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第13食:庭掃除と野菜の鍋にゆずポン酢

「それで」

純子はコーヒーカップを洗ってから、荒尾を見た。どう見ても、お腹いっぱい。そうだろうな、と思いながら、純子は彼の出方を見ている。

「どうした」

「お腹いっぱいでしょう」

「ああ。満足した」

「メロンクリームソーダは明日ですね」

「さすがにそうだな」

「でも、夕食は明日には回せません」

そうだった、と荒尾の表情が困ったようになっていく。

「そこで、提案なのですが」


提案、と聞いて荒尾の顔が真面目になる。さすがビジネスマン、営業の鬼。そういう言い方をされれば、話を聞かねばならなくなってくる。だからこそ、純子はそれを理解していて、口にしたのだ。


「なんだ」

「実は、庭の手入れをしたくて。でもちょっと大変なので、夕方まで手伝っていただけませんか?」

「それくらいでいいのか?」

それくらい、と言われてガックリと来る純子。彼にとってはそれくらいの世界観なのだろうなーと思ってしまう。

「木の枝や、落ち葉なんかを集めていただきたいんですよねー」

「それくらいなら」

「荒尾さんにはそれくらいなんですけど、私にとってはちょっとそれくらいじゃなくって」

身長の低い純子にしてみれば、なかなかに大変な作業なのだ。だから、純子は手伝ってもらえるなら、助かる。それでお腹も空いてもらえれば、もっと助かるのだ。食事の準備は手を抜きたくないし、しっかり食べたい。荒尾はパンをたくさん食べたけれど、純子はそうでもないのだから。


荒尾は動きやすい格好で庭に出た。軍手と箒を手にして、純子の指示に従う。落ち葉は、庭と呼ばれる広場中に広がっていて、それを集めていく。ここにおいてください、と指示された場所を見れば、すでにいくらか落ち葉が集まっていた。

「何かするのか、ここで」

「もう少ししたら、落ち葉を肥料にするんですよ。多すぎる時は、焼き芋でもしましょうか!」

「焼き芋か!」

食べ物の話になると、彼は少年のように笑顔になる。食べることが好きなんだろうな、と純子は思いながら、会社にいた時は気づかなかったことだと思う。

「私はペンションの中を掃除してきますので、こちらをお願いします」

「わかった。終わったら報告する」

「はーい」

報告する、とまさに会社のままではないか、と純子は思った。このペンションにきて、そういう感覚を忘れてしまったので、とても懐かしく思ってしまう。家族がいなくなって、自分とニャーだけのこのペンション。誰かに何かを報告するなんてこと、特別にはなかった。だから、彼がいてくれるだけでも、気持ちが変化してくる。

純子は、ペンションの中を掃除しながら、窓の外にいる荒尾を見た。熱心に掃除をしてくれている姿を見て、なんでも真面目にする人なんだな、と思う。確かに、営業成績がいいのは彼の努力の賜物だ。彼が努力をしていたこと、彼がとても厳しくなんでもしていたことは、よく知っている。小さなミスでも許さないし、取引先への心遣いも忘れることはない。資料作りも、考え方も、彼は常にしっかりしていた。

「って、そんな人に庭の掃除させてる私って……?」

営業マンである以前に、お客様だ。お客様に掃除をさせているなんて、と思った後に、そんなことばかり考えても無駄だな、と考えを改める。だってこんなに小さなペンションとカフェでも、純子1人ではなかなか管理できないのだ。手伝ってくれる人がいる時に、手伝ってもらう。そのお礼をちゃんとすればいい、感謝していこう。


会社にいた頃は、何もかもが切羽詰まっていた。仕事をすることも、人間関係も、食べることだって、なんだかうまくできない。なんとなく違う、と感じてしまうことばかりだったのだ。そこから解き放たれたかと思えば、今度は家族を失った。大好きな両親がいなくなって、寂しいペンションとカフェとニャーが残っているだけ。ニャーは、今でも両親が大好きだった暖炉の前にいる。あの場所で、両親は本を読んだりコーヒーを飲むのが好きだった。ニャーはきっとそれを、忘れないのだろう。

