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第2話 金髪ピアスの少年

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五月一日。メーデーなんて関係ない学生たちが、連休を控えて浮かれモードになる季節。

市立佐山中学校に転入して間もない勝行は、初めて西校舎に足を踏み入れた。西校舎には図書室や図工室、家庭科室といった特別教室が配置されているらしい。二時間に及ぶ美術の授業を終え、教室へ戻る仲間の後ろをトレスして歩いていた勝行は、ふと耳馴染みのいい音が聴こえてきた気がして足を止めた。


――ピアノだ。

階段の上から聴こえてくる気がする。

上がった先に音楽室でもあるのだろうか。


談笑しながら同級生が階下に降りていく中、勝行は気になって上へと足を向けてみた。

三階フロアに入り、軽やかなその音色を頼りに音楽室を探す。辿り着いた先は廊下突き当たり――『第二音楽室』。

半分開いたスライドドアの向こうから、流暢なピアノ曲が聴こえてくる。

それはまだ聞いたこともない、朗らかなメロディの楽曲だった。素早い高音旋律と、波のように重なりそれを護るような伴奏。春の暖かい日差しや優しさを表現したかのような音楽だ。

廊下に転がる上靴はひとつだけ。

このピアノを弾いているのは一体どんな人だろう――興味が湧いた勝行はスライドドアに手をかけ、室内を覗き見た。


(え……金、髪……男?)


ドアの向こう側。ピアノの前で指を動かすその人は、演奏中の音楽から想像した姿ではなかった。


金に近い、明るいキャラメル色の短髪。

自分と同じ、深緑のブレザーにチェック柄のスラックス。シャツの襟は開けたまま、ネクタイは見当たらない。その横顔でキラリと光るのはシルバーのピアス。反対側の前髪には、綺麗なエメラルドグリーンのメッシュが見える。

どう見ても校則違反だらけのドハデな姿。いかにも悪ぶっていそうなヤンキー風情の少年だ。そんな彼の白くて細長い指が、滑るようにモノクロ鍵盤の上で踊りまわる。


(……制服着てるってことは、同じ中学生だよな)


彼の見た目はともかく、生み出す音は随分綺麗で繊細だ。しかも聴いたことのない、新しい曲。これを同い年の中学生が演奏しているだと――勝行はすっかり彼の手元に釘付けになっていた。

春の蝶が舞い、夏の虫が鳴き、秋のススキがなびくような、異質なメロディが組み合わさった、不思議な感覚。ソロなのに多重奏にすら聴こえる、トリックミュージック。

――アンプロンプチュ。

自由気ままで、開放的。


その時弾きたいなと思った気持ちを自由自在にそのまま弾いているようだ。それは鳴るたび秒で儚く消え――だが力強く自由に躍動する。転調もはちゃめちゃ。ルールなんてあったものじゃない。だがなぜか壮大なファンタジー物語のオープニングのような、大自然の映像が脳裏に浮かんだ。


(これ……すごい……)


一見おかしな光景だということをすっかり忘れ、勝行はその音色にいつまでも聴き入っていた。

だがふと音が途切れ、曲が終わる。


(あ……終わっちゃった……)


覗き見という立場も忘れ、勝行は思わず声をかけた。


「それ……何の曲?」

「……!?」


勝行の声に気付いた少年は、すごい勢いでこちらを振り返った。そんな少年の顔を真正面から見て自分も驚く。


(……う、わ。びしょうねん)


窓を背にした逆光でもはっきりわかる、切れ長で鋭い瞳。

ものすごく綺麗に整った――精巧な人形のよう。

一瞬女性かと紛うほどの美人という以外、表現が思いつかない中性的な顔立ち。だからこそ余計そのファッションセンスがダサくて違和感だらけ。


彼は勝行の姿を捉え、威圧的に睨みつけてきた。固く閉じていた唇はうっすらと開き、

「……悪いか」

と、低い声を漏らして呟く。

あまり質問の答えになっていないその反応に違和感を感じ、勝行は慌てて二言目を加えた。


「あ……いや……もっと聴きたいんだけど。その曲」


金髪ピアス少年は、「はあ?」と眉をひそめた。そりゃ初対面の男にリクエストされても困るよな、と改めて思う。だがその鋭利な瞳は、逸らすことなく自分をまっすぐ見つめ返してくる。まるで心の中まで透視されていそうな感覚。勝行は思わずたじろいだ。そういえば、自分は黙ってこっそり盗み聴きしている存在だった、と今更に思い出す。


少年はしばらく仏頂面で睨み続けた後、何も言わずピアノに向き直り、再び演奏を始めた。

さっきとは少し違うが、どこか楽しそうなフレーズ。

軽いアレグレットで始まる第二楽章。

今度は澄み渡る青空にふわりと漂う雲のような、ほんわり爽やかなリズム。なんだかんだでリクエストに応えてくれたのだろうか。それとも、無視された?

一切こちらを振り返らないその背中に、半透明で薄く白い、翼のような何かが見えた気がした。


(……なんだろう。あれは……天使……?)


幻想的。繊細。

神秘の世界。

そんな言葉が似合う少年の旋律は優しげで温かい。微細なその音の肌触りが心地いい。

一人演奏に酔いしれているのか、彼は目を閉じ微笑みながら鍵盤を撫で回している。それはまるで、自宅でひとり楽器に埋もれて作曲する時の自分のようだった。


もしかするとひとり遊びの度が過ぎて、理想のパートナーを妄想で生み出してしまったかも。けれど本当にこれが現実ならば、彼の生み出す楽曲は永遠に聞いていられる。それほど、勝行の耳に馴染む愛しい音楽ばかりだった。


勝行はそのピアノ演奏を聴くことに夢中になりすぎて、教室移動中だったことをすっかり忘れていた。

だから次に現実世界に意識を戻したのは、授業開始のチャイムが鳴り響いた時だった。

少年はチャイムが鳴ってもその場から動かず、いつまでも自由にピアノを弾いていた。

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