人気の無い安全な路地裏に二人は避難していた。
ルナが落ち着いたのを確認すると、ボーイッシュ少女は自分の手を差し出しながら言った。
「私、薄井モコです。あなたは?」
「西波ルナ……」
「じゃあルナちゃんって呼ばせてもらいますね」
ルナは弱々しい笑顔で手を握り返す。
「あったかい手……」
その握られた手は恐怖で震えていたルナの心を温めた。
その時、ルナは握っていた右腕に激痛が走った。「うっ!」と呻き声をあげる。
「どうしたんです? ちょっと見せてください!」
モコが慌ててルナのセーラー服の袖を捲る。すると右腕からボタボタと血が流れていた。
「すごい血……、どうして言ってくれなかったんですか?」
「ごめん、逃げるのに必死で気づかなかったよ」
おそらく駅で転んだ時に怪我したのだろう。未確認生物のせいでそれどころではなかったのだ。
「ちょっと待ってください」
モコはポケットからハンカチを取り出す。そして手際よくハンカチを包帯代わりにしてルナの腕に巻きつけた。
「……ありがとう」
「いいえ、私は何も大したことしてないですよ」
「他にどっか痛むところとかないですか?」
「......な、ないよ。全然大丈夫」
強がるように言ってみせるルナ。本当は背中のあたりが少し違和感があるが、痛いってレベルではない。モコには黙っておくことにした。
「薄井さんってすごいな。電車で妊婦さんに席を譲ってあげた時からこの子はなんか違うって思ってたけど......」
「え、私のこと知ってたんですか?」
「うん。たまたまこの前電車で見かけたんだ」
「私は困っている人がいたら絶対に通り過ぎたくないって決めてるんです」
モコはキッパリと言ってみせた。その目は強い自信の色がうかがえる。
自分はどんなに頑張っても出来ない人助け、それをいとも簡単にやってのけるモコの心構えを前にルナの気持ちはさらに落ち込んでしまう。
ルナは溢れそうになる涙を堪えながら、空を見上げた。
人工太陽が故障したのか、ぽつりぽつりと小雨が降り始めた。
「今日は雨の日じゃないのに……」
「早くどっか中に入りましょう」
「うん」
「この近くに病院があったはずです。そこに向かいましょう」
二人は雨に濡れながら、路地裏を抜けて街に出た。
●
一方、イフ社のラボでも未確認生物の件で大騒ぎになっていた。
電磁スクリーンのニュース映像を確認する一同。
画面にはあちらこちらから煙が上る焼け焦げた廃墟都市が映し出されていた。所々が赤く輝いているのは、火災が起こっているのだろうか。
その中心には四十メートルを超えた未確認生物の姿が映し出され、大きな咆哮をあげている。
これ以上の被害はなんとしても避けようと、自衛隊の戦闘機がミサイルや銃弾を放っている。しかし、そのどれもが未確認生物の身体をことごとくすり抜けていた。
「日本政府はこの未確認生物を鷹に酷似してることから"ホークス"と呼称することが決まりました。ホークスは依然攻撃の手を緩めることなく……」
ニュースキャスターの震える声が余計に緊迫感を煽る。
「我が国のどんな兵器も通じないなんて……こんな化け物にどう立ち向かえばいいんだ……」
助手の一人が頭を抱えて呆然とする。額には脂汗が滲み、恐怖の色が見てとれる。
そんな彼の肩に手を置き、沖永は冷静な口調で言った。
「大丈夫。こんな時には正義のヒーローがやって来てくれるものさ」
「大丈夫って……沖永博士、こんな時にのんきな冗談はよしてください。全然笑えませんよ」
助手はムッとした表情で沖永を睨む。
「冗談じゃないさ。俺たちにはアルファがいる」
沖永は側にいたアルファの方を指差した。
まったく予想していなかった回答に助手たちは当惑している。当の本人のアルファ自身も「私ですか?」と言った具合にポカンとしていた。
「嘘でしょ……アルファは医療用AIですよ。一体何が出来るって……!」
「出来る!」
助手の言葉を遮り、沖永は言った。そしてこう続ける。
「アルファを巨大化させて、あの化け物と戦わせるんだ」
「巨大化ってそんなマンガみたいなこと」
「根拠はあるから聞いてくれ」
「博士がそこまで言うなら」
「アルファにはナノマシンの技術が組み込まれている。時間はかかるがそれを応用すれば、巨大化させられるかもしれない。さぁ今すぐ準備に取り掛かるぞ」
沖永は白衣をはためかせて作業に取り掛かった。アルファの背中にプラグを繋ぎ、複雑なプログラムを打ち込んでいった。
イフ総合病院。ルナの母が働いてるこの場所でも、ホークスの魔の手が刻一刻と迫っていた。
慌ただしく動く院内では、患者たちの避難に向けて準備していた。
そんな中、ルナの母は娘の身が気がかりで仕方ない。もう何度目かわからないくらいに、スマホのメッセージSNSを確認する。
「ルナ、今どこにいるの?」、「心配しています。連絡ください」、「生きてるかどうかだけでも返事して」などと送っているが、今だに既読すらつかずに不安な気持ちで一杯だった。
「娘さんならきっと大丈夫ですよ」
側にいた同僚の看護師が励ます。
「そうだといいけど」
母はスマホをポケットにしまい、作り笑顔を返した。
同じ頃、糸杉家の屋敷では、ハルもニュースで悲惨な現状を目の当たりにしていた。
被害現場はまさしくルナがオーデションを受けるといった場所。
「……ルナ、お母様だけじゃなくあんたまで死ぬなんて絶対に許さないから」
ここで指を咥えて見てるわけにはいかない。自室の扉を勢いよく開けて、親友の元に向かおうとした時――。
――ピシュン!