掃除が済んだ純子は、キッチンへ向かい、今日は何を夕食に出そうか、と考える。荒尾は一日中パンばかりを食べているが、純子はどうしようかな、と思う。冷蔵庫を開けて、何があるのかを眺めてみた。野菜はあるし、少しなら豚肉もある。今日は冷えるから、野菜と豚肉を煮込もうか。野菜はたっぷり入れて、お腹に優しくて、最後にはそのスープで雑炊を作る。そうしよう、と決めて純子は野菜を準備し始めた。


鍋が温まり、野菜を入れていい具合に火が通った。純子は、それを眺めるとうんうん、とうなづく。美味しそうだな、と思って鍋のふたを閉めた。そろそろ庭の片付けも終わったんじゃないか、と思って外へ行ってみる。すると、荒尾がきれいになった庭に立っていた。空を眺める彼の横顔は、今まで見たことがないくらいに済んでいた。格好いい、という思いもあるが、こんなにすっきりしていたっけ、とも思う。もともとイケメンだとは知っていたけれど、自然の中だともっといいじゃないか。

「どうした、中の掃除は終わったのか」

「あ、はい」

先に声をかけてきたのは荒尾の方だ。彼は少し微笑んで、純子の方へ歩いてくる。

「掃除も終わったぞ」

「ありがとうございます」

「広くていい庭だな。犬とか走らせたらいいんじゃないのか?」

「ドッグランのこと言ってますか?ニャーに怒られますよ」

その時、2人が見たのは窓辺で外を見てるニャーだ。いや、外を見ているのではないこちらを見ているのだ。

「怒ってます」

「怒ってるな」

2人で見たニャーは、ジロリと2人をにらんでいた。きっと、ここにドッグランでも作った日には、犬たちを追い回すニャーになるだろう。なかなかに強い猫であるニャーは、昔から両親の側にいる猫だった。純子もニャーの性格は知っているが、まるで家のボスのようにしている。

「ニャーは外に出ないのか?」

「出ますよ。気が向けば。今度誘ってみてください」

「わかった」

「基本的に寒い時は出ませんけど。出したらめちゃくちゃ怒ります」

「む……それは」

嫌だなぁ、と純子と荒尾の気持ちが重なった瞬間だった。


2人はペンションの中へ戻り、本格的に夕食の準備を始める。テーブルにカセットコンロを持ってきて、鍋を置いた。ふたを開ければ、湯気と一緒に野菜が登場する。そこへ豚肉を投入した。すぐに食べごろになったそれを、荒尾は本当に喜んだ顔で出迎えてくれた。柔らかく煮込まれた野菜と豚肉。そこへポン酢を垂らせば最高に美味しい鍋ができる。

「ゆずの香りがするポン酢だな」

「近所のおばちゃんに作り方を教えてもらって、手作りしたんです」

「ゆずができるのか?」

「おばちゃん仲間にゆずの木を持っている人がいて」

「自家製ゆずポン酢か!香りがいいな」

刻んだ玉ねぎと醤油、酢、ゆずの果汁を混ぜて作ったゆずポン酢。純子はここ最近の手作りで一番美味しかった、と思っている。このゆずポン酢、サラダにも合うし、なんと寿司にかけてもなかなかいける。今度それを荒尾に教えてやろう、と思うと純子はニヤニヤしてしまった。

「ん、ニャーが来たぞ」

「あれ、どうしたんだろ」

ニャーは荒尾の隣に来ると、彼をジッと見つめている。見つめ合う2人を見る純子。なんだこれは。なんの意味があるというのか、と思った時に、純子は立ち上がって暖炉を見た。火が小さくなっている。

「ニャー、ごめんね、寒かった?」

その問いかけに、ニャーは静かに返事をして元の位置へ帰っていった。純子が薪を追加したので、また火が戻ったのである。

「自己申告制か」

「そ、そうですね……けっこう厳しめの」

「そうだな」


ゆずポン酢の香りに包まれながら、純子は苦笑するしかなかった。



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