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第15食:2回分のグラタン

食材はよくあるものを使う。それが一番早くて、便利で、お安く済む。


純子はそればかりを考えながら、冷蔵庫を開いていた。お客様の要望は面倒なことこの上ないのだが、それでもお客様なのでいたしかたない。今が稼ぎ時、繁忙期は夏ばかりではなく、こういう突発的なお客がやってきた時もなんだ―――自分にそう言い聞かせてはいるけれど、やっぱりわがままなお客様の要望。それを相手にする自分。ため息が出そうになって、我慢する。

「今は、我慢、我慢」

いずれ来る繁忙期になれば、お客様はもっと増えるし、時間もなくなる。その時だけはアルバイトを雇うことにしているが、彼女も大学の間だけだろう、来てくれるのは。そのあとは、後輩か知り合いか、都合のいい人を紹介してもらうしかないかもしれない。ちょっと先のことを考えると、不安が出る。だから、それはもう少し先になって考えよう。せめて、今いるお客様が帰ってから。


2週間の長期宿泊のうち、すでに5日と半分は過ぎている。約あと1週間。この1週間を耐えたなら、その後はまたしばらく期間が空くかも。それも心配だ。カフェはいつも開けているけれど、近くの年配者が稀に来てくれたり、週末にカフェが好きな若者が来てくれるくらい。

ペンションも上手く運営していかないと、と思いながら、上手くできない純子の悩みは尽きないのである。しかし、今何かと心配しても無駄だろう。これから先のことを考えて、今を頑張るしかない。


冷蔵庫から鶏肉を取り出して、野菜を選ぶ。荒尾はグラタンかドリアか選べなくて、夕食をグラタン(パスタ入り)翌日の朝食をドリア(ライス入り)と注文してきた。つまりは2回分を多めに作らなくてはいけない。労力はそんなにかからないのだけれど、なんだか楽しみが半減したような。毎回の食事作りを考えている純子にとって、2回分も同じ注文が入るのは、ちょっとつまらないというものだ。まあ、手間が省けたと思って受け入れるしかないだろう。

スライスした玉ねぎ、冷凍庫から取り出したブロッコリー、ジャガイモを洗って、皮をむく。

「ジャガイモは軽く茹でておこうかな」

鍋を取り出した純子は、皮をむいてカットしたジャガイモを茹でることにしたようだ。鍋に水を入れて、火にかける。その間に他の野菜と鶏肉に取りかかる。シチューの中身と大して変わらない、と見た人には言われてしまいそうだけれど、料理って実はそんなもの。合わない組み合わせも確かに存在するが、ほとんどが似たようなものになっていくし、似たようなもので代用できる。


食材たちの下ごしらえが終わったら、今度はパスタの登場だ。今日はペンネ。茹で時間を確認して、沸騰したお湯に投げ込む。そういえば、母はミートスパゲッティやナポリタンが上手だった。母の手にかかれば、安いパスタも豪華な料理に早変わりだったのだ。

「お母さんのナポリタン、食べたいな……」

どこかにレシピを残しているだろう、と思った純子は、明日にでも探してみようと思い立った。今まで、母は自分になんでも作ってくれていた。手作りは時間がかかって大変だけれど、子どもに食べさせたい気持ちがよくわかる。美味しいと喜ぶ人の笑顔は、作る人にとって一番のパワーになるから。

「元気になれるもんねぇ」

美味しくて、幸せ。あたたかくて、元気になれる。それが母の料理だった。お弁当も、毎日の食事も。すべてが母の愛情と時間にあふれていた。自分もそんな料理が作れるようになりたい、と純子は思う。

「と、いうことは。今は修行か。そうだよね、修行と思えば頑張れるか!」

純子はそう言って、うんうん、とうなづく。そうしているうちに、ペンネが茹で上がった。


ペンネの湯切りをして、しばらくそこにいてもらおう。その間に、他の食材をしっかり炒めて、火を通す。それから、小麦粉を振りかけて、火を止めた。小麦粉をしっかりと混ぜて、それからコンソメスープで伸ばす。そして牛乳を入れた。ゆっくり火を通して、焦げないようにずっと混ぜていく。

