アクパーラ号のブリッジに入ると、鉄とオイルと海水の混ざった独特の匂いが微かに鼻をくすぐる。ブリッジには、航行のための機械やモニターが整然と並んでいる。航海士や操舵手たちは、その狭間に挟まるように配置されていた。田宮雅人はブリッジへ入るたびに、子供の頃に見たアニメの宇宙戦艦の艦橋を思い出し、あれは広かったよなと思っていた。
双眼鏡を覗きながら船長の小峰竜太が田宮に言った。「見た感じ、距離は500メートル、物体の全長は5メートル前後ってところか。」小峰は小柄だがガッチリした体格で、アクパーラ号が輸送艦だった時代から艦長を務める叩き上げのベテランだ。
田宮雅人と小峰竜太は、海軍士官学校時代の同期だった。背が高く飄々とした感じの田宮とずんぐりした軍人風の小峰は見た目や性格も全く正反対なのだが、なぜか馬が合った。二人で悪さもしたこともある。教官室に忍び込み勝手にウイスキーを飲んで、減った量を水で埋めたりもした。いつも一緒なので周りも不思議がり、士官学校の七不思議のひとつに数えられるほどだった。
田宮も双眼鏡を覗いた。前方500メートル先の波間で真っ白なカプセルが見え隠れしている。太陽の反射光でチカチカと銀色に煌めいている様子は早く拾い上げて欲しいと誘っているようにも見えた。「海洋哺乳類の死体でもなさそうだし、遺跡にしてはきれいすぎる。……とはいえ見過ごすわけにもいくまい。引き上げよう、船長。」
「微速前進!ヨーソロー!」船長が指示を出すと、操舵手と航海士が流れるように操船し、アクパーラ号は生きているかのように白いカプセルに近づいて行った。
「そういえば、田宮。お前が連れて来たあのノーマンって若い学者、アレを見たら興奮して鼻血を出すんじゃないか?」
「んー?あいつならもうクレーンデッキにいるな。」ブリッジの監視モニターにはノーマンの姿が映っていた。モニター越しにもそのワクワクしている様子は見てとれた。
クレーンデッキの上では作業員たちが忙しく動いていた。
カプセルにはネットが張られ、落ちないようロープで括り付けていた。作業を終えた潜水夫が親指を立てると、少しずつカプセルが水面から上がり始める。
ノーマンはデッキの隅で、固唾をのんで見守った。クレーンに吊られた白いカプセルは、太陽の光を受けて神々しいほどに輝き、ノーマンの顔を照らした。
突然、ノーマンの心臓が激しく脈打ち、胸が張り裂けそうな寂寥感に襲われた。涙が止まらない。まるで心の奥に押し込めていた何かが、一気に解き放たれるようだった。
知らないはずの何かを、懐かしく思う――そんな、説明のつかない感覚。「なんだ、この気持ちは……」手や足も震えて力が入らず手すりにつかまって立っているのが精一杯だった。
カプセルがデッキに降ろされた。ワンボックスの車ほどの大きさで潰れた繭のような形をしている。
十数人の作業員がカプセルを囲んでいるが、何十年と海で仕事をしてきた彼らにも、引き上げたものが何か分からず顔を見合わせて首を捻っていた。
「あ、ちょっと失礼。」田宮と、背の高いひょろっとした男が作業員の間を抜け、検査装置を手にカプセルへ近づく。
「これは……」田宮が絶句した。カプセルの表面が3年前に見た遺物の金属片に酷似しているのだ。触れると微かな熱を放っている所まで同じだ。
「国家技術保全庁の連中が見たら、こいつを持ち帰ると言い出しかねんな」渋い顔をしてカプセルを見てから有田に向きなおった。
「できそうか?」
「さあ?やってみないとわかんないっすね。」
男の名は有田秀樹、24歳で調査団のメカニクス面を任されている。口調は軽いが信頼は厚い男だ。
「危ないかも知れないので、ちょっと離れてもらえないっすか?」周りの作業員に下がるよう指示してガイガーカウンターを向けた。「放射線の類は心配ないみたいっすね。さてお次はっと……」有田はX線や超音波検査器を当てたが、すべて反射され、中を調べることはできなかった。
