放置地区から命からがら逃げ延びたジェノとビビ、そして異形の姿となって二人を逃したアミーナは放置地区を出て元の姿に戻った瞬間にその場で膝をつき、ジェノは彼女を暮らしている部屋へと連れ帰った。
本当ならば、すぐにでも妹のカミナの待つアミーナの家へと帰らせるべきなのだろう。しかし、アミーナはカミナには心配を掛けたくないと家に帰ることを拒んだのだ。
どうやらアミーナが異形になる力を使うことは、相応のリスクがあったのだろう。ジェノの家に辿り着くなり、アミーナは気絶するように倒れ、今はジェノの使っている布団の中で眠っていた。
「どうやら落ち着いたようです。ですが、さっきのは一体何なのでしょう? あんな現象は私も今まで見たことがありません」
「俺が知ってる訳じゃないだろ。むしろ、こういうのはお前の分野だと思っていたんだが?」
「うぅ……。その通りなんですが、おそらくは世界が荒廃した後に造られた技術を使っているとしかわかりません。感染獣とかいうあの生き物についてもアーカイブには記録がありませんから、荒廃した後に現われたとしか……」
アミーナの診察をしていたビビの言葉に嘆息するジェノ。
おそらくビビの言葉は正しいのだろう。こうなると、アミーナの力については本人に訊ねるしかなさそうだ。
「とりあえず私はカミナさんのところに行ってきますね。アミーナさんが帰らないと心配すると思いますから」
「一人で大丈夫か?」
「いえいえ、ジェノさんとアミーナさんの邪魔をするつもりはありませんから」
「おいっ……」
ジト目で睨むジェノに対して意味深な笑みを浮かべると、部屋を出て行くビビ。
部屋の中にはジェノとアミーナの二人が残されることになるが、だからといってジェノに出来ることは何も無い。ただ彼女の傍で、アミーナが目を覚ますまで待つことしかできなかった。
そんな時間がどれくらいすぎただろう。
「ここは……」
不意に口を開いたアミーナの唇。ジェノが顔を上げれば、アミーナがボンヤリとした表情で天井を見ていた。
「起きたのか?」
「あ、あぁ……ジェノか……。そうか……アタシは……」
どうやら自分が異形の力を使ったことを覚えているのだろう。アミーナは身体を起こすと、どこか悪戯っぽく笑って見せた。
「なんだ。気を失った私を家に連れ込んだのか? 布団には寝かせてくれていたみたいだが、手を出さないのは男の恥だと思うんだが?」
「そんなことできる訳が無いだろ。それよりも説明しろ、あの姿は何だったんだ? まるで感染獣みたいだったじゃないか」
ジェノの問いかけにアミーナはため息を吐くと、概ね間違っていないと笑ってみせた。
「さっきのは間違いなく感染獣の力だよ。今のアタシは、少しだけ感染獣の力が混ざっているんだ。もっとも、長い時間は使えないし、少しでも使うと今回みたいにぶっ倒れる事になるがな」
「どうしてそんな力を?」
「必要だったからさ。花街の客引きとして、いざという時は姉さん方を守るような役目も任されていたからな」
アミーナが言いながら髪を搔く。そして彼女は自らの目の下の傷に触れた。
左目から鼻上を通り右目の下まで引かれた一筋の傷痕。随分と篩い傷のようだが、彼女の顔にハッキリとした痕を残していた。
「アタシはこの花街で産まれたんだ。母親の顔も父親の顔も知らない。おそらくは花街の娼婦が母親なんだろうな。だが、物心ついた時にはアタシはカミナと一緒に娼館の姉さん達に面倒を見て貰っていた」
聞けばカミナとアミーナには血のつながりも無いかもしれない。ただ同じように娼婦の誰かが産んだ子として、娼館で姉妹として育てられていたらしい。
「この傷はアタシが自分自身でつけたんだ。たぶん姉さん達は私が遊女になると思っていたんだろう。だけどアタシは遊女になるつもりなんて最初から無かった。だから自分で顔に傷をつけたんだ」
アミーナは母親のことを憎んでいた。
自分を育ててくれた遊女の姉達については感謝をしている。それでも、母親と同じ遊女になる事を彼女は拒絶したのだ。
「顔に傷のある女は遊女になれない。だからアタシは花街で暮らす為の条件として、娼館の客引きをするようになった。んで、この力は猟犬組のチンピラに、娼館を守るボディガードとしてこの力を身に着けるように命令されたんだ」
聞けば、アミーナが客引きとして働き始めた時に、一本の注射を打たれたらしい。その注射がどうやって作られたのかは知らないが、その注射を打たれれば、使用後は倒れてしまうというリスクを背負いはするものの、注射の元になった感染獣の力を得ることができるようになる。
「たぶん、アタシの身体はもう人間っていう枠組みからは外れているんだろうな」
「アミーナ……」
「そんな顔すんなよ。この力があったおかげで、今回はあの感染獣から逃げることができたんだ。こうなるかもしれないってことは、放置地区に向かうって決めた時に薄々は思っていたんだ。こんなバケモノみたいな力、できれば頼りたくはなかったけどな」
そう言っていつものように明るく笑うアミーナ。
だが今、彼女の表情を隠す帽子は無い。帽子は彼女がビビを助ける時に、彼女が放置地区に落としてきてしまった。
だからジェノは彼女が本当は恐れていることが分かった。
「ありがとうな」
ジェノが自分から視線を逸らすアミーナの手を取る。瞬間、アミーナの顔がクシャリと歪んだ。
「バカか? アタシのこと……怖くねぇのかよ?」
「怖くない」
「身体が感染獣と同じバケモノなのに?」
「どこがバケモノなんだ? 変身ヒーローみたいじゃないか」
「バカ……。ガキかよ……」
ぽろぽろと彼女の頬を流れる涙。そしてアミーナは彼の肩に自分の額を押し当てる。僅かに聞こえる嗚咽。
「まだ身体が怠いんだ。しばらくはこのままでもいいだろ?」
「好きにしろよ」
聞こえてくるのはアミーナの涙声。
強がって泣き顔を見せようとはしない彼女の嗚咽を、ジェノは彼女が落ち着くまでずっと聞き続けていたのだった。