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第16話 謎の男

 二機の空飛ぶ救急車が、耳を刺すようなサイレン音を響かせながら、高層ビル群の狭間を駆け抜けていく。

 カーラとノーマンを乗せた救急車の車内では、ルリそっくりの少女がストレッチャーに横たわっていた。


 透明なディスプレイにホログラムが浮かび、患者の状態を映し出す。

『バイタル異常検知。血圧低下、心拍数不安定、出血量過多。』

『GCS 8。意識混濁進行。SPO2 91%。バイタル安定せず。』

 プレホスピタルケアAIの無機質な音声が響くと、天井から伸びた複数のメディカルアームが滑らかに動き出した。

 止血用のバイオシールが瞬時に傷口を覆い、ほぼ同時に点滴ラインが正確に接続される。生理食塩水と輸血用人工血液がゆっくりと少女の静脈へと流れ込んだ。

 別のアームが外骨格のような固定フレームを慎重に装着していく。


 ノーマンとカーラは、次々と処置を進める機械の動きを、ただ黙って見守るしかなかった。


『高レベルバイオスキャンを行います。』


 光学迷彩のフィールドがスキャンに干渉し、細かな光の粒となって弾け飛んだ。次の瞬間、ノーマンとカーラの姿がはっきりと浮かび上がる。


 少女がかすかに目を開けた。

 ルミノイドに戻ったカーラの顔を見つめると、焦点の合わない瞳が、かすかに揺れた。

 その奥に、淡い安堵の色が滲んでいた。


少女の唇がかすかに動く。

「……お姉さま……」


 掠れた声が漏れた。

 カーラは震える手を伸ばし、少女の冷たい指をそっと包み込んだ。

 かすかな余韻を残しながら、少女の瞳がゆっくりと閉じられる。


『GCS 3。心肺停止確認。ACLSアルゴリズム適用。エピネフリン1mg投与準備。』


 メディカルセンサーのアラームが鋭く響く。


『心停止リズム解析。ショック適応あり。除細動準備。』


 ロボットアームが展開し、電気ショックパッドを少女の胸に押し当てた。


バンッ!


 少女の身体が小さく弾けるように跳ねた。

 しかし、モニターのバイタルサインは、相変わらず沈黙したままだった。


 カーラの胸の奥に、重い痛みが広がる。

 祈らずにはいられなかった。


 AIは、二度目の電気ショックを試みる。


バンッ!


