それが誰なのか気づいた金本の口から思わず呟きがもれる。
「どうしてここが分かったんですか……私、伝えてませんでしたよね」
「ああ。ええと、そうでしたっけ?勝手にお邪魔してすみません……忘れ物をしてしまって」
金本が問いかけるとアオシマはうろたえるようにそう言った。
「忘れ物ですか?」
「はい。とても大切なものなんですが……ちょうどそう、そのくらいの大きさの」
アオシマが金本が片手に握っているマガタマを指差す。
「それ……返してくれませんか」
床へ正座していたらしいアオシマがゆっくりとした動作で立ち上がり、前に進み出る。その背の高さとぬるりとした爬虫類かなにかのような動きに金本は自分の肌が粟立つ感覚を覚えた。貝木荘で夜間の間だけ灯される照明がぼんやりとその姿を照らす。
(この人、もしかしてアオシマさんじゃない……?)
「ほら、早く」
金本の目の前までやって来たアオシマが片手を差し出す。筋ばって細く、色の白い男性らしい手が朝見た時とは全く違う別人のものに思えた。よく見ると指先に生えた爪が妙に尖っている。
「金本さん」
アオシマが金本の名前を呼び、覗きこむようにしてぐっと顔を近づける。無理やり目が合う、そらそうとしても遅かった。さっきKスポットの現場で見た不思議な炎と同じ色、青と赤の二段に分かれた瞳がすうっと細くなる。
「《返してください》」
アオシマが金本にやけにはっきりした声で言う。金本の手が自分の意思に反して動き、マガタマをアオシマの差し出した手に乗せた。
「……ありがとうございます。では、お邪魔しました」
マガタマを受け取ったアオシマは満足した声で言うと、部屋から立ち去ろうした。桜野や夜見たちのいる玄関に向かう。
「……待て」
夜見が静止する。アオシマは立ち止まり、そちらを見る。
「どうされました?」
「部屋の鍵は閉まってた。開けたのはあんただろう、どうやって入った」
夜見が問うとアオシマは「ああ」と言って笑った。
「それなら……いただいたこちらの合鍵で開けました」
アオシマは着ていた暗い水色のレインコートのポケットから204のタグがついた合鍵を取り出して夜見の目の前へ掲げる。フードを被ったままで表情は見えない。
「え。合鍵って……渡しましたっけ」
金本が呟く。声が震える。自分があの時渡したのはスマートフォン1台だけだ。
「悠ちゃん、それ本当?」
「はい。だってまだ……持ってます」
桜野に聞かれて金本は自分のスーツの裾ポケットからアオシマへ手渡す予定だった合鍵を取り出した。
「じゃあ、彼が今持ってるのは」
桜野が言いかけた時、チッという短い舌打ちが聞こえた。アオシマが金本のほうを向いている。つかつかと歩み寄り、両手で肩を掴んだ。
「…………まったくタイミングの悪い奴だな君は。すぐにバレたじゃあないか」
金本の肩を掴んだアオシマの両手に力がこもる。金本は痛みで顔を歪めた。アオシマの両手を払いのけようとレインコートに掴みかかるが、びくともしない。目深に被っていたフードが外れる。
「あ……アオシマさん痛いです、やめてください」
「君が今後、二度とさっきみたいな失敗をしないと誓えるのならね……どうかな」
金本の訴えを無視してアオシマが口角を異様なほどにつり上げて笑う。長く伸びた犬歯がのぞく。
(……角)
逃れようともがく金本の目がアオシマの頭に片方だけ生えた深紅の枯れ枝のような角にすいよせられる。角は途中から欠けていた。朝に会った時はなかったはずだ。髪の色……特にメッシュ部分が濃い青と蛍光のピンク色が入り混じったなんとも嫌な色に変わっている。
(やっぱりこの人、アオシマさんじゃない)
金本はそう確信した。姿形は確かにアオシマだが、中身は別物……いや完璧に別の人物にしか思えない。ぱんっという小気味よい音がした。アオシマの行動を見かねた桜野が彼の頬に平手を食らわせたのだ。頬を張られたアオシマはそのまま床に倒れこんだ。桜野はその姿をきっと眉をつりあげて見下ろしている。
「急になんです。痛いじゃないですか」
「自分の担当者に手を出すなんて……あなた最低ね」
床に伏せたまま、まだ口の端に笑みが残っているアオシマに桜野が即答する。
「用は済んだんでしょう、さっさと帰りなさい。ここには……二度と来ないで」
「勿論、そうしますとも。では失礼します」
嫌な笑みを顔に貼り付けたまま、アオシマは外に出て行った。乾いた音を立ててドアが閉まる。金本はほっとして気が抜けたのか床にしゃがみこんだ。それと同時に思い出したものがある。昨夜のKスポット調査の時のアオシマの様子だ。今日と同じように別のスポットで雨男の噂を調べていた。さっきと全く同じ……粗暴というか冷たい感じ。金本の言葉にはほとんど耳を貸さず、自分の意にそわないものは徹底的に排除しようとする……。悪意の塊みたいな《彼》のことを。
