――むかしむかし、おおむかし。
それは人々が空をとび、雲より高いところに「楽園」を築いていたころの話です。
そこではみんなが仲よく暮らしていましたが、だんだん自分のことばかり考え、争うようになりました。
これを見た神さまは、とても悲しい気持ちになり、「楽園」を消してしまいました。
人々は、住む所をなくし、さまよっていましたが、ある日ひとりの「賢者」があらわれました。
「星の力を集めて船を作りなさい。希望は空のかなたにある。」
人々は力を合わせて、魔法の船をつくりました。
そしてその船で、長い長い三百年もの航海をつづけて、ついに「新しい楽園」を見つけました。
そこには、輝く宝玉(ほうぎょく)がありました。宝玉にさわると、大きな力がわいてきます。人々は宝玉のおかげで、また幸せに暮らしはじめました。
でも……
幸せな日々が続くうちに、人々はおごりたかぶるようになりました。ついには、自分たちのことを「神」と呼びはじめたのです。
これを見た本当の神さまは、また怒りました。
神さまは天使をつくり「楽園」におろしました。天使のひとみは宝石のように赤く光り、白銀の羽をひろげてまいおりました。天使の赤いひとみは神の怒りそのものでした。
天使は無言で、神々をかたった者たちの街に赤い炎を雨のように降らせました。人々はにげまどいました。その力は誰にも止められず、「楽園」は今度は海の底に沈められてしまいました。
楽園をなくした人々は、また世界中にちらばり、苦しい日々を送ることになりました。
けれど、どんなに苦しくても、いつかまた「楽園」に行けると信じて歩きつづけたのです。――
ページをめくる指がふと止まる。
ノーマンこと野間一樹は、船のデッキチェアに深く腰掛け、潮風に当たりながら擦り切れた神話の絵本を眺めていた。
どこか遠い世界の話のようで、それでいて、まるで何かを暗示するような物語。
彼はページを撫でるように触れながら、静かにため息をついた。
「また星降りの神話?本当に好きなんだね。」
絵本を読むノーマンに、木村裕子が笑いながら声をかけた。呆れたような口調だが、メガネを掛けたその目はどこか興味を隠せないようだった。
木村裕子はコンピュータ分野のエキスパートだ。無造作なショートボブをなびかせ、ジーンズ姿で船内を駆け回っている。明るい笑顔と飾らない雰囲気で、船員たちの人気も高く、密かにファンクラブが結成されていたりする。
ノーマンが神話の絵本を手に取るのは、幼い頃からの習慣だ。祖母が買ってくれたその本には、孤独な少年だった彼が夢見るきっかけとなった「希望」が詰まっていた。
「ああ、子供の頃から大好きでね。しかも、神話を裏付けそうな遺物も出てきているしな!」
3年前、海で金属製の装飾品らしきものが発見された。加速器質量分析の結果、その金属は1万年前のもので、現代技術では再現不可能な古代技術で作られた、未知の物質の可能性が高いと報道された。しかし翌日に計測ミスが発覚して、実は工業廃棄物の白金だったと訂正された。当時まだ学生だったノーマンを初めみんなをガッカリさせたのは記憶に新しい。
「あの遺物って、工業廃棄物の白金だったって否定されなかった?」
「そうなんだけど……白金をそんな風に間違えるものかな?」
高い波を受けて船が揺れた。
「おっとと……そういえば、研究資料も紛失したって聞いたわね。」
「根拠はないが、何か重要な事実が隠されているかもしれないってことだな。」
「まさかぁ……」
「それに、あの遺物が発見された地点は俺の研究とも一致する地点だったんだ。信じたくもなるだろう?」ノーマンは空を見上げて言った、その瞳は夢を叶えようとする少年のものと同じだった。
それでも政府はこの調査のために、軍で退役寸前の双胴輸送船を引っ張り出して改装し、様々な最新鋭の機材を詰め込んだ海洋遺跡調査船アクパーラ号を作った。外装こそ古いが内部は最新技術が詰まった船として生まれ変わり、今、木村とノーマンを乗せて航行している。
木村はノーマンの横顔を見るとふふっと笑った。
「調査団に入れてくださいって、団長に土下座したのを見た時はびっくりしたよ。」
「あの時は調査団に入るなら本気でなんでもやるつもりだったからね。」ノーマンは笑った。
