感染獣の討伐作戦を計画した一週間後――、可能な限りの準備を終えたジェノとビビ、アミーナの三人は再び放置地区へとやって来ていた。
ビビがゲートの修理を始めれば、再び放置地区に響き始めるゲートの低く唸るような駆動音。ゲートが青白い光を放ち始め、そして程なくして建物に感染獣がやってくる。
「よう、バケモノ」
そしてジェノはその感染獣を挑発するように姿を現していた。
熊のような見た目の感染獣の瞳にジェノが映れば、感染獣は周囲に咆哮を響かせる。胃の奥にまでずっしりと感じるその音圧に怯みそうになるが、ジェノはその手に持った火縄銃を構えると、感染獣に対して発砲する。
瞬間、火縄銃から放たれた弾丸が感染獣の胴体に命中する。しかし、放たれた弾丸に対して感染獣は何のダメージも負ってはいない。
「猟犬組で調達してもらった火縄銃も効かないよなぁ……。せっかくアミーナが用意してくれたから使ってみたんだが……。仕方ねぇ……、こっから先は計画通りだ!」
感染獣はジェノが攻撃を仕掛けたことを理解したのだろう。両腕の爪を広げると、口から涎を滴らせながらジェノへと向かった。
「へへっ……、こっちだバケモノ!」
ジェノは火縄銃をその場に放り出して走り出す。そしてジェノが手にしたのはすぐ傍に置いていた円盤。
それはビビが感染獣から逃げる為に使っていたものだ。その円盤を投げると、瓦礫の散乱した地面に浮き上がる。
背後に迫る感染獣から逃げるように円盤に跳び乗れば、円盤が前方に向かって走り始める。風を切るように加速する円盤は感染獣との距離を開けていき、ジェノは感染獣が自分を追っていることを確認した。
怒りの形相を浮かべた感染獣は駆動音を響かせているゲートに見向きもせず、加速するジェノを追いかけていた。
(旧時代の玩具様様だな。この道具なら普通に逃げるよりも速い。それに……、やっぱりあのバケモノにとってゲートは無価値。あいつは俺達を追いかけまわす方が優先なんだな)
前回襲撃を受けた時、ビビがゲートの修理をしている時にも感染獣は駆動音を響かせているゲートではなく、その傍にいたビビやジェノ達を襲おうとしていた。
感染獣にとってはジェノやビビの存在が餌であり、狩りの対象だったのだ。
円盤に乗ったジェノが前傾姿勢をとるように体重移動をすると、円盤は瓦礫の上を一定の高さを維持しながら走り続ける。感染獣は瓦礫を蹴散らしながら、そんな彼の後ろを追っていた。
「始まったぞ。修理を急いでくれ!」
「頼みますよ……、ジェノさん」
そんなジェノの様子を見ながらゲートの傍で修理を始めるビビ。その隣にはアミーナも控えている。だが二人の姿は感染獣には見えていない。
二人はそれぞれに自分達の姿を消すためのマントを羽織りフードを被っている。そのマントが光学迷彩として周囲の風景に二人の姿溶け込ませて、見えないように隠していた。
ジェノが乗っている円盤、ビビやアミーナの使っているマント。それらはアーカイブに残っていたなけなしのエネルギーや資材でようやく調達できた、今の状態で用意できるアイテムだ。
三人はこの日の為にアーカイブの残りの機能の全てを賭けている。今回の作戦が失敗に終われば世界の再建は今以上に遠のくだろう。だがそれは感染獣を放置しても変わらない。
だからこそジェノもビビも今回の作戦に全てを賭けたのだ。
「うおっ、やっぱりあいつの方が速いのか!」
ジェノに迫る感染獣が速度をあげる。
その爪がジェノの背後を掠め、寸でのところで交わしながらジェノが瓦礫を飛び越えるように円盤を走らせれば、感染獣が瓦礫にぶつかり、動きを止めていた。
「へへっ! この一週間、ずっとこいつを乗りこなす為に練習したんだ。このくらいならどうってことないぜ!」
言いながら円盤の上に立つジェノが不敵な笑みを浮かべれば、再び響く咆哮。ジェノの抵抗に感染獣自身も怒りを覚えているのだろう。
感染獣が瓦礫を蹴散らしながら走り始めれば、ジェノも再び円盤を加速させて距離をとる。全てはビビのゲートの修理次第だった。