(どうして忘れてたんだろう)
再び目にするまで気づかなかった。まるで誰かに記憶を
「大丈夫、立てる?」
金本がぼうっとしているのを見た桜野が優しく声をかけてくる。
「はい。すみません桜野さん……おかげで助かりました」
金本は桜野の手を借りずに立ち上がる。アオシマに先ほど掴まれた肩が鈍く痛む。
「とりあえず……みんな腹へってないか?何か食べよう」
夜見が部屋の照明のスイッチを入れつつ言う。金本の周りにいた蔵田と水木、桜野も賛成する。
「ですね。夕食まだでしたし」と蔵田。
「ああ……それがいい」と水木。
「じゃあ、すぐに何か作るわね。悠ちゃん準備手伝ってくれる?」
「は、はい!」
桜野に呼ばれた金本は少し緊張気味で答える。頭の中ではさっきのアオシマのことが気にかかっていた。
*
204号室の外。中から楽しそうな会話が漏れ聞こえてくる。あれほどひどかった雨は小降りになっていた。
「…………返すぞ」
その一言でアオシマの中の人格が裏から表へと入れ替わる。体ががくりと脱力した後、元の人格に戻ったアオシマはその場で膝をついて泣きくずれた。
「お前、お前よくも金本さんにっ、あんなこと……しやがって‼︎」
(何を今さら。黙って見ているしかなかったクセに)
コンクリートの床を握った拳で怒りに任せて何度も強く叩いたせいか、白い肌に薄く血が滲んできていた。裏の人格は
「……何がだ、全然よくないだろう。おい、聞いてるのか⁈」
アオシマが声を荒げかけた時、ふいに背後から肩をたたかれた。アオシマはびくっと体をこわばらせる。振り返ると黒い雨傘を差した小学生くらいの男の子が立っていてアオシマを見つめていた。奥には同じように雨傘を差した男性と女性の姿がある。着ているのは真っ黒なレインコートだ。
『ねえおじさん……だいじょうぶ?ぼくらでよければおはなし、きくよ?』
黒い雨傘の男の子がたどたどしさの残る口調でアオシマを心配するように言った。奥にいる男性と女性がゆっくりとうなずく。
「……あの、あなたたちは?」
『あめおとこ、ってよばれてる。おじさんとおなじ、ヨーカイだよ』
そう言って男の子が黒い雨傘をくるくると楽しげに回した。途端に小降りになっていた雨が強まる。
『ほら、いこう。こんなところにいたらかぜ、ひいちゃうよ』
「ああ……そうですね」
アオシマはうなずき、少年が差し出した手を取って立ち上がる。黒いレインコートからのぞいた小さな手は紙のように白かった。そのまま手を引かれ、貝木荘の二階を下へと進む。どうやら外に連れ出そうとしているようだ。
「どこに行くんですか?」
『それはひ・み・つ……かな。おじさんがおちつけるところ』
少年がアオシマのほうを向き、口の前でしいっ、と人差し指を立てる。
(そうだ、金本さんに……連絡を)
着ているレインコートのポケットを片手で探り、金本から手渡されたスマートフォンを探すがない。自宅に置き忘れたか。
(仕方ない。明日の朝、連絡しよう)
アオシマは諦めて顔を上げる。雨男たちが差す雨傘に雨粒があたる音がする。ここ数日雨天が多いのは彼らの仕業なのだろうか?
(いや……今はいいか。考えなくても)
いつの間にか裏の人格の声は聞こえなくなっていた。
*
後日、貝木荘の204号室に来ていた金本のスマートフォンのメッセージアプリにアオシマから謝罪の文と一緒に数枚の写真と動画が送られてきた。金本は早速画像を指先で押して開き、拡大する。
(……これ、あの夜にKスポットの横断歩道で見た人たちだ)
アオシマが撮ったであろう写真はどれも少しブレてはいたが、黒い雨傘とレインコートの3人組をとらえていた。金本は続いて送付された動画を開く。
(なんだ……これ?)
動画を見た金本の頭の中がはてなマークで埋めつくされる。そこにはアオシマ宅のベッド側に置かれた丸テーブルの上に乗った犬の玩具……だろうか。質感はぬいぐるみのようにも、ブリキ製のようにも見える。それがすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。もしかして中身は意外とハイテクなのか。
(とりあえず……夜見さんたちに見せてみよう、雨男についてあれから随分と議論していたし)
金本はそう考え、アオシマとの個別メッセージのやり取りに「わざわざありがとうございます、あの件はもう気にしていないので大丈夫です」とだけ送りスマートフォンを閉じた。