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第11話 呪縛

 木村と有田もデッキに上がってきたが、2人とも声が出なかった。


 黒煙が絶え間なく左舷から立ち昇り、周囲の空気を焦げた金属の匂いと煤の粒で満たしていた。

 担架で運ばれる負傷者の呻き声が絶えず、医務室の荒川と根岸が走り回り応急処置に追われていた。デッキ全体に緊張と疲労の入り混じる気配が漂っていた。


 クレードルの前では乗組員たちがカーラとノーマンを取り囲んでいた。ノーマンが庇うように彼女の前に立っているが、その脚は血に染まり、震えている。


「破滅の天使め!」


 一人が叫ぶと、それに続くように声が連鎖する。怒りに満ちた表情で拳を握る者、恐怖で顔を引きつらせながらも叫び続ける者――彼らの感情はひとりとして同じものではなかった。それでも、その全てが一人の少女へ向けられていた。

「俺たちの船を返せ!」

「帰れ!帰れ!」

 口々に罵声を浴びせる乗組員たちの声がデッキに響いた。

 カーラはその声に耐えるように肩を震わせ、視線を床に落としていた。ノーマンが歯を食いしばりながら一歩前に出ようとしたとき――


「やめろ!」


 デッキに響いたのは、普段は寡黙な物理学者、小林敏英の声だった。


「僕もカーラには疑念を持っていた!だけど、根拠なく非難するのは違う!感情に流されると、あやまちを犯す事になる!」


 静まり返るデッキ。有田が驚いた顔で木村に囁く。「あの無口な小林くんが、こんなに声を上げるなんて……」

「驚くところ、そこ?」木村は肩をすくめると、前に進み始めた。

「うちらも行くよ!」


 小林を前に乗組員たちは一瞬戸惑ったが、思いついた様に叫びだした。

「し、証拠を出せ!」

「そうだ、証拠だ!カーラが破滅の天使だという根拠がないというなら、逆に破滅の天使ではないという証拠を出せ!」

「そうだ!そうだ!」乗組員が小林に言い寄ってきた。


「お、悪魔の証明を言い始めたね!」木村が少し楽しそうに呟いた。

「あ、悪い顔になってるっすよ」有田が呆れた様にこぼした。


 乗組員が騒いでいる後ろから田宮が姿を現した。手にはスマホと大型のBluetoothスピーカーを持っている。


「証拠になるかどうかはわからんが、これを聞いてくれ!」


 木村が振り向くと、田宮が冷静な表情で音声を再生した。クリアでハッキリとした音が聞こえた。


 ――『……上手いネタ?』

『特に『破滅の天使』みたいな話題は最高ですよ。数字、跳ねましたからね。』

『それ、面白いね!どこから仕入れたんだい?』

『まあ、裏情報なんですけどね……。結構お堅いところが絡んでるとか。あ、具体的な名前は出せないですけど……国家技術保全庁とか?』――


「この声は……」有田が目を見開いた。

「ワイチューバーのひのしげじゃん?」

「そうだ、ひのしげだ!」田宮はスピーカーの音声を止め、乗組員たちを見渡した。

「お前らが恐怖に駆られている『破滅の天使』なんてのは、ネットで煽られた影に過ぎない!保全庁が仕掛けたデマだ!」


 ざわつく乗組員たちの間を、田宮はゆっくりと歩きながら語った。


「カーラが破滅の天使だなんて証拠はどこにもない。恐怖で踊らされるのはもうやめろ!」


 乗組員たちの怒号は次第に静まっていった。

「な、なんだよこれ……?」

「ひのしげがデマを?」

「破滅の天使が仕組まれた話だった……?」

動揺の波が広がり、乗組員たちは互いに顔を見合わせた。

「でも……あの爆発は?」

 なおも疑問を口にする者もいたが、先ほどまでの狂気じみた怒号は消え失せていた。

 乗組員たちは静かになった。カーラを囲んだ輪から一人、二人と抜けていき、10人ほどの輪になった所で加藤が田宮の前に出てきた。


「加藤?」木村が目を丸くした。


「ひのしげが何だよ!保全庁が何だよ!そんなもの船が爆発した事実とは関係ないだろ!」


 カーラを指差した「あんたがいた通路付近から爆発したのよ!あなた以外に誰がやるの!」


 木村が加藤に歩み寄り、そっと肩に手を置いた。


「加藤、もうやめようよ。」

 加藤の肩が動揺したようにビクッと震えた、木村が優しく言葉を続ける。


「ポケットの中にあるものを……出してくれないかな。」


 加藤は目を見開き、木村を睨みつけた。


「な、なんのことだよ!」


「カメラで見ちゃったんだよ。爆発の直前に通路で何かのスイッチを手にしていたのを。」

 加藤の肩が細かく震え、汗が額から伝っていた。


「見てた?……見てたって?」


 彼女は目を見開き、顔が恐怖と怒りで引きつる。木村は優しく手を差し伸べる。


「加藤、もういいんだよ。」


「違う……違う……!これは、あたしの復讐なんだよ……!」


