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第6話 イマニシヒカルの噂話

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五時間目が終わった。

一度は彼を起こそうと試みたが反応しない。それに窓際の暖かな日差しに包まれ無防備に眠る姿を見ていると、なんだか気持ちよさそうで起こしづらい。結局ホームルームも終わり、生徒たちが教室から出て行ってもまだ光は机に突っ伏して寝ていた。


(俺も部活あるんだけど……)


どうしようかと悩みつつ、勝行は誰もいなくなった教室で眠る光を見つめていた。


「さっき保健室でも寝てたよね……夜更かしでもしてるの? いい加減起きなよ」


キャラメルブラウンの細く柔らかい髪が、夕陽でオレンジに輝く。よく見たら眉も睫毛も色素が薄い。もしかするとこの髪色は地毛なのだろうか。肌も白いし、異国の血が混じっているのかも。なんにせよ、睫毛の長いその寝顔はまるで造り物の人形のように美しい。

初めて見たときも驚いたけれど、なかなかお目にかかれない美少年だよな、と思う。

その綺麗な頬の下には、しなやかな細長い指が折り重なった腕からはみ出ている。ピアニストにうってつけの、大きな手のひらと長い指。

楽器好きの勝行が欲しいと願ってやまない、理想の手の形だ。


(いいなあ、この手。羨ましい)


頬をつねったり、つむじをツンツン突いてみたり。鼻をつまんでもびくともしない。彼の指にもそっと触れ、ぐねぐねと揺らしてみたが、反応はなかった。


模範的優等生スタイルが板についた勝行には、居眠りでここまで熟睡できる光のがとにかく理解できない。自由かつ度胸のある大胆な性格があるからこそ、あの不思議と壮大な音楽世界を創り出すことができるのだろうか。

初めて聴いた時、強く印象に残ったあの曲は何度でも聴いていたいと思った。未だに忘れられない。


「どうやったらあんなすごいピアノ弾けるんだろう」


指をくねくね引っ張りながら、少し拗ねた苦言を零した時だった。


「まだ寝てるの? 今西くん」


呆れた女子の声が教室の向こう端から聴こえてきた。雑務を済ませて教室に戻ってきた藍だ。


「何しても全然起きないよ」

「そんなの、一発蹴り飛ばしたら起きるんじゃない」

「ええ……中司さんって結構過激だね」

「あっ、ごめん。つい」

「いや、サバサバしててカッコイイなあと思って」

「……そ、そう?」

「うん」


さらっと笑顔で誉め言葉を述べると、藍は驚いて頬を赤く染める。恥じらう姿は至って普通の女の子。初見から美人で勝気な印象だったが、問題児をまとめる組長のポストが非常によく似合う、頼りがいのありそうな人だ。


「今西くんって短気だし、見た目も話し方も怖くない?」

「ああ……うん、まあ。ちょっと」


思わずちらっと光の方を覗き見するが、まだ起きてきそうな気配はない。


「本人のいないところで悪口言うわけじゃないからいいんじゃない」

「ああ、なるほど」


ま、ぐーすか寝てる方が悪いって。

からりと明快な表情で答えた藍は、自分のスクールバッグを持ったまま二人の近くに座る。


「今西くんってさぁ、このへんじゃけっこう悪名高いヤンキーなの」

「……へ、へえ……」

「噂にすぎないけど、いつもガラの悪いヤクザみたいな連中とつるんだり、喧嘩してるらしくてね。怪我も絶えないみたいで、うちの病院の外来によく来てるの」

「病院?」

「そっ。うち、両親とも医者なんだ。でね、うちにはゴロツキの面倒みてる元ヤンの医者がひとりいて、その人が今西くんの親戚らしくて。だから大人たちはみんな、今西くんのこと知ってるの。知ってて放置してるっていうか……病院にいて学校にいなくても咎めないっていうか……」

「……なんだか複雑そう」

「私もよくは知らないのよ。でも大人たちや先生が怖がる存在っていうことはわかる。だからきっとヤのつく職業の家の子なんだろうなって。そんな噂」


なんとなく、教室内の雰囲気と彼の見てくれで予想はついていたものの、藍から零される情報はあまりいい話ではないようだ。


「……じつは私、兄がいるんだけどね。真也兄しんやにいって言って、今西くんに雰囲気似てて。喧嘩はめっちゃくちゃ強いの。格闘技もやってたからさ。その真也兄と今西くんが、去年衝突したことがあったんだよ。私偶然居合わせたんだけど、すごかったんだ。もうお互い場慣れしてて……」

