「あの、カーラをこの船に乗せる必要を感じないのですが……」
通路で物理学者の小林敏英が真剣な眼差しで田宮に言った。
「……わかった、入れ。」
田宮は小林を自室に入れて、応接用のソファーに座らせると、自分も向き合って座った。
「なぜそう思う?」
「彼女の風貌や出現した条件も、神話に出る破滅の天使に酷似していませんか?僕達はとんでもないものを拾ってしまったんじゃないでしようか?」
田宮は小林の話を真剣に聞き、少し間をおいてから答えた。
「カーラの力を恐れるのは当然だ。しかし、恐怖に飲まれて判断を誤れば、俺たちは『未知』に対して何も成し遂げられない。『破滅の天使』というレッテルを貼るのは簡単だが、それが事実だという証拠はどこにもない。」
「だからこそ、なおさら慎重にするべきではないですか?何かがあってからでは遅いです!」
小林の声は強張っていた。だが、それだけではなかった――目の奥にあるのは、ただの恐怖ではなく、『何かを知っている』者の目だった。
「小林……君は、何かを知っているのか?」
「……いえ、ただの直感です。」小林はわずかに目を逸らしながら答えた。
「今、俺たちがすべきことは、恐怖して彼女に背を向けることではなく、彼女を理解し、共存の道を探ることだ。それが、俺たちがここにいる理由だと俺は信じている」
「分かりました。ただ、僕は……まだ納得したわけではありません。彼女が本当に味方である保証がどこにもない以上、注意を怠らないでください。」
「もちろんだ。疑念を持つのは悪いことではないが、それを行動に移す際は、慎重に頼む。」
「あと、田宮さんも気をつけてください。船内で僕と同じ様に疑念を持つものが増えてますから。」
小林は田宮の部屋を出た、だが、疑念の炎はまだ燻っていた。
結局、ノーマンとカーラは営倉に入ったまま丸一日を過ごした。有田が持ってきてくれた短波ラジオのお陰である程度は外の状況を知る事が出来ていたし、カーラが話し相手になるので退屈もしなかった。
ただ、ラジオから時折流れてくる「破滅の天使」という声を聞くたびにカーラの雰囲気が沈んでいくのが隣の部屋でもわかったし、それがノーマンにも辛かった。
営倉に近づいてくる足音がした、見ると星野だった。星野は無表情のまま営倉の前に立ち止まった。手にはタブレット端末が握られている。
「どうした?出してくれるのか?」
「いや、出すわけじゃない。ただ、少し話をしに来ただけだ」
「話?」ノーマンが訝しげに眉をひそめた。
星野はカーラを見たが、彼女は目を合わせようとせず、ベッドの隅に腰掛けている。
「船内でお前らのことが噂になってるよ。特にあんたの相棒――破滅の天使なんて呼ばれてるらしいな。」
その言葉に、カーラの肩が微かに震え顔を背けた。ノーマンは表情を険しくして星野を睨みつける。
「くだらない噂だ。お前は何をしにここへ来たんだ?俺たちを挑発するためか?」
「挑発だなんて、人聞きの悪いことを言わないでくれ。ただ、警告に来たんだよ。」
星野はタブレットを操作し、一枚の画像を映し出した。それは、船内のどこかで撮影されたカーラの姿だった。だが、写真に写る彼女の目は赤く輝き、まるで鬼神のような雰囲気を漂わせている。
「これを見ろ、船の誰かが撮ったらしいが、この写真が広まってから、船内の空気が変わり始めてる。科学者やエンジニア連中はお前たちの存在に疑念を抱いてるし、一部の乗組員は怯え始めてる。」
ノーマンは画像に目をやった後、静かにため息をついた。
「くだらない写真だ。それがどうした?」
「どうした、だと?」星野の口調が鋭くなった。
「この船は狭いんだ。疑念や恐怖が広がれば、どんな形で爆発するか分からない。言っておくが、田宮はお前らを庇うかもしれないが、全員を納得させられるとは限らない。」
「なら、どうしろって言うんだ?」ノーマンが低い声で問い返した。
星野は冷笑を浮かべた。
「俺は忠告してるだけさ。もし本当に破滅の天使じゃないって言うなら、それを証明する何かを見せてみろ。このままつまらん終わり方はしたくないだろう。」