青いレーザーがハルの足元を襲った。
「キャア!」
尻餅をついたハルは頭上を見上げる。すると円形のドローン機が数体飛んできた。イフ社の警備用ロボットだ。
「あたしは社長の娘よ! 通して!」
『社長の命令です。お嬢様、どうかここで待機してください』
ドローンたちは冷徹な口ぶりで命令する。どうやら父に自分の行動を先に見透かされていたようだ。
「あー! もうっ!」
悔しそうに地面を叩きつけるハル。親友が死ぬかもしれないのに、何も出来ない自分がやるせなかった。
病院に入ったルナとモコ。院内は避難準備で忙しく、もはやルナの治療どころではなさそうだった。
「結構忙しいみたいですね」
「そう……だね」
二人とも沈んだ表情をする。
その時、たまたま通りがかった看護師がルナの顔を見るなり立ち止まった。
彼女は先程ルナの母と話していた同僚。二人が辿り着いた病院はルナの母の職場だったのだ。
彼女は嬉しそうな顔で言った。
「あなた西波さんの娘さんでしょ」
「はい……」
「やっぱり! お母様がすごく心配してましたよ! すぐ呼んできますね」
返事も待たずに足早に駆けていく看護師。
一方、ルナはひどく怯えていた。あんな大喧嘩した手前、母に会うのが気まづいのだ。
『ほらママの言った通りでしょ? あなたはヒーローなんて目指すべきじゃなかったの』
ヒーローを目指したつもりが、腕を怪我して病院送り。
母に今の姿を見られたら、こんなことを言われちゃうと良くない想像をしてしまう。
「どうしたんです? ルナちゃん……」
振り返るモコに数歩後退りするルナ。
「ごめん!」
ルナはスカートを翻し、病院を飛び出した。
いつもこうだ。三者面談の時も。母にヒーローの夢を打ち明けようとした時も。オーディションの前日も。肝心な時になると逃げてしまう。自分の心の弱さがルナはたまらなく嫌だった。
「待ってください!」
すぐにモコが後を追う。腕の痛みがあるのか上手く走れずにすぐに追いつかれてしまう。
「離して!」
「離しません!」
しばらく押し問答をしたのち、お互いはぁはぁと肩で息をする。
モコは言った。
「ルナちゃん、あなたは何か悩んでるんじゃないですか?」
事情は知らないはずだが、何かを察したのだろう。こういう人間の些細な変化に気づく力がモコにはあるようだ。
「気にしないで。そんな大したことじゃないから……」
「嘘つかないでください。じゃあなんで逃げたんですか?!」
「薄井さんには関係ないことだから。ほっといてよ……」
強がるルナ。またモコに助けられるなんて。もう彼女と自分の差を思い知らされるのは嫌だった。
「そんなこと言わないでくださいよ! 私とあなたは知り合ったばかりかもしれない。けどっ……! 困ってる人に対して何もしないなんて出来ません!!」
綺麗事なんかじゃなく真っ直ぐな言葉。そんな優しい言葉にルナの溜め込んでいた何かがぷつんと音を立てて切れた。
堰を切ったように涙が溢れた。悔しさとも惨めさともつかない感情が溢れて嗚咽が洩れる。両手で顔を覆うルナの頭を、モコが撫でた。
「私に話してくれませんか? 何か少しでも力になりたいんです」
モコは優しく微笑んで言った。
こうしていると見た目はまるっきり違うのに、モコがまるでシャイニングラブのようだ。そう思うくらいに、シャイニングラブと会った時のことを追体験しているようにルナには感じられた。
雨宿りになりそうな場所に移動したルナとモコ。
なんとか泣き止んで、ルナはぽつぽつと話す。子供の頃、ボクはヒーローになりたかったんだ。だけど最近じゃそんな夢も忘れて、目標もなく親から言われた人生を生きていた。そんなある日、イフ社のアルファと出会ってから、自分の中で何かが大きく変わったんだよね。アルファってすごいんだよ。不思議な道具を出して、困っている人を助けちゃうんだ。どう? かっこいいでしょ? だからボクもアルファのようにヒーローを目指そうって決めた。でも結局色々頑張ってきたけど、どれも上手くいかなかった。それどころからそのことで、昨日ママと喧嘩までしちゃった。
