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第3話 そのピアノが聴きたくて

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「転校したばかりで校内迷ってました」の一言で、遅刻のお咎めからは逃れられた。

二度目の言い訳には使えない。それでも登校するたび、どこかの休み時間に第二音楽室を覗き見する。これがすっかり勝行の日課になってしまった。


金髪ピアノ少年。

学年も名前もわからない。毎日居るわけでもないし、他の教室では見かけない。謎すぎるその姿を訳もなく追い求め、演奏中に出会えれば嬉しくなる。そして堂々と一声かけることにした。


「ねえ、今日も聴いていい?」


とはいえ彼は演奏に夢中で気づかない。視界に入る位置までわざと出向き、目を合わせてから話す。

それでも返事はない。代わりに睨まれるが、すぐピアノに視線を戻してしまう。演奏はやめないので、別に聴いててもいいんだなと都合よく解釈して、時間の許す限り彼が奏でるピアノ曲を聴いていた。


病的なほど演奏に没頭するその姿は、天才奇才と呼ばれる音楽家のようだ。

彼は本気でピアノしか見ていない。

きっと勝行のことも一度は気になるけれど、ただの景色か置物だとでも思っているのだろう。話しかけても一切反応しないし、ずっとピアノの鍵盤に向き合ってその手を止めることはない。


「楽しそうに弾くね、君」


なんて感想を述べても、ただの独り言になってしまうのだ。

愛おしそうに撫でて優しい曲を奏でたり、辛そうな顔をしてドーンと重苦しい曲を弾いてみたり。楽しそうな時は全身ノリノリでアンダンテヴィバーチェの旋律を現している。その感情表現豊かな演奏は見ていて飽きない。

そしていつも、違う曲を弾いている。

どこか聞き覚えのあるフレーズでも、毎回違うアレンジ。伴奏も違うし、馴染みあるメロディが来てもその先が読めず、耳で覚えきれない。


「え、そこで変調するの? さっきと違う。面白いなあ」


奏でる音楽はむしろ、即興で創っているようだ。まさに楽譜のない、ソロコンサート。

見た目はどう見ても校則違反だらけだし、おそらく授業もサボっているのだろう。色々ツッコミどころが満載だ。

品行方正を是としてきた優等生の勝行には考えられない。真逆のタイプ。

だがそんな彼を中心とする自由気ままな音楽空間に、なぜかどうしようもなく魅かれてしまったようだ。ここにもし、ギターのフレーズをひとつ投げ入れたらどう変化するだろう……なんて考えただけで好奇心が止まらない。


(一目ぼれ……?)


彼の音楽にすっかり魅了されている自分を揶揄したら、こんな言葉を思い付いて失笑した。だとすると今の自分は、まるでストーカーではないか。そう考えたら彼に無視されても仕方ない。


ふと、始業チャイムが聞こえてきた。


「あっ……まずい」


これは遅刻確定だ。彼の紡ぐ音楽に浸りすぎて移動時間のことを忘れていた。焦る勝行は未だ演奏をやめない少年に「またね」と告げ、部屋を飛び出し階段を駆け降りた。

急ぎ足で教室へ向かう途中、次の授業の教師――担任の姿を見つける。ここで追い抜かしても遅刻が丸わかりだ。一か八かの勝負に出る。


「先生、お疲れ様です」


急いできた体を装って隣に駆け寄り、キラキラエフェクト付き会釈を投げる。

これぞ必殺・《ごまかしの御曹司スマイル》。何も知らない担任は「おお、相羽か」と笑顔で応えてくれた。


「学校には慣れたか?」

「はい、なんとか」

「職員室にでも行ってたのか」

「あー、はい。ついでに教室の配置を覚えようと思って散策を……。でも音楽室まで行ってしまうと、休み時間中に戻れませんね、失敗しました」

「音楽室は一番遠いからな。あーでもお前、そのへん行ったのか。アイツ見かけなかったか」

「……え?」


担任からいきなりそんなことを尋ねられ、勝行は戸惑った。それはもしや、あのピアノ少年のことだろうか。

勝行は恐る恐る質問してみた。


「あのう、アイツとは」

「あ、悪い悪い。うちのクラスに一人、不登校してる奴がいるだろ?」

「……はあ」


一応クラスメイトは全員把握しているつもりだが、ずっと不登校なのであれば存在すら知らない。そういえばいつも教室一番後ろの窓際席が空いている。


「こう、見るからにヤンキーな、茶髪にメッシュしてたりする奴」

「……!」


これは彼の情報を入手するチャンスかもしれない。勝行は正直に答えることにした。


「明るい茶髪の男子なら、音楽室にいました」

「そうか……いたか……面倒くさい奴だなあ……」


担任が零す舌打ち音を聞いて、勝行はハッとした。

この後もしかすると彼は教員に捕まって罰を下されるかもしれない。悪気はなかったものの、チクる形になったのなら言わなければよかったかも……。だが担任は思いもよらぬことを提案してきた。


