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第3話 対策

喫茶店から山辺団地への帰り道、久世の思いつきで近くのショッピングモールに向かう。


「せっかくですし、沙原さんの分も払うので好きなもの入れていってください」

「ええっ!そんな……悪いですよ、さっきの喫茶店でもアイスコーヒー代払ってもらいましたし」


久世はそう言って手にしたスーパーのカゴを指差す。


「いいんです……私の話を少し聞いてもらったお礼です」


由子は何度か断ったが久世の押しに負けて今日の夕食、明日の朝、昼食になりそうな冷凍食品やパン、惣菜などを数点カゴに入れた。


「あ、後ひとつ寄ってもいいですか。すみません」


スーパーで買い物を済ませた久世は由子に断り、300円ショップに入ってゆく。由子が後をついていくと久世はある棚の前でしゃがみこみ、商品を吟味していた。


「……沙原さんちょっと。どれがいいですか?」


そう言って久世が由子を呼ぶ。由子がしゃがみ棚の商品を見ると、音に反応して動く犬のぬいぐるみだった。洋犬が2種、和犬を模したものが2種類あり、どれも可愛い。由子はふと実家で飼っていた犬を思い出し、大きな垂れ耳で体色がクリーム色の犬を手に取った。


「それですか。ああ……とても可愛いですね」


由子がカゴに入れた商品を見て久世が目を細める。


「ちょっと実家で飼っていた犬を思い出したので……。ところでどうしてこんなもの買うんですか?」


由子が尋ねると久世は顔を曇らせる。


「一応、夜間の番犬代わりにと思って」

「もしかして、前に言ってた夜中にインターホンが鳴ったり玄関ドアがノックされても決して開けないでってやつですか?」


由子がそう聞くと久世は「ええ」と言ってうなずいた。


「本当にあるんですよ……。他の入居者さんからの話ですけどね。春川さんの分も買うのであと1匹選んでもらえますか。こういうのにどうも疎くて」


久世は頭を掻きながら照れくさそうに言う。


「え、春川さんのも?じ、じゃあ……これで」

「はい、すみません。会計してくるので少し外で待っていてください」


久世は由子がえらんだ真っ白な柴犬をカゴに入れると、レジに向かった。1人残された由子はそのまま店を出て手近なソファに座り、肩にかけたバッグから読みかけの文庫本を取り出す。今週の仕事の帰りに駅前の書店で買った好きな作家の新作だ。ページをめくり出すと没頭していたようで、久世が肩を叩くまで気がつかなかった。


「…………沙原さん?お待たせしました、帰りましょうか」

「あ、す、すみません……!気がつかなくて」


「それ……もしかして森野羊もりのひつじの新作ですか?」


由子が読んでいた文庫本の表紙を見た久世が何気なく尋ねてくる。ソファから立ち上がりかけた由子は「はい」と言った。


「く、久世さんも森野羊……読まれるんですか?」

「ええ。亡くなった妻が好きだったもので……今もたまに読んでるんですが面白いですよね。ちょっと怖くて、切なくて」

「で……ですよね!私もそう思います。あ、よければこれ貸しましょうか?」


由子の返事が意外だったらしく、久世は少し驚いた表情になる。


「え……いいんですか?」

「はい。他にもまだ部屋の本棚に積んでる本があって読みきれないので……どうぞ」


由子は手にしていた文庫本を久世に手渡す。


「なんだかすみません。では、遠慮なく」


久世は受け取った文庫本を片手に下げた300円ショップの茶色の紙袋にしまう。


「え、ええと……帰りましょうか。もうすぐ夜ですし」

「そうですね。なるべく時間をロスしたくないので帰りもタクシーで構いませんか?」


由子は無言で頷く。久世も頷き返し「行きましょう」と言った。



その夜。久世と団地の入り口で別れて404号室に戻ってきた由子は服も着替えずにそのままベッドに寝転ぶ。帰り道に渡された動く犬のぬいぐるみのことを思い出し、ショルダーバッグから出してカーペットを引いた床に置く。付属の箱に入れたままでも可愛かったがそれでは効果がないと思い断念した。前に買ってあった乾電池を2本、ぬいぐるみ本体の電池ボックスにセットして反応するか確かめる。