なんだか話せば話すほど惨めになり、また泣き出しそうになる。モコもこんな幼稚なことで悩んでたんだと呆れてるんじゃないだろうか。
「ね、笑えるでしょ」
自虐的な笑みを浮かべるルナ。それに対し、モコは違うよと言わんばかりに言った。
「笑いませんよ。私にはルナちゃんが頑張ってたってことが伝わりましたよ」
「頑張ったって意味ないよ。結局ヒーローにはなれなかったんだから」
「ルナちゃんは、もうヒーローじゃないですか!」
語気を強くして言うモコに対し、ルナは肩を落とす。
「……そんなボクなんか」
「なんかって言わないでください」
「言うよ......ヒーローになりたくて頑張ったのに……全然……全然上手くいかないんだもん……」
駄々をこねる子供のように言い返すルナ。モコは数秒ほど黙ったのち、穏やかな声で言った。
「そうですか......ルナちゃんは確かに失敗したかもしれない。でも、その失敗はいつか誰かがあなたに「ありがとう」って言ってくれる日が来るまでの道標ってやつなんじゃないですか?」
「道標……」
「誰かのために何かをしたいという優しい気持ち、それがあるだけであなたはもうすでにヒーローですよ」
モコは断言した。
「本当にそうかな......ボクがやってきたことって余計なお世話だった気がするんだ」
「それならそれでこう言ってやればいいんじゃないんですか?」
まだ迷いが消えないルナ。
モコは立ち上がると背中を押すように言った。
「"偽善だっていいじゃないか"ってね!」
「それ......シャイニングラブの決め台詞......」
「私この言葉好きなんです」
モコも自分と同じヒーロー番組が好きだったとは。思いがけない共通点にルナは少し元気が出た。
今は母に認めてもらえないかもしれない。それでもヒーローを目指し続け、いつかその道に辿り着いた時には何か変わっているかもしれない。そう思うと、今度こそ逃げずに母と向き合う覚悟が出来た。
「ありがとう。薄井さんのおかげで失敗した自分も誇りに思えそう」
「それは良かったです」
「ボク、今からママに会ってくるよ」
すぐさまルナは踵を返し、院内へと歩き出した。
その途端、地面が大きく揺れる。ホークスが翼を広げ、ここまで降りたってきたのだ。
ルナの心臓が一瞬止まりかけ、続いて激しくビートを刻みはじめた。
街中の電気エネルギーを吸収したのだろう。駅のホームで見た時とよりもホークスの身に纏った電気の威力が増している。
赤く濁った目をギロっと向けてこちら照準を合わせる。
次の瞬間、周囲の建物のガラスが崩れる轟音が聞こえた。
前方には、建物には一切お構いなく、ホークスの巨体は依然として突進してくる。
「そんなせっかく避難してきたのに」
「この早さじゃ逃げられません! このままじゃ、病院にいるみんなも全員助からないです」
悔しそうに唇を噛み締めるルナとモコ。せっかく母と向き合う覚悟が決まったのに、こんなところで死ぬなんて――。
万事休すか。そう誰もが思った時だった。
途端、ルナとモコの眼前に、白き眩い光が舞い降りた。
それは空に輝く星々を思わせる力強さで、その眩しさにホークスも驚いて腰を抜かした。
光は徐々に収束し、人型に姿を変えていく。身長は四十メートルはあろうかと思われる巨人だ。
〈あなたたち人類を救済する自立思考型医療アンドロイド……〉
まるで天から舞い降りた女神のように両手を広げて、巨人は答える。
〈AlーPHA……〉
あの時と変わらない美しい名乗り、そして神秘的な姿。大学見学で出会ったヒーローがさらに逞ましくなって助けに来てくれたのだ。
「アルファ……!! アルファだー!!」
そんな奇跡を目の当たりにし、ルナの顔が一瞬で明るくなる。
「あれはイフ社の新型AI……」
それに引き換えモコは、突然の出来事に驚いている。
アルファが現れただけで、希望が湧いてきた。彼女に全てを託せば、助かるかもしれない。そんな予感がルナにはした。
つづく