「その、ブルーチーズっていうのは何なんだ? ただのチーズとは違うのか?」
ビビの説明に問いかけたのはアミーナだ。一方でビビはそれが分からないのかと不思議そうな顔をしていた。
「ブルーチーズは牛乳とか羊乳を使って作られるチーズの一つですよ。アオカビによって熟成されるナチュラルチーズの事です」
「アオカビ? カビのついたチーズが薬になるのか?」
カビと聞いて怪訝な表情になるジェノ。しかし、ビビはわかっていないなぁ、とばかりにふふんっと無い胸を張ってみせる。
「はい、むしろそのアオカビが今回は必要になります。そもそもブルーチーズに生えているアオカビはですね――、」
「小難しいことは良い。とにかく、そのブルーチーズって言うのがあれば、カミナの病気を治せるんだな」
ジェノの疑問に対して説明を始めようとするビビ。しかしアミーナは彼女の説明を遮ると、再度確認をするように問いかけた。
「えっと……、本来はペニシリンを生成する為には色々な条件が必要があるのですが、アオカビさえ手に入れば、後はアーカイブの技術を使って生成をする事は難しくないです」
「そうか。だったら、話は早い。ブルーチーズってのが何なのかは知らないが、アタシが絶対に手に入れてやる。だからアタシが手に入れてきたら、アンタは必ずカミナを治してくれ」
チーズ自体を手に入れると断言するアミーナ。しかし、その言葉に疑問を持ったのはジェノだった。
「ちょっと待て、そもそもチーズは高級品だろ? そんな高級品をどうやって手に入れるんだ? そもそもこの黒岩城の中にあるかどうかもわからないんだ」
ジェノが疑問に思うのも当然だ。
黒岩城の中の食糧難は深刻な問題だ。元々が鉱山を中心に作られた土地であり、土壌は痩せていて植物の栽培などには向いていない。
辛うじて温室などで温度管理をしてジャガイモやサツマイモといった比較的栽培しやすい穀物を中心に食料を用意しているが、その中でも畜産に関する食料、特に肉や乳製品、卵などというものは鉱山都市同士で交易を行っている列車で運び込まれるものであり、一般的に手に入る物ではなかった。
「いくらお前が猟犬組の構成員だって言っても、アミーナの立ち位置は末端だろ? 富裕層が口に出来るようなチーズが簡単に手に入るとは思えない」
「そんなことは分かっている。だからって諦められる訳が無いだろ。カミナはアタシにとってたった一人の妹だ。その妹を助ける為なら、何だってする。富裕層の暮らす上層に行けば、少なくても手に入る可能性があるんだ」
「……本気か?」
ジェノの問いかけにアミーナは無言のまま頷く。
そもそもジェノ達の暮らしている黒岩城は四つの区画に別れている。一つは黒岩学園の一般生徒が炭鉱や農作物を作ることになる生産部。黒岩城内の流通や賞品の管理を行う商業部。猟犬組などが自治を行っているスラムや歓楽街。
そして黒岩学園でも富裕層の後ろ盾を持つ生徒が通っている『機械部』の所属している、既得権益を持つ富裕層が暮らす黒岩城の上層だ。
そしてアミーナはブルーチーズが上層に行けば保管されていると言うことを確信しているようだった。
「上層の貯蔵庫には富裕層の食料品や嗜好品が蓄えられている。ブルーチーズなんてものは庶民のアタシ達に配給されることなんてあり得ないが高級品なんだろ? だったら、絶対に貯蔵庫に保管されているはずだ」
「それは……商業部で探すよりは可能性はあるが……。分かっているのか? 俺達、一般市民が勝手に上層部に入ることは禁止されている。もしも憲兵に見つかれば、今度はお前が処罰の対象になるかも知れ無いんだぞ?」
「それくらい理解している! だけどカミナを助ける為には他に方法はないだろ!」
「そんなことわからないだろ。ビビ、他に何かカミナを助ける方法は無いのか? 俺達が危険をおかさずに手に入れられる材料でカミナを治す方法が何かないのか?」
ジェノがカミナの診察を終えたビビに問いかける。しかし、ビビはジェノの言葉に小さく首を振った。
「アーカイブの技術を使えば、他の抗生物質を作ることは出来るかも知れません。ですが今、アーカイブにはあらゆる素材やエネルギーが足りていないんです。そもそも、世界の再建の為にも医療品についての精製は必要不可欠な要素になります」
気まずそうに答えるビビ。
花街でジェノがビビに追われていた時に、ホシマチでの連絡が一時的に取れなかったことも、元はと言えばアーカイブのエネルギー不足に原因があるらしい。
今後、ジェノが幾つかの材料資源などを持ってくることがあれば、エネルギー問題については解決するかもしれないが、その問題を解決する頃にはカミナの身体が持たないというのが、ビビの見立てだった。
「他に方法はないんだろ。だったら、上層でも何処にでも行ってやる。それにな、アタシだって何も無策で上層に行こうって言うんじゃ無い」
目深に被った帽子のつばを持って、アミーナがポツリと呟く。
「何か穏便に上層に行く方があるのか?」
「ああ、姉さんの一人に直近で上層に行く人がいるはずだ。その人の付き人として、上層に連れて行ってもらうように頼むんだ。幸い、連れて行ってくれそうな姉さんに心当たりもあるしな」
言いながら苦笑いを浮かべるアミーナ。そんな彼女の行動にこれ以上ジェノが関わる必要は無いのかも知れ無い。だがここまで関わってしまったアミーナを放っておくことも、ジェノはできそうに無かった。
「その付き人って言うのは、二人でも問題は無いのか?」
「お前も来るって言うのか?」
「行きたくはねぇよ! でも、俺が行くしか無いだろ? ブルーチーズっていうのがどういうものかは知らないが、ホシマチを持ってる俺が一緒に行けば、ビビと連絡を取って確認することだって出来る。理由はどうあれ、お前には憲兵から助けて貰った借りもある」
「……わかった」
ジェノの言葉に頷きを返すアミーナ。
そして二人はカミナの看病をビビに任せて、再び花街に戻る事になる。アミーナが少し強ばった表情で向かうのは、猟犬組の縄張りの中でも上級遊女だけが在籍することが許される高級娼館だった。