頭の中が混乱するのだった。
●
放課後。
人工太陽が沈みつつある学校の校門前に、一台の車が停まっている。
アルファはその扉を開き、運転席でタブレットで仕事をしている人間に声をかけた。
「マスター、こちらにいらっしゃってたんですね」
「あぁ。いきなりすまないな」
沖永だ。本来ならイフ社のラボにいるはずの彼がいるということは何か特別な用事があるのだろうか。
アルファが助手席に乗り込んだのを確認すると、沖永は車を発進させた。
ハルは、その様子を遠くから見ていた。
会話までは遠すぎて聞き取れない。だが、ルナが沖永の車に乗ったことはこの目ではっきりと見た。このイフ社のメカニック主任の男とルナは大学見学の時に一度会ったきりのはずだ。もしかしてこの男のせいでルナが変わってしまったとでもいうのか。
ハルは急いでタクシーを呼びつけると、「すいません、あの車の後をつけてください」と頼んだ。
一方、イフ・タワーに向け車を走らせていた沖永は、自動運転のスイッチに切り替え、本題を切り出した。
「役員を集めての緊急会議がイフ社で行われることになった。君も参加してくれ」
「分かりました」
「人工生命体の件で信じられないことが分かってね……」
「……信じられないことですか」
「……あぁ、驚かないで聞いてくれ」
沖永は不安げな顔でゴクリと唾を飲み込む。アルファが女子高生になりすましているので大変な最中に、一体何があったというのだろうか。
「人工生命体がホークスの一体ではないことが判明した」
昨日取り戻したはずの平和な日常。
それが束の間のものだったことを告げるものだった。
つづく