ノーマンは拳を握りしめた。だが、それだけでは足りなかった。どれだけ言葉を尽くしても、恐怖に支配された者たちには届かない。
「ま、俺はどっちでも構わないけどな。」
このままではダメだ――ノーマンは直感した。何かを変えなければ、彼らは本当に『破滅の天使』として扱われる。
「おっと、暴れたりはしないように頼むぜ。これ以上、火種が増えるのは勘弁だからな。」
そう言い残し、星野は背を向けて去っていった。
「ノーマン……」
星野が去った後、カーラが静かにノーマンを呼んだ。
「どうした?」ノーマンは優しく返事をした。
「私は……記憶が戻ったわけではないのですが、みんなに破滅の天使と呼ばれ、恐れられて、分かりました。……私の罪は恐らく、償おうとして償えるものではないのでしょう。」
カーラは目を閉じた。薄暗い営倉の中でまるでその身を囚われた鳥のように。
だが――次の瞬間、彼女の瞳に力が宿る。
「でも、だから……だからこそ、それを変えたい!」
彼女は顔を上げ、まっすぐにノーマンを見つめた。その瞳には迷いがなかった。
「私がこの世界で目覚めたのは、破滅ではなく――守るためだったと、そう信じたい。」
国家技術保全庁の局長室では佐野がデスクの電話で工作担当と通話していた。
「そうですか…では引き続き船内で破滅の天使の恐怖を煽ってください。くれぐれも気づかれないようにお願いしますよ」佐野は受話器を置いた。
「ふむ、アクパーラ号に工作員を潜り込ませていたのは正解でしたね。」
佐野はPCのモニターに目を落として見た。モニターにはあのカーラが鬼神のように写っている画像が表示されていた。
「扇動というのは、外と内から揺さぶらないと効果が薄いんですよ。乗っ取るなら世論操作よりも船の乗組員を使った方が手っ取り早いですからねえ。」そういうと薄ら笑いを浮かべた。
田宮は船長室で小峰の厳しい視線を受けていた。テーブルの上のタブレットにはカーラを船内で隠し撮りした例の画像が表示されていた。
「カーラの画像を公開して、奴らが火消しに走った所で尻尾を掴むつもりでいたが、逆に餌を利用してこちら側に火を付けて来た。相手はかなりのやり手だな。」
田宮はネットでカーラの画像を公開した事ワイチューブでの炎上動画の事、村瀬の事、全てを話した。
「元々、不利な条件で挑んでいるんだ。まだ諦めるのは早いぞ。」
「そのつもりだ……」
「それと、明日早朝に船は帰港先に向かう、残念だがこれ以上は引き延ばせん。」
ふいに田宮のスマホが鳴った、画面には三国恭子の名が表示されていた。
「もしもし三国か?何かわかったか?」
三国は科学調査室の事務所で電話を掛けていた。PCの画面を見ながら深刻な顔をして重々しく口を開いた。
『田宮さん、アクパーラ号の乗組員名簿の中に不審な奴がいる……』
「なんだと。」
『経歴を詐称している奴が一名は確認できました、洗ったら前職と出身校に該当する奴がいませんでした。まだいるかもしれません。』
「工作員だと……」田宮は絶句した。
「そいつの名前と詳細を教えてくれ!」小峰が立ち上がった「そこから先は俺の仕事だ、直接確認する!」そういうと船長室を出て行った。
『田宮さん、もうひとつあります。ワイチューバーとワイチューブの間の報酬額に不自然な動きがあります。なにかの手が入っているのは間違いないでしょう。ただ、保全庁の仕業と確定するには根拠は薄いです。』
「両面攻撃か……」田宮の想像以上に相手の手が回っていた。
「ありがとう、引き続き調べてくれ。」そういうと田宮はスマホをしまった。
機関室の掃除をし終えた加藤はスマホを見ながら、ぼそっと呟いた。
「破滅の天使……ね。」
馬場が怪訝な顔をする。
「何だよ、加藤。まるであれが本物みたいに言うじゃねえか。」
「嫌だなぁ、そんなことないすよ。」
加藤はスマホをポケットにしまいながら、笑った――だが、その目の奥は笑っていなかった。