「私の名はカーラです。あなたが私を呼んだのですね……」
ノーマンは息を飲んだ。カーラと名乗った女性の声はまるで魂に直接問いかけ自分が試されているかのように感じられ、しばらく答えることすらできなかった。
「俺が、呼んだ?」
そんなはずはない。だが、彼女の言葉はまるで真実のように心に響いた。
まるで、自分が忘れてしまった記憶の扉を、彼女が開けようとしているかのように――。
それでも、彼女の言葉には妙な確信があった。「どういう意味だ?」
カーラは優しく微笑んだ。「あなたが、私を目覚めさせたのです。あなたの心が」彼女は言葉を切り、ノーマンを見つめる。「深い想いを抱えています。そして……私も。」
ノーマンの心臓は激しく鼓動していた。彼女の言葉に何か特別な意味が隠されているのか、それともただ自分自身が過剰に反応しているだけなのか、判断がつかなかった。だが、その瞳の奥に宿る何かが、ノーマンを引き込んでいた。
「あなたの名を聞いても良いですか?」カーラが静かに聞いた。
「僕の名は野間一樹、ノーマンと呼ばれている。」ノーマンはカーラの目を見たまま身動きひとつせずに答えた。まるで、催眠術にでも掛かっているようだった。
「ノーマン……」カーラはその名前に郷愁にも似た思いを感じ、思わず口に出してしまった。
その時、ノーマンの後ろにいた田宮が口を開いた。「カーラ、君は一体何者なんだ?ここにいる理由は?このカプセルといい、君自身といい、何もかもが我々の常識から外れすぎている。」
カーラは静かに立ち上がり、デッキの全員を見渡した。赤い瞳に揺れる光は、彼女が言葉以上のものを見ていることを感じさせた。「あなた方の混乱は理解できます。でも、答えたくても私には……記憶がないのです。」
そう言ったカーラの声は、まるで自分自身に言い聞かせるように静かだった。
「どれほど長い間、私は閉ざされていたのか……それすら、思い出せません。」
カーラは目を伏せ、わずかに拳を握る。
その言葉にデッキの作業員たちがざわめいた。
「記憶がないだって?」有田が疑念を込めて問いかける。
カーラはカプセルを指差して続けた。
「私は記憶を失い、罪の重みに縛られ、この海の深淵で永遠に近い眠りについていました。このクレードルと呼ばれるカプセルの中だけが私の世界でした。でも突然、私を目覚めさせる声が聞こえました、その声に答えて来たのです。」
彼女の声には無限の時間を経た者だけが持つ静けさがあった。
「その声はあなたの声でした。ノーマン、あなたが私を呼んだのですよ。」
ノーマンは困惑した。なぜ俺なんだ?普通の学者である自分に、こんな大きな存在が答える理由は分からない――だが、その瞳に吸い込まれるような感覚は否定できなかった。
「待ってくれ!」田宮が一歩前に出て声を荒げた。「君が何者で、何をしにここへ来たかは我々にはまだ分からない。だが、話を勝手に進められては困る。我々には君の真意を知る権利があるはずだ。」
カーラは田宮の方を向き、真剣な表情を浮かべた。「もちろんです。この先に待つ出来事を、そして過去を共に知っていく必要があります。ですが……」彼女は再びノーマンを見つめた。「すべての始まりは、彼が握っています。」
船上の空気は張り詰め、誰もが次に何が起こるかを見守っていた。そして、ノーマンの胸の中では、言葉にできない感情と使命感が、嵐のように渦巻いていた。
「引き上げた遺物は――これか!!」緊張した空気を突き破るかのように大きな声が後ろからした。
後ろを見ると、グレーのスーツを着た小太りの男がおもちゃを手に入れた子供の様な目でカーラを見ている。
「早速、国家技術保全庁のお出ましっすね」有田が苦々しげに小声で田宮に話した。「ああ、彼女とまともな会話が出来るのもここまでかもしれんな……」田宮も苦虫を噛み潰したような顔をしている。
グレーのスーツの男は星野康明という名で、国家技術保全庁のエージェントとしてアクパーラ号に乗り込んだ男だ。
国家技術保全庁は自国の技術力促進と技術的優位性の維持が目的で作られた省庁だ。業務には技術流出の監視も含まれており、情報局としての性格も強くエージェントには大きな権限を与えられている。
星野は周りを気にもせずズカズカとカーラに向かって行き、跪いているノーマンを押しのけて自分がカーラの前に来た。「素晴らしい!どんな技術を使えばこんな物が作れるんだ!」彼の視線はカーラの顔から手足、身につけている装飾品にまで及び、値踏みするような執拗さだった。
「星野さん、近くに寄ったら危ないっすよ!」と有田が慌てて声を上げたが、星野は聞く耳を持たなかった。
「分かっていないな、お前たちは!」と、星野はカーラの方へさらに一歩近づきながら、声を高めた。「これはただの技術じゃない。国家戦略の切り札だ!これさえあれば、我々の優位性は揺るがない!」
星野の額には興奮の汗が滲み、言葉の端々から焦燥感が見え隠れしていた。
「カーラと言ったな。」
星野は薄く笑いながら、まるで自分の手柄を確信したかのように言った。
「お前は今より国家技術保全庁の管理下に入る。」低く、だが決して逆らえない響きを持つ声だ。
だが、そんな指示に従うかどうかもわからない相手だ、田宮が星野を止めるために声を掛けようとした瞬間、カーラの額の宝石が一瞬ふわりと輝いて消えた。
星野の言葉が続く中、カーラは一瞬だけ目を伏せ、静かに息を吸い込んだ。そして、次の瞬間――彼女の額の宝石がほのかに光る。
「わかりました……従います。」
カーラは静かに微笑んだ。その微笑みは、まるで星野の言葉の先にある未来を見通しているかのようだった。
カーラがクレードルに手をかざすと周囲の空気が変わった。
クレードルのハッチがゆっくりと閉まり始める。船上の時間が止まったかのような静けさが訪れ、船体を揺らす波の音が遠くで響き、風が甲板を駆け抜けた。ハッチが閉じる微かな低い音が、星野の言葉を飲み込み、周囲を圧倒した。
ハッチが閉まりきると、カーラがノーマンに向けて微笑んだ。その微笑みは、すべてを見通した者だけが持つ安らぎだった。
星野が今度はノーマンの方を向いた「お前はこの遺物を知っていたな、技術漏洩の嫌疑がある、行動を制限させてもらうぞ。」冷たく言い放つと、スマートフォンを取り出して船長に営倉の使用許可を取り始めた。
「俺が?何もしていない!」ノーマンは星野に抗議したが、星野に聞く耳などなかった。
「大丈夫です。」カーラはそういうとノーマンの方を向いてもう一度微笑んだ。
カーラの微笑みはまるで未来図を見通した者が持つ静かな安らぎのようだった――それが、どんな未来を導くのか、ノーマンには、まだ知る由もなかった。