市販のホワイトソースを使えばもっと楽なのだが、こっちの方が自分で味を調整できるので美味しいのだ。純子はゆっくりと鍋を混ぜて、しっかり火が通り混ざったのを再度確認できたら、火を止める。

それから、グラタン皿にペンネを入れて、上から鍋の中身を載せた。たっぷり入れておこう、荒尾ならしっかり食べるはずだから。入れ終わったら、チーズを載せて、少しだけパン粉を散らす。あとはオーブンが仕事をしてくれるので、安心だ。


その間に、純子は洗い物を済ませ、ちょっとだけ水分補給のつもりで紅茶を飲んだ。おやつの時に淹れた紅茶の残りだから、もう冷えてしまったけれど、まあ飲めなくはない。明日はペンションの客室を掃除したいから、荒尾の部屋も掃除させてもらわねばならないな、と思う。彼は仕事熱心なので、書類を広げたままだったり、パソコンを置きっぱなしにしていたりなど、いつものことなのだ。

ついには「掃除は2日に1回でいい!」とまで言い出した。まるで思春期の高校生。自分の部屋と言っても、ペンションの一室なのだから、掃除くらいちゃんとさせてほしい。

「ま、仕方ないか。お客さんの部屋だし」

純子はそう言って、紅茶のカップを洗った。


グラタンが焼きあがる前に、冷蔵庫からいくつか野菜を取り出して、カットしただけのサラダを作る。ドレッシングを適度にかけて、完成だ。他には買ってきたパンを出して、皿に置く。今日はこんな感じの夕食にして、また明日の朝はドリアか。夜の間に翌朝の炊飯器をセットしておけばいい。

いい匂いがしてきたな、と思った頃に、荒尾が食卓へやってきた。仕事もいい感じに終わったのだろう、会社で見たことのあるような表情をしている。

「荒尾さん、もうすぐグラタン焼けますよ」

「本当か!」

「タイミングばっちりですね。あ、もしよかったらストーブ見てもらえます?」

「わかった」

荒尾は、ニャーのくつろぐストーブを見に来た。しかしニャーはそこにはおらず、ストーブだけがパチパチと音を立てて、火が燃えている。猫だからずっとそこにいるわけではないんだな、と動物を飼育した経験のない荒尾は思った。好みの場所があれば、ずっとそこにいるものだと思っていたからだ。どこに行ったのか、と思ってニャーの姿を探せば、猫は窓辺に座って外を見ていた。

「外、何かあるのか?」

話しかけられて、ニャーはジロリと荒尾を見る。荒尾にしてみれば、純子以外に話しかけられる唯一の相手だ。

「な、なんだよ」

「ニャー」

「悪かった、取り込み中だったんだな」

猫が何を取り込み中なのか、荒尾には見当もつかない。でも、猫の視線の先も気になるものだ。ちょっと外を眺めて見ると、薄暗くなった空に鳥が飛んでいく。あれでも見ていたのか、と思うと、やっぱり取り込み中だったんだな、と思う。

あんなに鳥がたくさん飛んでいくのを、都会ではカラスかハトくらいしか見ない。あの鳥はなんの鳥なんだろう、と思うと、荒尾はここにきてゆっくり過ごしていくのも悪くないな、と思った。子どもの頃は、ああいう自然なもの、鳥が飛んでいく自然なことさえも、普通に面白く思えたものだ。それなのに、大人になると数字ばかり追いかけてしまう。

「ニャーは面白いものを見つけるな」

そう言ってニャーの背中を撫でる。あったかい、と思った猫の背中は、とても柔らかくて不思議な感触だった。これが猫。

「……初めて、触ったかも」

本当は初めてではないと思う。子どもの頃から、ずっと生きてきたのだ。初めてではないと思うのだが、しっかり思い出せないので、初めてとしておこう。そうしていると、後ろから声がした。


「できましたよー!」

明るい声に、荒尾とニャーが同時に振り返った。

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