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突然現れた金髪ピアスの生徒に、三年五組一同はどよめきたった。
教室一番奥の窓際、最後尾にある空っぽの机と椅子に今西光が座った。その姿を見るのが初めてなのは、転入生の勝行だけではないようだ。
当然、担任教諭も目を丸くして驚いていた。
「え、もう連れてきた!? すごいな相羽」
「委員長のお手伝いをしただけです。二人がかりだとうまくいきました」
「いやあ、お前に頼んでよかった。これからも頼むな」
勝行ばかりを褒め称える担任は、大人しく席に座っている光には視線も合わさないし、声もかけない。光も、憮然とした表情のまま窓の外を見ていて誰とも会話しない。
「先生。今西くんのとなりに席変えしてもいいですか?」
「ああ、そうだな。いいぞ」
担任はおろか、元々隣席に居た生徒も嬉々としてチェンジを受け入れる。
さくっと机の中身だけ交換すると、勝行は光の隣に座った。二冊のファイルを机上に出し、一冊を光の目の前にポンと置く。すると鋭い目でむっと睨まれる。
「これ、今日の学級会の資料。あと、修学旅行関係のプリント一式」
「……は?」
「四月から全然来てなかったんだろ。これ、先生から預かった君の分だよ」
眉間に皺を寄せたまま、光はファイルをパラパラめくっている。横からすかさず「今ここ説明中」とシャーペンで資料の番号を指し示しておいた。
黒板の前では、さっき一緒だった美人学級委員長――中司藍が、副委員長の男子生徒と一緒に立ち、司会進行している。今日の議題は修学旅行の部屋割り、班割りの後、各担当と自由行動のプランをメンバー同士で決める話し合いだ。
今日の午後はもうこの修学旅行準備のホームルームのみ。通常授業より断然楽だし、みんなあちこちで私語を挟み、和気あいあいとしている。楽しみが近づいてきて浮き足立っているようだ。
光は机に肘をついて暫しプリントを見ていたが、突然勝行に話しかけてきた。
「おい、修学旅行ってなんだ?」
「……え?」
「俺、関係あんの」
至極当たり前のようなことを突然聞かれて、勝行は一瞬思考回路が止まった。光の声のトーンは低い。教室の空気までもがぴりっと張り詰める。
(どういう質問だ?)
必死にその質問の意図を探ってみるも、検討がつかない。
「ええと……小学生の時に行ってない?」
「しらねー」
「知らないの?」
もしかすると小学生の頃から不登校で本当に《修学旅行》に行ったことがないのかもしれない。勝行はとっさに簡潔な説明を考えた。
「泊まりがけで社会勉強する団体旅行だよ。半分くらい遊びだけど。三年生は全員参加」
「は? 強制かよ。金もってねーぞ」
「お金……は……親が先に払ってる積立金で行くから、お土産代程度でいいんじゃないかな」
「ふんっ。俺にはカンケーねえな」
光は仏頂面でそう言うと、プリントファイルを勝行に向けて放り投げた。机上にバサッと落ちる音が響き、再び教室が静まり返る。
我関せずの光は腕組みをして机の上に突っ伏すと、睡眠する恰好になった。
「終わったら起こして」
言うが早いか本当に寝てしまったのか、光はそのまま目を閉じ寝息をたて始める。
「え、ちょ……今西くん?」
もう一度声をかけてみるも反応はない。
「おい、寝るの早くない? 一応授業中なんだけど」
あまりもの自由奔放ぶりに呆れるしかなかった。
「……もう。しょうがないな。寝てもいいけど、班分けとか役割とか勝手に決めるからね。どうなっても文句はなしだよ」
聞いてるのか聞いてないのかわからないが、時々もぞもぞと動くので一応聞いてると思うことにした。まあ今回は教室にいるだけで十分と思った方がよさそうだ。
だが二人のやりとりはクラスの注目の的だった。「なに、あれ……」といった非難の声がじわじわ漏れてくる。やがてその音は大きく広がっていく。
「ひどくない? なにあれ」
「相羽くんがあんなに親切に教えてくれてるのに。失礼だよね」
「不良は学校来なくていいのに」
「修学旅行、アイツと一緒だなんてヤダ、怖い」
「ねえ、あの子ってさ、親がヤクザなんでしょ。街で怖そうな大人と一緒にいるとこ見た人がいるって」
「マジ怖すぎ。巻き込まれたら終わりじゃん」
「つーか、相羽くんカワイソーじゃない?」
「転校早々、お世話役なの?」