「ノーマンの論文、私も読んだけど、確かに古代遺跡と推定海域の予測は的を得ていたと思うよ。」
「あれがなかったらこの船に乗れなかったかもな。」
ノーマンの本名は野間一樹。皆からノーマンと呼ばれている海洋考古学者だ。
幼い頃に両親を亡くしたノーマンは、祖母に育てられた。友達も少なく、孤独な少年だった彼を慰めたのは、一冊の絵本だった。
星空を航海する船や、海底に眠る輝く宝玉――その絵本の一枚一枚が、孤独だった彼の心に鮮やかな夢を描き出した。それ以来、ノーマンは物語を何度も読みふけり、自分もいつかその未知の世界に足を踏み入れるのだと信じて疑わなかった。
星降りの神話に取り憑かれたノーマンが進学先に東光海洋大学の海洋考古学研究室を選ぶのはもはや必然だった。
そして、海洋古代遺跡調査団派遣の決定を知るや否や、まだ団員募集の公布すらされていない内に団長の田宮の事務所に押しかけて、私を連れて行って欲しいと土下座したのだ。
田宮団長は、眉をひそめながら呆れたように言った。「え?なに?君本気?」ノーマンは土下座の姿勢のまま顔を上げ、「これ以上に本気なことがあったら教えてほしいくらいです。」と返した。
田宮はため息まじりに笑った。「そこまで言うなら連れて行ってやる。お前の情熱に賭けるとしよう!」
田宮の助手として同席していた木村は噴き出しそうになりながら、ノーマンの情熱に少しだけ心を動かされた。
「あの後、団長、色んなところに連絡したり頭を下げたり大変だったんだよ、……私も団長と走りまわったけどね!」そういうと木村は腰に手を当てえっへんのポーズをとりケラケラと笑った。大きな声で笑う彼女は、いつも船の雰囲気を明るくしてくれる。
「感謝してます!」ノーマンはうやうやしく頭を下げて一緒に笑った。
ひとしきり笑って「じゃ、私は船のサーバーメンテがあるから、またねぇ!」木村は軽やかに手を振りながら通路へ向かう。髪をなびかせる姿には、彼女特有の明るさと快活さがあふれていた。
サーバールームに向かう通路の角で、木村は船員の女の子とぶつかりそうになった。
「ごめんなさい!」木村に謝る船員はまだ10代の少女のように見えた。
「おや?あまり見かけないね。」と微笑む木村に、少女は目を輝かせた。
「この船が、あたしの初仕事なんです!機関士なので、あまりお会いすることはないかもしれません!」
「へー!機関士なんだ!」木村は素直に感心した。
「あの……、あたし、加藤沙耶香といいます!」「あ、私は木村裕子だよ!」
「船の中で女性の知り合いがいないので、あの、よければ、お友達になってくれませんか!」
「もち!いいよー!」木村は笑顔で加藤に親指を立てた。
だが、その瞬間、ふと違和感がよぎる。
——彼女の瞳が、一瞬だけ鋭く光ったような気がした。
遠くで「カトー!」と船員が呼ぶ声がした。「あ!じゃあ!ありがとうございます!」加藤と呼ばれた船員はぺこりとおじきすると走りさった。
「ほー、あんな子がいたんだねえ。」木村はひとり呟いた。
それまで穏やかだった海が、いつの間にか波を膨らませ始めていた。鳥の声が途絶え、空がじわりと鉛色に染まっていく。
空がわずかに暗くなり、水平線の彼方に鉛色の雲が広がる。潮の匂いを含んだ風が吹き、波頭が白く泡立ちはじめていた。ノーマンは嫌な予感に胸を締めつけられながら、空をじっと見つめた。
「風が変わったな……嵐にならなきゃいいが。」ノーマンはチェアーから立ち上がった。
突然、船のスピーカーから警報が響いた。
『前方に浮遊物発見!』団長の低い声が船内に響く。
『本船は回収作業に入る!』
『繰り返す!本船は回収作業に入る!』
「浮遊物だって?」ノーマンはデッキから身を乗り出し、船の前方を見た。鉛色の雲が垂れ込め、潮風が頬を撫でる。白く泡立つ波頭を見つめながら、胸の奥に嫌な予感が広がっていく。
しかし、その予感を打ち消すように、波間に輝く小さな光が見えた。その瞬間、ノーマンの胸にざわめくような感覚が湧き上がった。――触れてはいけない何かがそこにある。けれど、それでも引き寄せられるような期待があった。
『作業員はクレーンの準備!』再び団長の声が響く。
「おっと!こうしちゃいられない!」悪い予感を打ち消して、期待と不安を胸に、ノーマンは急いでクレーンのある後部デッキへと駆けていった。