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第20話 え、殴ったらダメなんですか?

 波留に無理言って出勤してもらった初日のことだった。再生したボイスレコーダーから聞こえてきた下衆の声に、俺の堪忍袋の緒はプツリと切れてしまった。


 俺と波留は心が眠りについてから、ソファーに腰を下ろしてボイスレコーダーのスイッチを入れたのだが、何の覚悟も持たずに聞いてしまったことを激しく後悔した。


『木梨さん、今日も可愛いねぇ。おっと、とても娘さんがいると思えない美しさだ』


『日当さん、あの……ちょっと距離が近くて困るんですが』


『えぇ? 声が小さすぎて何て言っているのか分からないね。それとも僕に近づいて欲しくてワザとしてるのかな? そんなところも可愛いね』


 ワザとのわけがないだろうが、この糞野郎!

 お前と話したくないからだって分からないのか、この下衆野郎!


『それにしても、聞いたよ? パートさんから仲間外れにあってるんだって? 皆ひどいなぁ。きっと木梨さんの美しさに嫉妬しているんだよ。旦那さんは話聞いてくれるの? 聞いてくれないだろうなぁ。気の利く旦那なら君がこんなに苦しい顔をしているはずがない』


 波留が苦しんでいるのはテメェのせいだ、腐れポンチが……!


 拳を握った手から血が滲みそうだ。

 目の前の波留も恐怖で肩を震わせている。何と許し難い事実だろう。


『なぁ、良かったら今晩にでも一緒に飲みに行かないかい? 君の悩みなら何だって聞いてあげよう。君が望むなら旦那さんじゃ得られない満足感だって与えてあげることもできるんだけどね。子育てに一杯一杯でご無沙汰なんじゃないかい?』


『や、やめて下さい……! 何度も仰るように私には大事にしている娘と主人がいるんです! 一緒に遊ぶ相手をお探しなら、別の方を当たって下さい』


 距離が近付いたのか、日当の声が大きくなった気がする。おい、まさか……波留の身体に触れたりしてないだろうな?


 やばい、殺意が抑えきれない。百舌鳥の蛙のようにお尻からズボっと串刺しにしてやりたいのだが?


『生意気な口を利いていいのかい? 君の態度次第では取引を停止することもあり得るんだぞ? もしそんなことになったら、クビどころか賠償問題になるだろうね。パートのお前に払えるのか? それこそ風俗に転職するか? もき君が身体を売ることになったら、毎晩でも通ってあげよう』


『や、ヤメてって言ってるじゃないですか……! その、身体に触れないでください』


『何を言っているんだい? 触っているんじゃなくて当たってるだけだよ? 触っているっていうのは——』


『きゃっ! 嫌——……!』


『うん、なんて弾力のあるいいお尻なんだろう。この大きなオッパイも揉み甲斐がありそうだ。娘さん、一歳だったよね? まだママのオッパイを吸っているのかな? あぁ、僕も木梨ママの吸いた』


 ——プツン。


 あまりにも聞くに耐えないセクハラに、思わず停止ボタンを押してしまった。


 波留は……こんな下衆な会話を毎回聞かされていたのか?


「波留、ごめんな。こんな思いをさせてまで証拠を取らせてしまって」


 眉を八の字に困っていた彼女だったが、引き攣った顔で「大丈夫」と笑顔を作って見せてきた。


「恐かったけど、今日は近くに大智さんがいてくれたから」


 そう、この証拠を取った後、波留は日当の束縛を振り解いて俺の元へと逃げてきてくれたのだが、さすがにここまで酷いとは思っていなかったので、俺は自分の発言を大きく悔やんでいた。


 だが、彼女のおかげで証拠は十分確保できた。

 このボイスレコーダーを店長にも聞かせ、波留が出勤していた分の防犯カメラの提出を依頼。そしてパートの方々の言質を聞き取ることにした。


 しかも良いタイミングで興信所からの報告も届き、佐久間に見てもらっていたところだった。


 自殺未遂をして麻痺が残ったと言っていた奥さんだが、実際は大したことがなくスポーツジムで汗を流しているとか、いないとか。

 少なくても三百万も慰謝料を請求できるような立場ではなかったことが明らかになった。


「波留。ここのスーパーのパートに未練はないよな? 俺は日当のこともだが、波留が苦しんでいたのに関わらず手を差し伸べなかった奴らにも腹が立っているんだ。本当なら一人一人顔がボコボコになるまで殴り倒してやりたいけど、このご時世、手を出したら俺まで罪になってしまう。明日死んでしまう身なら迷うことなく包丁を手に突っ込むところだが、俺には波留と心を守る義務がある。ここは信頼できる弁護士に頼もうと思うのだが、いいかな?」


 コクコクっと何度も頷く波留を見て、俺は心置きなく佐久間に依頼が出来ると胸を撫で下ろした。


 さぁて、佐久間氏。君は俺の苛立ちをどこまで晴らしてくれるだろうか? 


 ————……★


「あぁー、殴りたい殴りたい、殴りたい! なんでこんな屑を殴っちゃダメなんですか?」



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