(うん、問題なさそう。後はこれを玄関ドアの近くに置いておこう)


由子はぬいぐるみを両手で抱えて鍵を閉めた玄関ドアから少し離して置く。午後の日差しが暖かかったせいか眠気がきたので再びベッドに戻り、薄い掛け布団に潜りこむようにして眠ってしまった。


どれくらい眠っただろうか。由子はふと目を覚ました。玄関ドアの近くに置いた犬のぬいぐるみがじいじいとモーター音をさせながら短い手足を動かしている。枕元の目覚まし時計を見ると針は午前2時を指していた。


(……こんな時間にどうして)


由子は何かに反応しているぬいぐるみを不思議な顔で見つめる。ベッドから起き上がるとぬいぐるみを取りに玄関ドアに近づく。その瞬間……チャイムが鳴った。由子は突然のことに驚き、ぬいぐるみのほうに伸ばした手を引っこめる。2回、3回。立て続けにチャイムが鳴る。続いてごんごんという叩きつけるようなノックが数回。


(だ、誰?)


緊張で顔を青くした由子の頭の中に一昨日、久世から言われた山辺団地のルールのうちのひとつが思い浮かぶ。「夜に玄関チャイムが鳴っても、ドアがノックされても決して開けてはいけない」というものだ。


(とりあえず、ドアスコープから覗いてみよう)


由子はそうっと足音をさせないようにして歩き、玄関ドアのスコープから外を覗いた。チャイムとノックの音が止まない。


(え……なんで。誰もいないのに)


由子は戦慄する。ドアスコープで覗いた外は壁が見えるだけで、誰もいなかった。



同刻。久世は団地内の見回りを終え、地下階に向かっていた。入居者の立ち入りは禁じているが、老朽化が進んでいるので念のため確認しなければならない。地上階の生ぬるさとは違ってひんやりとした空気が体にこもった熱を冷やしてゆく。ペンキが剥げ、錆びついた階段の手すりを伝って下へと下りてゆく。照明代わりのスマートフォンのライトがぼんやりと目の前を照らし出す。


(ここもダメか)


久世は手にあたった水滴を見て、上を見上げる。タイルが崩れて落ち、外から空気が入ってきているようだ。そこからさらに階段を下りていくとプレートすら付いていない赤錆だらけのドアがあった。久世は手が汚れるのもためらわずに開ける。開かれたドアから生暖かい風が吹きつける。


「…………ただいま、由莉」


久世はドアを閉めるとスマートフォンのライトを頼りに部屋の中央に向かう。そこには木の板と土が盛り上げられただけの簡素な墓があり、周りには向日葵の花が咲いていたが全て枯れていた。久世はその墓にかけよると両膝をつく。メッセージアプリの通知音が鳴った。404号室の沙原からだ。メッセージに目を通した久世の表情が途端に曇る。


「由莉……お前、まだ足りないのか。春川さんと私を呪っておいてまだ足りないのか」


つぶやく久世の後ろから肯定を示すように冷たい風が吹く。


「……やめろ。彼女はまだルールを破ってない。巻き込むのはよせ」


久世が懇願すると開かれたメッセージアプリの画面が乱れ『いま やぶった のろう』という文章が表示された。久世は「ひっ」と声を漏らし、スマートフォンを放り投げた後に尻もちをつく。地面に転がったスマートフォンが断続的に振動する。恐る恐るそれを取りに行く。画面を見て冷や汗がどっと吹き出た。


あなた

だけを

みている


久世の全身に鋭い痛みがはしった。耐えきれずにシャツの袖を両方ともまくり上げる。腕じゅうに植物の根が広がり、皮膚の上を脈打つように蠢いている。久世は顔の右側にも痛みを感じ、あわてて髪を掻き上げた。かゆい。スマートフォンのカメラを内側にして起動し、自分の顔の右側を映す。右目やその周囲から真っ赤な向日葵がいくつも生えていた。


(呪いが……進んだのか?)


久世はこれから自分の身に訪れるであろう事態を想像し……絶望した。

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