ジェノが目を開けた時、彼の目の前に広がる煌びやかなネオン街の光景に目を奪われ、さっきまでの出来事がとても現実にあったことだとは信じられなかった。
(だがこれはやっぱり……)
そう思いながら自分の手を見る。そこにはしっかりと金属製の懐中時計が握られていて、やはり全てが夢や幻の類いでは無いのだろうと再確認させられていた。
ジェノがビビから貰った懐中時計は、所謂簡易的なアーカイブの機能を持ったロストテクノロジーの機械らしい。
ビビがジェノの目の前で行って見せたような物質の分子レベルでの分解などはできないが、材料さえあればアーカイブにアクセスして必要な道具などを作り出せるというもの。
その上、アーカイブから任意の場所に転送によって移動でき、必要ならばビビとも連絡がとれる機能まであるそうだ。
「失敗したら岩の中にいる~、なんてこともあるかもしれないので、使用には注意が必要なんですけどねぇ」などという説明が無ければ、もっと安心して使用できただろうが、とにかくジェノは黒岩城内に戻ることに成功していたようだった。
相変わらずの濁った空気にどこか淀んだ人々の雰囲気。
煌びやかなネオンに、そこかしこで呼び込みを行っている男性や女性の姿が見え、そこかしこに性的なサービスを想起させるポスターなどが貼られている。
アーカイブからもどったジェノが転送されたのは、黒岩城内に作られた花街。娼館や居酒屋などで賑わう歓楽街とも呼べる場所だ。
黒岩学園の学生であるジェノがこれまで来たことは無い場所だったが、ジェノに仕事を押しつけていた先輩や、警備員なんかは週末になると入り浸っていたらしい。
そこかしこで呼び込みをしている女性に声を掛けられて、ジェノと同じような貧民の男性が、店の中に入っている様子が確認できた。
(さて……、これからどうするか……。さすがに学園に戻る訳にはいかないし、何処かで宿でも手に入れる必要があるんだが……)
そう思いながら路地裏からでて大通りへ向かう。
扇情的な姿をした女性達がそこかしこに立っていて、ジェノにも声を掛けようと近寄ってくる。
だが、おそらくはジェノが学生だと気が付いたのだろう。黒岩学園の制服を着ている彼に対して、ちゃんと声を掛けてくる女性などいない。ましてこういった呼び込みの仕事に慣れている男性なら尚更のこと、わざわざジェノに声をかけるものは誰もいなかった。しかし――、
(おかしいな……)
歓楽街を歩くジェノは僅かな違和感を感じ取っていた。
学園の制服を着ている自分に声が掛からないことはまだ理解できる。しかし、そこかしこからジェノは視線を感じていた。
ジェノのような学生が僅かばかりの金を持って娼館に行くことなど、この街では珍しくも無いだろう。だから学生であるジェノが街にいることに違和感を持つことは無いのが当たり前だ。
それなのに何故か、彼はチラチラと盗み見るような視線を周囲から浴び続けていたのだ。
(街を離れた方が良いか……)
確証など何も無い。
だがジェノはこういった勘は無視するべきでは無いと判断した。しかし、やはりジェノ判断は遅かったのだろう。歓楽街に笛の音が鳴り響き、次いで何人も足音が聞こえてきた。
「居たぞ! 例の5番鉱路の学生だ! 確保しろ」
不意に聞こえた誰かの声。
その声にジェノが振り返れば、いつの間にかそこには火縄銃を持った憲兵達の姿が。人数こそ10人にも満たないが、確かに彼等はジェノを追ってやって来ていたのだ。
「くそっ……、やっぱりか!」
ジェノは人々をかき分けるように走り始める。
呼び込みの男性を避け、男性客に目をつけて声を掛けている女性の陰に隠れ足早に街の中を進んでいく。しかし、どれだけ走っても彼等の持つ笛の音は止まらず、さらにジェノを追っている憲兵は増えているようだった。
「何で、鉱路から逃げ出しただけで……ここまでの追っ手が?」
ロストテクノロジーである鉱車を動かしたから?
思い当たる節を考えようとするが、それならばわざわざ火縄銃を持ち出す理由にはならないだろう。
ドンッと夜の街に発砲音が響き、彼等がジェノに対して牽制の意味を持つ発砲を始めたことがわかる。そこかしこで巻き込まれてはたまらないと人々が周囲の店の中へと入っていき、悲鳴を上げて逃げるジェノから距離を取っていく。
こうなれば、もう銃を突きつけて捕まえられるのも時間の問題だ。
(まずい……一度戻った方が良い!)
ジェノは大通りから外れて再び路地裏へと入る。そして手にしてた懐中時計に向かってビビに呼びかけた。
「ビビ、緊急事態だ。俺を一度アーカイブに戻してくれ!」
転送装置や通話器にもなっている懐中時計・ホシマチを使えば、ここから逃げられると判断したのだろう。
後はビビが反応して、ジェノの転送をしてくれるだけで良い。それなのに懐中時計は彼の呼びかけに対して何も反応を示さない。
それどころか逃げ場の無い路地裏に逃げ込んだのが運の尽きだったのだろう。
「居たぞ! もう逃げ場は無い、投降しろ!」
ジェノの行く手に現われる数人の憲兵達。逃げ場の無い路地でジェノは憲兵達によって挟み撃ちにされてしまっていた。
(ここまでか……)
ジェノの頬を冷たい汗が流れる。
「ちょっと待ちな」
そこに1人の少女が現われる。その子は不敵な笑みを浮かべると、ジェノを追い詰めた憲兵達に言ったのだ。
「憲兵達が猟犬組のシマで何のつもり? こんな騒ぎを起して、覚悟は出来てるんだろうね?」
不敵な笑みを浮かべて憲兵を睨む彼女に対して、憲兵達は明らかに怯んでいるようだった。