「まいったっすね、中を見たいけど、開けることも出来ないっすよ。」有田はカプセルを撫でてみたが、指に引っ掛かるところがどこにも見当たらない。
「見せて貰っていいかな……」いつのまにかノーマンがカプセルの前に来ていた。ノーマンの憔悴した顔を見て田宮がギョッとした「お前!鼻血どころじゃないぐらいフラフラじゃないか!」田宮が心配そうに言った。「大丈夫です……」ノーマンは田宮に力無く笑って答えると、ゆっくりとカプセルに近づいていった。
ノーマンは震える手をカプセルに伸ばそうとしたが、一瞬だけ不安がよぎり動きが止まった。しかしその不安も渇望するほどの欲求には抗うことは出来ず、そっとカプセルに触れた。
カプセルに触れた瞬間――すべての音が消えた。
海の音も、船の振動も、誰かの息遣いすらも聞こえない。
それは、嵐の前の静けさのようだった。
やがて、カプセル全体がまるで息を吹き返すかのように、柔らかく脈打つ光を放ちはじめた。
「危ないっすよ!離れて!」有田が止めるが、ノーマンはカプセルに手を伸ばしたまま退こうとしなかった。
カプセルの横に光の筋が水平に入ると、そこから上半分が開き始めた。プシューッという空気の漏れる音と共に溢れ出した白煙の隙間から、いく筋もの光が放射状に広がった。その光はあたかも新たな命の息吹を告げるかのようだった。
周りの作業員も田宮と有田も唖然としてその様子を見ていた。
カプセルが開ききると、立ち上る白煙と光の中、まるで夢から覚めたかのように、一人の女性がゆっくりと姿を現した。
整った顔立ちの彼女は、銀色の髪を微かに揺らし、まばゆい光を反射していた。その瞳は深紅の宝石のように輝き、視線が交わるだけで吸い込まれそうな神秘的な力を秘めていた。額には、赤いルビーのような宝石が埋め込まれ、穏やかに輝いている。
彼女の姿は人間のようでありながら、両肩から伸びる腕や、脚部に至るまでが滑らかな機械の構造で形作られていた。無機質な金属が生命の温かみを感じさせるかのように、機能美と調和している。その装甲は白を基調とし、要所に赤いラインが施されており、洗練されたデザインが未来的な印象を与えている。
ノーマンはその場で崩れるように跪いた。膝が地面に触れるのは無意識のことだった。全身を包む感情の波に抗うことができず、ただ彼女の存在を受け入れることしかできなかった。
天使はゆっくりとカプセルから降り立った。
目が合った瞬間、ノーマンは全ての音が消えたような感覚にとらわれた。彼女は人間ではない。それでも、その瞳の奥には、深い智慧と優しさ、そして計り知れない時間が流れていることが分かる。
彼女の赤い瞳が周囲をゆっくり見渡した。心の奥底を貫くようだった――それは、幼い頃から語られていた神話に出てくる『天使』そのものだった。
「……破滅の天使?」田宮は我知らず声を漏らした。有田も軽口を封じ、ただ無言でその場を見つめていた。他の作業員たちも、一様に言葉を失いその場に立ち尽くしている。作業員の中には加藤もいたが座り込んで腰をぬかしたように動けないでいた。
天使は周囲をゆっくり見渡したあと、小さな口を開いた。「アカゥラ ディドユ コーミ……」誰もがその言葉を理解できず、ただ美しい声音に耳を傾けた。
田宮が有田にヒソヒソと聞いた「お前、あれ何語かわかる?」「語学専攻じゃない俺に聞いてもわからないっすよ、ただあの音楽のような美しい言語は世界中探してもないと思うっす。」
彼女は自分の話した言葉が通じないのを感じた様だ。空を見上げ目を閉じると、額の宝石がボウッと淡く赤く光った。再び目を開くと、今度はノーマンの方を向いてしゃがんで目の高さを合わせた。
ノーマンは間近で彼女の顔を見た。その表情は慈愛に溢れた優しい表情だった。穏やかに天使はノーマンに聞いた。
「……私の名はカーラ。あなたが、私を呼んだのですね。」