 そう言いながら、加藤は諦めた様にゆっくりとポケットから黒い発火装置を取り出した。

 それは簡易な発火装置のリモコンだった。小さなスイッチひとつで、通路に吹き出した燃料が引火する危険性がある。デッキの乗組員たちが息を呑んでそれを見つめた。


「お前、それは!」馬場が叫んだ。

「発火装置か!お前、船を爆発させたのか!」

「そうだよ!、あたしがやった!」加藤は叫んだ。目には涙が浮かんでいる。


「誰もあたしを信じてくれなかった。あたしの村が滅びたときも、誰も助けてくれなかった……!だったら、せめてこの手で『破滅の天使』を道連れにしてやるつもりだった!」 


 そう言うとカーラを指差して睨みつけた。


「お前が15年前、あたしの生まれ故郷を破壊した!私の父や母を返せ!」


 ノーマンが慌てて言った。「まってくれ、カーラは1万年も眠っていたはずだ、君の故郷を破壊できるはずがない!」


 田宮がギョッとした。

「15年前だと、まさか、珠森村事件か……君はあの村の生き残りか?」田宮が戸惑いながら加藤に聞いた。


「珠森村か、それなら納得もいく……」いつの間にか星野がデッキに降りていた。


「珠森村は15年前に正体不明の『現象』で壊滅した村だ。小さな島の中にあった村だが、島ごと消滅した。表向きは隕石の落下で壊滅という事になってはいるが、生き残った数人の村人たちは口を揃えて赤い目をした巨大な黒い影にやられたと証言している。」

「赤い目……」ノーマンが思わず呟くと後ろのカーラが目を伏せた。

「そうだ、赤い目だ。だが、そいつの仕業じゃないぞ……」

 星野はカーラを一瞥して続けた「合致する条件が赤い目というだけで、あとは大きさも形も全然違う、全く別の『現象』によるものだ。その現象が調査団創設のきっかけにもなった。」


 今度は加藤の方を見て話した「よく覚えているよ、俺が駆け出しの時に担当した事件だからな。加藤、お前の背負った恐怖は理解する。だが、それでもお前の行動を正当化することはできない。命は、復讐の道具にしていいものじゃない。」


 田宮が後を引き受けて話した「子供の頃に体験した赤い目の恐怖の記憶と神話の破滅の天使が融合してしまったのだろう。」


「お前が背負わされた恐怖の大きさは想像もつかないが、それでも勝手にこの船の命運を握る理由にはならん。」星野が加藤を見据えて重々しく言った。


 カーラは俯いていたが、深呼吸をすると顔を上げて一歩前に出た。そして静かに話し始めた。


「私は自分が何をやったのか、記憶がありません。自分が破滅の天使かどうかも私にはわかりません。でも、そう思わせてしまう原因も私にあるのは間違いないと思います。」


 周囲の人たちは静かにカーラの言葉を聞いていた。

「記憶のない過去の罪を背負って『罪は償わなければならない』そう思いながら生きていました。今はノーマンや皆さんに触れて、考えが変わりました。私には記憶がない。でも、それは言い訳にならない。過去がどうであれ、今ここにいる私は、これ以上誰かを傷つけさせたくないんです。この手で誰かを守れるなら、それが私の存在する意味だと信じています。」


「守る?何を言ってんだ?笑わせるんじゃない!」加藤の叫びが静寂を切り裂いた。


「あたしにはもう、何もない……!私の村も、家族も全部奪われた!それなのに、どうしてこんな女が助けられんだよ……!」そういうと突然走った。


「あ!待て!」田宮が呼び止めようと手をかけるが、一瞬早く加藤はすり抜けてしまった。


「何も信じられない……」加藤は低く呟いた。誰もいない村の記憶、瓦礫の中で両親の遺体を見つけたときの記憶が蘇る。あのときも誰も助けに来てくれなかった……誰もあたしを見てくれなかった……。ずっと一人だった。だったら、この苦しみを終わらせるのは私しかいない……。


「やっぱり、やってられないわ」


 デッキの端まで来た加藤はそう言うとツナギの下からリモコンの小箱を引っ張り出した。

「まだ持っていたのか!」田宮が歯噛みした。

「止めろ!お前も無事ではすまないぞ」馬場が止めた。

「無事?そんなもの最初から期待してない!」

 加藤の手が震えながら、スイッチに指をかける。

「加藤!ダメ!」 木村の悲痛な叫びが響く。

「やめろ!」 馬場がデッキの床を踏み鳴らして叫ぶ。

「加藤、お前……本当にこれでいいのか?」 田宮の声には、僅かに哀しみが滲んでいた。

 だが、加藤の瞳にはもう何も映っていなかった。 


「これで……終われる……」


 彼女の指がスイッチを押し込んだ瞬間、アクパーラ号の左舷と右舷の両方から轟音が響き渡り、燃料が火を噴いた。デッキ全体が赤い光に包まれ、誰もが息を飲む中、カーラの額の宝玉が赤く輝き始めた。

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