凍てつくような寒さと吹雪で覆われた世界。そんな世界において感染獣と呼ばれるその生き物は更に特異な存在だ。
元々は感染獣も野生動物がベースになっていると言われている。しかし、今の世界に適応する為か、もしくは何らかの外的要因が原因になったのか。
感染獣と呼ばれる生き物は頑強な肉体と獰猛な性質を備え、雪に覆われた世界を跋扈するようになっていた。
遺伝的にも明らかに他の生物には無い特徴を持つ生物は、吹雪の続く過酷な自然にとどまることなく鉱山都市へとやって来る。それは人を捕食対象と見ているからなのかもしれない。
そして大型で気性の荒い獰猛な感染獣が街に近付いた時に鉱山都市の城主が選ぶ選択肢は、感染獣の封じ込めしかあり得ない。
憲兵の持つ火縄銃では言うに及ばず、上層で管理されているという伝説級のロストテクノロジーの武器を使っても、感染獣を完全に討伐することは叶わない。
その為に街の一区画を放置区域として見放して、感染獣をそこに留めることで残った土地を守っていた。
「ったく、まさか……放置地区にまで行くことになるなんてな……」
感染獣を閉じ込める為に築かれた壁と土砂を越え、ジェノは毒づくように呟いた。そんな彼が壁の向こうにいるアミーナに縄を投げれば、ビビとアミーナも壁を乗り越えてくる。
そしてビビは放置区域の状態をみて表情を強ばらせていた。
「これは酷いですね。どれくらいの間、これを放置していたんですか?」
ビビの鳶色の瞳に映るのは幾つもの瓦礫と不法投棄されたゴミ。赤黒く染まった土と濁った水。そして原型すらとどめていない文明の跡だった。
「どれくらいなんて誰にもわからないよ。アタシが産まれた時には、既にここは放置区域だったし、大人からは感染獣から街を守る為の防壁を作っているって言われた」
「で、今や壁の内側からゴミを投げ捨てる為の処理場になってるって訳だ。感染獣はたった一体らしいが、この区域で自然に死ぬまで待っているらしい。もっとも、感染獣の寿命なんてどれくらいの長さになるのかなんて誰にもわからないけどな」
言いながら可能な限り物陰に身を隠しながら区域を進む三人。
その手に持った地図を手がかりにジェノとアミーナが先行すれば、ビビがその後をおっかなびっくりついていく。
そして三人は、ようやく一軒の建物へと辿り着く。それは見た目には何の変哲も無い家のようにしか見えない。しかし、その家だけが周囲の崩れた家屋とは異なり、辛うじて原型をとどめている。
壁は所々崩れて扉も残っていないが、屋根だけは残っている。そしてその建物の中央にはジェノが写真で見たアーチ型機械が置かれていた」
「これがゲートで間違いないのか?」
「はい、間違いありません。すぐに状態を確認しますね。上手くいけば、アーカイブや他のゲートにアクセスできるかもしれません」
転送装置としての機能を持っているゲートを見つけたビビが、さっそくゲートの状態を確認する。他の家屋よりは建物自体が頑丈に作られていたことが功を奏したのか、ゲートは少し古びていたが見た目には殆ど壊れていないように見えた。
「それで……どうなんだ? そのゲートは使えそうなのか?」
「えっと……。ちょっと時間をください。これくらいの破損なら私でも修理が可能だと思います。少し修理が必要ですが……」
言いながらビビがゲートに触れると低く唸るような音がゲートから鳴り響く。そしてゲート自体が青白い光りを放ち始めていた。
「おい、ここで音をたてるのは……」
「すいません。でも起動メンテナンスをするにはこうするしか……」
感染獣にここに居ることを気取られるのでは無いかとジェノが周囲を警戒し、アミーナも身構える。
そして三人にとっては最悪の状況がやって来た。
「やっぱり気付かない訳はないよなぁ……」
原型を保っていた建物ににじり寄る影。そしてその存在は咆哮を響かせると豪腕を振るう。その腕によって残っていた壁の一部が粉々に打ち砕かれて、それは彼等の前に現われた。
直立すれば二メートル以上の大きな身体。
赤黒く染まった体毛。見た目には熊に近い外見だが、開いた口から鋭い牙が上から下へと伸びている。ドロドロと涎が垂らしながら黒い双眸を三人に向けている。
「ビビ、ここまでだ。逃げないとやばい!」
「ふぇっ? そんな、急に言われても……」
ジェノがジリジリと後退する中、建物の中へと入ってきた感染獣。咄嗟にビビの手を引いて、感染獣とは反対の崩れた壁へとつれていく。
ビビが離れたことによってゲートの駆動音は止まる。しかし、感染獣の注意は既に三人に向いており、彼等を逃すつもりは無いようだった。
「これって……本当に生き物なんですか?」
「お前も知らないのかよ」
「少なくても、私のデータにはこんな生き物は登録されていませんよ!」
「いよいよポンコツ極まってきたな。とりあえず逃げるぞ!」
「ポンコツなんて言わないでくださいよぉ!」
「いいから逃げるんだろ! ジェノ、さっさと行くぞ!」
アミーナに促されてジェノがビビの手を引いて走り出す。しかし、感染獣の動きは見た目に反して速く、あっさりと三人に追いつきそうだ。
「ビビ、こうなったらホシマチで一度アーカイブに!」
「は、はいっ!」
ジェノの言葉にビビがジェノのホシマチに手を伸ばそうとする。しかし瓦礫に足を取られたのか、ビビがその場でよろけてしまう。
「ビビ!」
そして感染獣が転んだビビに向かったその時だった。
「くそっ!」
アミーナが感染獣に向かって跳躍した。
いつも目深に被っていた帽子が脱げ落ちて、アミーナの赤い髪が揺れる。そしてアミーナが足を振り抜いた瞬間、今まさにビビに向かっていた感染獣の身体がよろけた。
「アミーナ……なんだ、その姿……」
彼女の姿を見て、ジェノが目を丸くする。それもその筈、ジェノとビビを守るように前に出たアミーナの姿が変容し、両脚は獣の足のように変わり、両耳がウサギの耳のように変化していたのだ。
「いいから! アタシに掴まれ!」
アミーナが転んでいたビビを抱えるように掴む。
彼女の姿に驚きを隠せないジェノだが、咄嗟に彼女に向かって手を伸ばすと、アミーナの獣化した腕がジェノの腕を掴んで走り出そうとする。
しかしその背後では感染獣が既に立ち上がっている。
「くそっ……、なんとか逃げないと……。せめて一人なら……」
ジェノとビビの二人の腕を掴みながら、焦りを見せるアミーナ。するとビビはそんな彼女に叫ぶ。
「私は大丈夫です! アミーナさんはジェノさんをお願いします!」
「なっ……」
ビビの言葉に驚きを見せるジェノ。まさか残るつもりかと、ビビに問いかけようとすると、ビビは二人の目の前で円盤状の何かを投げる。
そしてビビがその円盤に乗れば、彼女の動きに合わせて円盤が宙に浮きながら滑るように飛び始める。
「あれもロストテクノロジーかよ」
「よし、ジェノだけなら何とかなる! ジェノ、アタシにしっかりつかまっていろ!」
離れていくビビの背を見送りながら、アミーナがジェノを抱き上げると、両脚に力を入れて放たれた矢のように跳躍した。
抱き上げられたジェノがアミーナの身体に掴まり、遠ざかっていく感染獣を見る。感染獣は逃げていく三人に向かって、いつまでも怒り狂ったように咆哮を響かせていた。