きっかけは何だったかわからない。ただアミーナは自分の中の初めての気持ちに戸惑いを覚えていた。
最初は本当に金づるとしてしか彼の事を見ていなかった。黒岩学園のこぎれいな制服を着たジェノ。
ほつれすらなく、きれいな制服をきたジェノはきっと上層の『機械クラス』の生徒だと思ったし、『機械クラス』の生徒の持っているロストテクノロジーの道具なら、きっと良い値段が付くと思ったのが、彼に関わった始まりだ。
(だってのに……、アタシは何をやっているんだ?)
今現在として、アミーナは自分の気持ちに戸惑いを覚えていた。
カミナを助けるために一緒に上層に行ってから、自分が明らかにジェノを意識してしまっていることを自覚していた。
ついジェノの事を目で追ってしまうし、家に食事を食べるときに彼の姿が見えないと「ジェノは?」とついカミナに訊いてしまう。
カミナはそんなアミーナの変化にもうとっくに気づいているようで、最近では食事の時間になるとジェノの暮らしている空き家に行って、食事にまで誘うようになっていた。
こんなことはとても姉さんに話せたものではないが、さすがに上級娼館で働いている姉のようなノエルは、アミーナの変化には聡いのだろう。
「アミーナにもこういう日が来るんだねぇ」
などと微笑ましそうに呟くほどになっていた。
アミーナ自身も本当は自分の気持ちに気が付いている。だけど、自覚したからと言ってどうすればいいのかもわからない。
いつも目深にかぶっている帽子の唾をもって鏡に向かう。伸びたぼさぼさの赤い髪は、娼館で働いている遊女と比べても、碌に手入れもしていないのがまるわかりだ。
毛先が好き勝手な方向に跳ねているし、櫛も通していないからボサボサ。その上、どうしても気にしてしまうのが、左目の下から右目の下にかけて走っている古傷の痕。
そっと指先で撫でてみても、もう痛みすら感じない。
ただ自分自身で刻んでしまった傷跡をなぞりながら、こんな顔でもジェノは気にしないだろうかと考えてしまう。
(いや……、あいつはこんな傷を気にする奴じゃないよな)
帽子を脱いで櫛を手に取って髪に櫛を通す。絡まった髪を梳くように櫛を走らせていくと、何度も髪が引っかかりながら、それでも少しずつ髪はほどけていく。
そしてアミーナは櫛を通し終えると、ノエルから譲り受けた香水を始めて使ってみた。ほんのりと花の匂いのする香水は、たぶんアミーナが簡単に買えるものではないのだろう。
ただノエルには「好いた男ができたなら、花街に暮らしている女として落としてこい」とまで背中を押されている。
鏡を見れば、目に入ってしまうのは顔の傷。
それでも髪を梳くだけでも随分と印象が変わるものだ。そしてそっと唇に薄くルージュを引くとアミーナは部屋を出て行った。
………………。
誰もが寝静まるような夜の中――、ジェノが最初に感じた違和感は、自分の上に何かが乗っているかのような重さだった。
(何だ……? こんな時間に何が……)
暗闇の中、何かが自分の上にいるのがわかる。
まさか物取りが自分の私物をあさっているのかと考えるが、物取りにしては動きがおかしい。その上、ジェノが鼻腔に感じたのは、香水の匂いだった。
「誰だ? 誰か……いるのか?」
意識が徐々に覚醒へと向かう。ジェノが起き上がって自分の上にいる誰かを確かめようとする。しかし、次の瞬間にジェノが感じたのは自分の唇が何かによって塞がれる感覚だった。
「んぐっ……!」
「んっ……んんっ……」
強引な押し付けられた何かは、僅かに濡れている。温かく柔らかいその感触はピッタリとジェノの唇と触れ合っていて、それが人の唇だと気づいたのは彼女が顔を離したからだった。
「よ、ようっ……起こして悪いな」
「……アミーナ?」
ジェノは驚きで目を丸くする。
おそらくはアミーナが持ってきたのだろう。オレンジ色のランプが彼の眠る布団の横に置かれていて、アミーナの顔を明るく照らしていた。
「こんな時間に何を……。っていうか、どうしたんだ?」
「何って……。お前に会いに来たんだ。そう言えば、ちゃんとカミナを治してくれた礼を……してなかったと思ってな」
「礼? それなら空き家を紹介してくれたろ? 工房探しも手伝ってくれるって言っただろ?」
「察しろよ。バカ……」
言いながらアミーナが僅かに表情を曇らせる。ふとジェノがよくよく彼女の恰好を見れば、アミーナの恰好がいつもとは違う。
いつも顔をかくすように目深にかぶっていた帽子はかぶっていないし、彼女が着ているのは薄いシャツだけ。それも胸元のボタンが外されていて、おそらくは下着もつけていないのだろう。今にも彼女の乳房が見えそうになっていた。
「前に童貞を貰ってやったって話をしただろ?」
「それって……、あの憲兵相手に話したでまかせだよな?」
「ああ、だからあの嘘を本当にしてやる。いろいろと考えたが、礼ならこれが一番だと思ったんだ。お前の初めてを貰ってやる。ついでにアタシの初めてもくれてやる」
「なっ……、じょ、冗談だろ?」
「冗談なんかじゃねぇよ。女に恥……、かかせるつもりか?」
言いながらジェノの手を取るアミーナ。ジェノ手が導かれるように彼女の乳房へと向かう。そして――、
「んっ……あぁっ……♡」
アミーナの唇から漏れ出る艶やかな吐息。手のひらに感じる確かな柔らかな膨らみ。ジェノの血が沸騰しそうになる。しかし――、
「ひぁぁぁ……、驚きました……」
「「ん?」」
突然聞こえた声にジェノとアミーナの動きが止まる。ふと見れば、いつの間にかビビが二人の様子を覗き込んでいた。
「あっ……、どうかビビの事は気にしないでください。子孫繁栄、人口の増加も世界再建には必要なことだと思いますので。それにしても、ジェノさんとアミーナさんがそういう関係だとは……」
頬を赤く染めながらあわあわと二人に言うビビ。そんな彼女の姿に急速に冷静になっていく思考。
「できるわけねぇだろ! 状況考えろ!」
「ああぁっ~~~っ! もう、台無しじゃねぇか!」
深夜のジェノの家に響く声。ジェノがビビの脳天に拳を振り下ろしたのは、それから数秒後の事だった。