……だが、心拍は、戻らなかった。


 今度はアームが少女の胸の中央に触れ、リズムを刻んで心臓マッサージを始めた。だが、少女の命を繋ぐにはあまりにも細い糸だった。

 カーラは縋ることしか出来ない自分の無力さを痛感した。


『GCS 3。脳幹反射なし。意識回復の可能性、極めて低い。』


 まるで、世界そのものが静止してしまったかのようだった。

 絶望の波に飲み込まれながら、カーラは少女の手を強く握りしめた。

 手は氷のように硬く、命が温もりとともに抜け落ちていくようだった。


 やがて、救急車は巨大な高層タワーの中腹に口を開けた発着ゲートへ、滑らかに吸い込まれていった。

 救急車が静かに停止すると、後部ハッチが滑るように開き、メディカルアームがすっと引っ込んだ。

 それと同時に、ストレッチャーがふわりと持ち上がり、音もなく救急車の外へと運ばれていく。

「行こう」

 ノーマンは少し憔悴した様子のカーラの手を取り、救急車を降りた。


 ルリと加藤が乗っていた救急車も横に停まっており、同じようにストレッチャーが建物の中へと吸い込まれていく。

 ルリと加藤も救急車から降りていたが、二人とも光学迷彩が解け、元の姿に戻っていた。


 2台の救急車は、みんなが降りるとすぐに飛び去ってしまった。

 降りたタワーの中は発着ゲートが大きな口を開けている以外は、何もない広い空間が広がっているだけだった。


「お姉さま……!」

 ルリが目に涙をいっぱいに溜め、震える声で叫ぶと、カーラに飛び込むように抱きついた。

 カーラは無言のままルリを抱きしめた。

震える彼女の背をそっと撫でながら、「ルリ……」と、かすかに呟いた。

 ルリを抱きしめながらどこかで同じことがあったような、ぼんやりとした記憶がカーラの中で呼び覚まされた。


 加藤がノーマンの近くに来てそっと言った。

「そっちの子……助かりそうか?」

「一時心拍停止して蘇生はしたが、脳波が戻らなかったよ。」

 加藤は唇を噛んだ。

「こっちの女は、一度意識を取り戻したんだ。そしたらルリをルリと呼んだんだぜ。顔が似てるだけならまだしも、名前まで同じってありえるか?」

「こっちの子も……カーラをお姉さまと呼んだよ。」

 ノーマンはチラリとルリを見る。

「ルリは……完全に沈んじまってるよ。さっきから何も喋らねえんだ。」

「……カーラもだ。」

「とにかく、一度ここを出ようぜ」


 壁側の鉄の扉の前まで来た。開く気配はない。加藤が拳でドンドンと叩く。鈍い金属音が響くが、返答はない。沈黙が、空間に重くのしかかる。

「やべえな。閉じ込められたか?」加藤が低く呟いた。

 加藤とノーマンは発着ゲートの出口を探し回った。

「壁の反対側は開いてはいるが、ビルの上だ。とても降りられそうにないぜ。」

「ストレッチャーが入った扉も開かない。手で開けようとしたが無理だった。」

「カーラかルリにこじ開けさせるか?」

「いや、出来ればあまり破壊などはしたくないな。」

「マジかよ、このままここにいるわけにもいかないぜ。」


「……やれやれ、扉を壊すのは勘弁してほしいな。」


 静寂を切り裂くような、落ち着いた声が響いた。

加藤とノーマンが驚いて振り向くと、そこにいたのは、ノーマンとまったく同じ顔をした男だった。

「うおっ!え!なに……? お前、双子だったの?」


 加藤が驚いて突拍子もない事を聞いたが、ノーマンは呆気に取られて聞いてない。

「カーラやルリだけじゃなく、俺まで……」

「フッ、僕たちは双子ではないよ。」

男は親しげな笑顔で近づくとノーマンの前まで来た。


「そうだな、僕は……君のご先祖さまみたいなもの……。もっとも、“ご先祖” という言葉が適切かどうかは分からないがね。」


「先祖……?」


「ま、ここで立ち話もなんだ。付いてきたまえ。」肩を寄せ合っているカーラとルリを振り向いた。 


「跳躍してきた者の中にルミノイドがいるのも驚いたが、まさか君たちとはね。さ、一緒に来たまえ。」

 そういうと壁に向かって歩き、そのまま吸い込まれる様に壁の中に消えていった。ノーマンと加藤は互いの顔を見た。

「出口を探しても見つからないはずだ。」

「むかし、魔法使いの映画でこういうの見たことあるわ……」


 4人が壁の中に入ると、タワー内の通路に出た。

 壁は一面にマホガニー材のような壁板が貼られており、床には赤い絨毯が敷かれている。

「病院……って雰囲気じゃないな?」

 加藤が居心地悪そうにノーマンにそっと話しかけた。

 通路の先では微笑みながら男が待っていた。

 静かだったカーラが意を決したように男の方に近づいた。


「あの、さっき事故にあった人たちは助かったのですか?」

 愛おしそうな顔でカーラを見て、呟くように「君はいつも真っ直ぐだね……」と言うと、すぐに元の顔に戻り話を続けた。


「うん、心配してくれてありがとう。彼女らは死んではいない。」


 みんながホッと安堵の顔を浮かべる。


「彼女らは僕が責任をもって引き受けるよ。」男は優しく微笑んだ。

 男は部屋の前までくると、マホガニー製のドアを手で開けた。

「さ、こちらにどうぞ。」


 ノーマンは部屋に入って、混乱しそうになった。


 部屋に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。涼やかな夜風が肌を撫で、鼻腔に湖の匂いが満ちる。

 見上げれば、夜空が広がり、星が瞬いている。焚き火がパチパチと燃え、熱気すら感じられた。

「……映像、じゃないのか?」ノーマンは無意識に手を伸ばす。

 だが、炎の熱はそこにあり、遠くでフクロウの鳴く声まで響いている。


「おい、おい、これ……本物みたいに暖かいぞ!」

 加藤は今度は空を見上げた。

「え!あれオーロラか!?」

 空にはオーロラが様々な色彩を放ちながら、カーテンの様に形を変化させていた。


「本物みたいだろ?ノルウェーのトロムソってところを4DCGで再現しているのさ」


「ノルウェー?どこかの地名か?」


「ああ、君たちは知らないか。『地球』にあった国の名前だよ」


「地球……?」


「まあ、ゆっくり焚き火でも囲みながら話そうじゃないか?」


そういうと、男はベンチに座って足を組んだ。

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