「衝突……って、喧嘩?」

「うん、もちろん。格闘バトルだよ、バトル。男ならやるでしょ!」

「は……はあ」


この世で一番強いのは自分の兄だと夢見がちな目で見ていた藍にとって、それはまさに青天の霹靂な出来事だったらしい。


「ああ……あの時の今西くん、最っ高にかっこよかったんだよね……!」

「…………ん?」

「もっかい、見たーい! こう、真也がシュッと蹴りを入れても全部避けるの……超高速よ。その時目が閃光みたく赤く染まって手刀がバッと切りかかってきて!」

「……一応聞くけど、人間の話だよね」


真面目に聞いていたつもりだが、うっとりしたような声で語る壮大なファンタジーストーリーにすり替わってしまった気がして思わずツッコミを入れてしまった。

藍はすかさず「当たり前でしょ」と返す。一応、現実の声は届いているらしい。

だが天を仰ぎながら夢心地に戦闘中のくだりを語る藍の表情は恍惚としている。心なしか、彼女の周りには少女漫画のキラキラ輝くエフェクトもハートマークも飛んでいるような……。


「結局決着つける前に邪魔が入って、勝負はお預けになっちゃったんだけど。あれから今西くんがバトルしてるところは見たことないから、やっぱもう一回は見てみたい」

「ちょっと……それはよくないんじゃ」

「あ、そっか。喧嘩は駄目か」


えへへ、つい。

悪びれもせずにとんでもないことを発言する藍に、勝行は呆れて何も返せない。


「私、強い男の人が好きなの」

「……へ、へえ。まあ、そうだろうね」


彼女の饒舌な話しぶりを見ていたら、なんとなくわかる。

なにより凛とした勝気な彼女のオーラに気後れして、気弱男は近寄りもできないだろう。


「とにかく今西くんは本当に喧嘩強いの! ただ、それでいて家の悪い噂があるでしょ? だから怪しい噂のような、都市伝説のような話が学校中に広まっててさ」


昼間から物騒な連中と繁華街うろついてたとか。

まるで薬物中毒者かのように、フラフラ歩くところを見たとか。

彼が歩いた道の途中には、けが人がいっぱい倒れているとか。


都市伝説かとツッコミたくなるほどの物騒なネタが次々出てくる。


「それに加えて本人はあの性格でしょ。誰が話しかけても無視するし、機嫌悪かったらいきなり怒鳴るし、殴るし。みんな事件に巻き込まれるんじゃないかってすっかりビビッててね」


ここまで一気にまくしたてると、藍はふう、と息をついて勝行の顔を覗き見た。まだ何か言いたそうだ。


「……でも私はそんなに悪い人とは思えない」

「うん。俺もそう思うよ」


肯定の言葉を返すと、藍はほっとしたように胸を撫で下ろし、「だよね」と再び弾丸トークを始めた。


「あーよかった! 相羽くんならもしかしたらわかってくれるかなって思って話したの」

「俺、自分の目で見たものしか信じない主義なんだ」

「わかるわ、噂だけじゃ本当なのかどうかわからないしね!」

「そうだね。俺は引っ越したばかりで何も知らないし。さっきの話も聞かなかったことにする。今の段階で今西くんの印象としては……『平気で授業サボる人付き合いの悪い奴』くらいかな」

「そこだけ聞いても結構ろくでもない奴じゃん」

「ふふっそうかも」


悪口を言ったつもりはないが、思ったままを正直に言いすぎた気がして勝行も思わず苦笑した。


「保健室に給食持っていっても反応ないし」

「すっごい睨むだけだろ」

「そうそう、めっちゃガン飛ばすよね。プリント全部準備してあげた優しいクラスメイトに対しても冷たく投げ返すし」

「それ、さっきの俺?」

「あの瞬間クラス中の女子を敵に回したよね。みんなのアイドル・相羽くんになんて横暴な態度、今西光許すまじってオーラ凄かった」

「なにそれ」


耐えきれずくくっと笑い声を漏らした勝行を見て、藍も大口を開けて笑った。



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