「おい、まだか! そろそろ逃げ場がなくなるぞ!」
「もう少し……、もう少しです……!」
焦りの表情を浮かべるアミーナ。
それもその筈、最初からジェノが円盤だけで感染獣から逃げきることは不可能だ。感染獣の速さはジェノの乗っている円盤の速度よりも僅かに速い。
それでもジェノが逃げきれているのは、ゲートの置かれている建物の周りに、瓦礫や昔の建物の残骸が残っているところが大きい。
ジェノが器用に円盤を操りながら障害物となる瓦礫を避け、速度を保ったまま飛び越えれば、突進することしかできない感染獣の動きが遅くなる。しかし、今回の作戦を成功させるためにはジェノはゲートから大きく離れることはできないし、時間が経てば経つ程に、周囲の瓦礫は少なくなっていく。
「よっ……! くっ……!」
ジェノが瓦礫を飛び越えれば、再び瓦礫にぶつかる感染獣。しかし感染獣は瓦礫にぶつかったとしても、なんのダメージも負ってはいないようだった。
「ったく……、火縄銃も駄目。瓦礫にぶつかってもダメージ0とか、反則過ぎるだろうが!」
ジェノが毒づきながら円盤を加速させる。だがその時だった――、
「なっ……!」
円盤が加速せずに、高度を落として地面に落ちる。円盤から降りたジェノはギリギリで踏みとどまることができたが、円盤はもう飛べそうにない。
全速で稼働に、思っていたよりもエネルギーを消耗していたのか、もう走れそうになかった。
「やべっ……。やっぱりこいつもポンコツだった」
ジェノが感染獣を見れば、感染獣が僅かに口元を緩めている。その姿は、もうこれ以上はジェノが逃げられないことを察しているかのようだった。
このままでは確実に殺される。
ジェノはその場から駆け出す。しかし、とてもジェノの脚では逃げ切れる速さではない。感染獣が涎を滴らせながらジェノに迫り、その爪を振り下ろそうとする。
しかし感染獣の爪はジェノに当たることなく、彼の走っていた場所で空を切った。
「ジェノ、しっかり掴まっておけよ!」
「アミーナ!」
死を覚悟したジェノ。
そんな彼を助けたのは、異形の姿になったアミーナ。彼女はジェノの乗った円盤が落ちた瞬間、反射的に力を使って彼の元に駆けつけていたのだ。
「馬鹿っ! この力を使ったら――」
「良いんだ。こっちはもう準備ができた」
ジェノの言葉に笑みを浮かべるアミーナ。彼を背負って、脱兎のごとく走っていく。そしてアミーナの向かう先には、青白い光を放つゲートが稼働を始めていた。
「ジェノさん、アミーナさんとこっちに逃げてください! もうつながってます!」
マントのフードを外したビビが手を振っている。
「行き先は、とびっきり過酷な場所にしておきました!」
アミーナとジェノを追うようにして、再び走り始めた感染獣。そして
アミーナがゲートに向かえば、青白い光が二人を包み込み、その後を追うように感染獣もまたゲートを潜る。
目のくらむような光を感じ、アミーナの背から落ちるジェノ。そして彼が感じたのは頬を刺すような冷気と激しい吹雪と冷たい雪の感触。目に映ったのは一面の雪原だった。
「ガアァァァァァァァァァァァァッ!」
その雪原に響き渡る咆哮。見れば、感染獣もアミーナとジェノの後を追って、ゲートの光に包まれたことによって転送されたのだろう周囲を困惑した様子で見回していた。
そして、これが二人の狙いだった。
「くらえっ!」
周囲の状況がいきなり変化し適応できずに咆哮していた感染獣にアミーナが肉薄し、その顎を蹴り上げる。
その攻撃によって僅かによろける感染獣は雪に足を取られて転倒すれば、その僅かな隙を見逃さずにアミーナはジェノの腕を引いて、再びゲートへと走りだす。
「じゃあな、バケモノ!」
ジェノの捨て台詞と共に、再び二人を包み込む青白い光。
よろけていた感染獣が雪に足を取られる中、ゲートの向こうへと姿を消した二人。そして次の瞬間には感染獣の目の前でゲートの青白い光が消える。
そして何もない雪原に、感染獣は取り残されてしまったのだった。