「正直な話、相羽はあれと会話できそうか?」

「会話、ですか?」

「お前は気さくで話しかけやすいって、クラスの皆から既に人気あるらしいじゃないか。アイツも一応うちのクラスなんだ、一度しゃべってみたりできないかな」

「はあ……できますよ。返事もらえたのは一度きりですけど」

「は、話したのか!?」


急に担任が振り返り、勝行の肩を掴んだ。


「すごいな相羽! ならアイツとも仲良くできそうか!」

「えっ?」


思わず身構えたが、予想とはずいぶん違うことを言われて勝行は面食らった。


「今度、教室に来いよって誘ってくれないか? できれば今後もずっとアイツの面倒をみ……というか、仲良くしてくれると嬉しい。先生だと近づくだけで抵抗するから、ああいうのは同い年同士の方が何かとうまくいくっていうか」

「……はあ。要するに友だちになって、授業に連れて来いということですか」

「そ、そういう言い方もするかな」


どうやら担任は自分の抱えた問題児の世話を勝行に押し付けようとしているようだ。突然無茶なことを言った自覚はあるらしく、情けない声で耳打ちしてくる。


「協力してくれたら内申点アップ、約束するぞ」

「……」


(先生、ずいぶん必死だな)


正直ズルをしてまで成績を上げたいとは思わないし、切羽詰まるほどの成績でもない。

だが担任は困っていそうだ。何よりこれは彼を知る絶好の機会――。「いいこと」を思いついた勝行は、腰の低い担任に向かって取引条件を挙げてみた。


「実はさっき、気になったんで話しかけてみたんですよね。休み時間終わるよって。でもチャイムが鳴ったので俺だけ急いで戻って来たんですが、この時間で」

「お、おお……!」

「無理強いすると嫌われる可能性もあるし。こういうのって、ある程度時間が必要だと思うんですよ。場所も教室から遠いし……。なので呼びに行って授業に遅れた時、僕を遅刻や欠席にしないでいただけるなら。そのお役目、引き受けてもいいですよ」

「そ、そんなのは大丈夫だ! もちろん、うん。先生がなんとかする!」


担任はいとも簡単にこの話に食いついた。勝行の肩を掴み、バンバン叩いてくる。


「いやあ助かる、ありがとう!」

「他の先生方はご存知なんですか」

「ああ。僕らも指導してるんだけどなあ。大人の話は聞きもしないですぐキレるし、二年の途中までは学校にも来ないで外で喧嘩ばかりしてたっていう、悪名高い奴で」

「へえ……喧嘩」

「あ、いや、僕も去年ここに来たばかりでアイツの事はあまり知らなくてだな。あくまでも噂だぞ、噂。今は養護の西畑先生が指導中でな、二年の秋から登校だけはするようになったんだわ」

「そうなんですね」

「まあ、いわゆる保健室登校ってやつだ」


最後は体よく濁されたが、そんな登校が許されているということは、何か裏事情がありそうだ。見た目は確かにアレだが、彼のピアノを聴いている限り、そこまで悪そうな人間には思えないのだが。

きっと他人に迷惑をかけない範疇であれば、触らぬ神にたたりなしと判断し、指導もせず放置しているのだろう。どこに転校しても学校現場では様々なパターンの不登校児を抱えていたし、だいたい想像がつく。


「あ、奴が学校に来てない時は何もしなくていいからな」


むしろ完全不登校を待ち望んでいるかのような担任の物言いに、勝行は少し呆れた。


「ちなみに学級委員長にも奴のこと頼んでるから、二人で協力してくれ」

「わかりました。でも一番肝心なことを知らないんですけれど、訊いてもいいですか?」

「お、おう? なんだ」

「彼の名前は?」

「……え? あ、ああ。言ってなかったか」


そうだ相羽は知らないんだったなと再び頭を掻きながら、担任はその名を告げた。

これから勝行の人生を大きく動かす、未来の友人の名を。


「あれは今西光。三年五組の出席番号一番だ」



――【イマニシ ヒカル】


あの天使の羽根が舞う音楽世界への鍵を一つ、やっと手に入れた。


それは初夏の風が淡く薫る五月下旬。

勝行が今西光に初めて出逢ってから、半月以上経った頃のことだった。



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