「どうせ先生が押し付けられたんだろ、気の毒。事情知らないからって」
「そこ! 発言は挙手して堂々と言うように!」
パンと手を叩いて藍が一喝すると、一斉に虫が鳴き止んだかのように静かになった。なかなかの手腕である。彼女の方がわがままヤンキーなんかより強そうに見えるくらいだ。
だが、ダダ漏れで聞こえてきた愚痴や同情を一身に受けた勝行は、現状を少し理解した。確かに正直な話、付き合いやすいタイプとは言えないようだし、この見た目や不登校にも理由がありそう。
(あわよくば仲良くなって、音楽のこと話せるようになりたいんだけどなあ)
対人コミュニケーションは苦手だろうなと予想はついていた。そういう子の相手は他の学校でもしたことがあるので慣れたものだが、打ち解けてもらうには時間が必要だ。彼を理解し、意思疎通するにはまだまだ情報が足りない。
藍も壇上から心配そうに勝行を見ていた。「気にしないで」と勝行が手振りで合図すると、しょうがないと肩をすくめ、学級会の議事進行を再開した。
「では現地での班分けですが、とりあえず好きな人と組んでみて、揉めるようならクジ引きってことでどうかしら」
藍がそう告げると、みんなは待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、嬉しそうにあちこちでグループを作っていく。今西光のことなどもう眼中にもないのだろう、皆はワイワイと楽しげに談笑している。
「相羽くん、私たちと一緒の班にならない?」
何人かの女の子たちが、勝行の席までわざわざやって来て声をかけてくれた。どう見ても勇気を振り絞って誘いにきましたといわんばかりの、自分に気がある女の子たちだ。少しばかり考えてから、とびきりの笑顔を見せて勝行は答えた。
「ありがとう。うれしいな」
「きゃあーっ、やった! じゃあ」
「俺、今西くんと同じ班なんだけど。彼も一緒にいいかな?」
「えっ……」
「今西くんって、修学旅行来るの?」
「ちょ、ちょっと……男子二人だと定員オーバーになるかな。残念……」
頬を染めて勝行の笑顔を見つめていた女の子たちも、光の名を聞いた途端さっと青ざめ引いて行く。同じパターンで誘いにくる女の子の全てに同じ答えを返し、同じように遠慮して行かれるということを繰り返しているうちに、中司藍がやってきた。
「相羽くん、班決まった?」
「一応今西くんとは勝手に組んでるけど。それ以上増えない」
「そっか。でもさっきから告白ラッシュみたいに女の子沢山きてなかった?」
「理由は知らないけど、今西くんも一緒にって言ったらみんなダメって言ってどこか行っちゃうんだよね……。俺の魅力なんて、所詮そんな程度」
「よく言うわ……モテモテじゃない」
肩をすくめて自嘲する勝行を見て、藍は思わずあきれ顔を零した。勝行は穏やかな笑顔を崩さないまま、お決まりの世辞をあしらうかのように否定する。
「残念だけど、俺そんなにモテないよ」
「相羽くん……告白されたことない男子がそれ聞いたら絶対一発ぶん殴られるわよ」
――君、アイドルか王子様みたいって言われてちやほやされてるんだから。
藍の嫌味混じりな忠告は、悪気があって言っているものではないのだろう。
勝行自身もわざと「良い人」と思われるよう
男女問わず誰にでも物腰柔らかく接する。頼まれたことは極力努力するし、親切な人には必ず礼を言う。笑顔を絶やさない。
どの転校先でもだいたいこれで乗り切ってきたし、勝行もなんとなく周囲の好意は感じ取っていた。いい奴に思われているのならむしろ本望だ。
だが、順風満帆に人気者ライフを送っていた自分でも、手に負えない厄介者のお荷物が隣にいる。困ったものだ。
「ふーん。じゃあちょっとそれ貸して」
藍は勝行の班メンバー表を手に取ると、下に自分の名前をさっと書いた。
「とりあえずこれで三人確保ね。もう一人くらい欲しいところだけど、一応班としては成立するわ」
「あれ、いいの。委員長の友だちは?」
「いーのいーの。私も今西くんのこと先生に頼まれてる身だし。その代わり、班長は相羽くんがやってね。先生ったらなんでもすぐクラスの雑務を押し付けてくるから、きっと手が回らないわ」
「委員長が頼りがいありすぎるんだよ。俺たちのことは気にしなくていいからね」
「ありがとう。正直な話、それ助かる!」
すやすや眠る光の隣で、藍と勝行は互いを見つめ合って苦笑した。