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第11食:アイスクリームは何キロですか?

お目当てのパン屋は、駐車場に砂利を敷いている。車が来ると、砂利の音がよく聞こえるのだ。

「あ、この時間なら何か焼きたてかもしれませんね」

「そうか!」

純子は喜んで車を降りていく荒尾の後を追った。彼は少年のように颯爽と歩き出し、そのまま店のドアを開けに行く。純子の存在が消えてゆく瞬間。なんで、と思う。なんでペンションのオーナーは自分なのに、この人が前に行くのか。

しかしパン屋に入れば、それを忘れてしまうくらいに素敵な香りが充満していた。焼きたてのパンの香り、甘いシュガーの香り。カレーパンだろうか、スパイシーな香りもした。

「荒尾さん、パンは……ってそんなにたくさん買わないでください!」

見れば、そこにはトレイにパンを次々載せた荒尾がいた。個人店のパンはそこそこの値段がするのだが、彼は特に値段など気にしないようである。男だからか。パン好きだからか。

「お前は買わないのか、中野瀬」

「私は……そうですねぇ」

「食パンを買え!明日の朝用だ!」

「勝手にメニュー決めないでください~」

純子は困った。こんなお客、本当に今までいなかったから。食パンは幾つか種類があるので、それを眺めながら純子は明日の朝を考える。それよりも、今日の夕食も考えなきゃいけないのに。考える時間もないくらいに、荒尾に振り回されている。

「あ、このミルクパン、ニャーが好きなんですよ」

「それも買おう!ニャーには世話になっているからな」

そう言って、荒尾はミルクパンをトレイに載せた。何言ってるんだ、この人。純子はそう思って、荒尾を見たが、彼は楽しそうで気づかない。

「食パンはこれにして……あ、バケットもあるなぁ。バケット食べますか、荒尾さん」

「サンドイッチか?」

「なんでも挟めばいいと思って……。スープにも合いますし、グラタンもいいですね」

「グラタン!!」

「あの、お店の中であんまり大きな声、出さないでください!」

このあたりで若い男女は珍しい。すぐに近辺の噂になってしまう。お客さんだと言えばいいのだが、普通、ペンションのオーナーがお客様とパン屋に行ったりしないだろう。怪しまれてしまう、と純子が思っていると、レジに立っているパン屋の奥さんがニコニコ微笑んでいた。

駄目だ、もう勘違いされている、と思った。きっともう何を言っても、信じてもらえないなぁ、と純子はガックリした。荒尾が笑顔でレジにパンを持っていき、両手いっぱいにパンを持って出て行く。純子は続いてレジに立った。

「純子ちゃん、あの人、素敵ねぇ」

「辞めた会社の知り合いなんですよ、あはは」

「あら、純子ちゃんどこの会社にいたんだっけ?でもそんな人がここまで来てくれるなんてねぇ」

「違いますって、なんにもありませんよ!」

笑い合いながら、探り合い。田舎の奥様はウワサ好き。でも、純子にとっては、都会の会社に比べればマシだった。

「また2人で来てね」

「はい」

「おまけね」

「あ、ありがとうございます!」

バターロールを2つおまけでくれた奥様は、最後まで笑顔で純子を見送ってくれた。


車にいた荒尾は、早速気になるパンを口に入れている。お行儀の悪い、と思いつつ、営業だと忙しいから食べられる時に食べるのか。それもそうだなぁ、と思ってしまう。

「美味いぞ、このカレーパン」

「ご主人がカレーを煮込んでいるそうですよ」

「なんだと!?作り方を聞かねば」

「パン屋さんにカレーの作り方聞かないでください!」

パン屋に聞くなら、パンのことを聞け!と純子は思う。しかし荒尾は真剣にカレーのことを考えているようだった。食べることばっかり気にして、仕事の話はしない。有給休暇の消化を満喫している、というのは、こういうことか。

「中野瀬、次はアイスクリームを買いに行くぞ」

「はーい」

「返事は、はい、だろ」

「はい……」

「よし。店はどこに行く?」

「少し離れていますけど、スーパーに行きましょう」

「よし!」

楽しそうだなぁ、と純子は思う。しかし、荒尾は運転する傍らで次々とパンを食べていく。クリームたっぷりなカスタードクリームパンを食べ、お店で大人気の明太子フランスをかじり始めた時は、純子が目を丸くした。

「食べすぎです!」

「ん?そうか?」

「食べ過ぎですって!もう3個食べてます!」

「まだあるぞ?」

買い物袋には、まだパンがいた。ギリギリ生存しているパンたちが、純子に荒尾を止めるように訴えかけてきているようだ。

「か、帰ったら、夕食ですから!」

「まだ時間があるだろ?」

「あ、ありますけど!」

「なら」

なら、と言って生存者であるパンに手を伸ばす荒尾。純子は必死になって止める。

「メロンクリームソーダが飲めなくなっちゃいます!」

「あ、そうだったな!」

「そうです!」

「コーヒーフロートもいいな!」

「そうですね!?」

また別のものが出てきた!と純子は思ったが、彼からパンを守るためには、肯定するしかなかった。


しばらく車は走り、純子と荒尾はスーパーに到着した。冷凍食品など、業務用の食材を置いている大型スーパーだ。揚げるだけで一品になる冷凍食品や、冷凍野菜もたくさん並んでいる。

「す、すごいな!」

並んだ食材を見て、荒尾は本気で驚いていた。きっとこんなスーパーを見たことがなかったのだろう。彼にとって、スーパーとは一般的な、なんでも適量を売ってあり、冷凍食品はお弁当サイズ、といったものだったのだ。

「おい、中野瀬!これ、飲み屋で……」

「荒尾さん、言っちゃダメです。次からお酒が美味しく飲めなくなりますよ」

「む、そうだな。早くアイスクリームを探そう!」

子どものように、荒尾はそそくさと歩いていく。酒は美味く飲みたいらしい。純子は色々と見ながら、少し冷凍野菜をストックしておこうかな、と考えたりする。美味しくて、簡単で、できるだけ安く済ませたい。それが純子の考えなのだが、荒尾はまだまだ考えが浅い。アイスクリームのコーナーに辿り着くまでに、冷凍のケーキやスイーツを見て、声を上げている。

世の中、便利になった。そして悪くないのだ。むしろ、いいくらい。食べ物があふれて、日本は本当に裕福な国になったなぁ、と純子は思う。コンビニは高いと思うけど、安定的な美味しさと品揃えは、普通はできないわけなのだ。それをペンションのオーナーになって、やっと気づいた。

パンはあるので、先ほど話していたグラタンもいいな。シチューで作ると、シチュー風味のグラタンになってしまうから、ホワイトソースから作りたい。お客様がいないなら、ガーリックトーストも考えるのだが、これは人がいるとちょっと気になってしまうから、却下だ。卵と牛乳を買っておいて、フレンチトーストもいいな。グラタンにも牛乳がいるから、牛乳と卵は必須。

ちょっと洋食に偏ってしまっているから、和食か、簡単な中華も入れたいところ。中華なら麻婆豆腐もいい。あまり辛くせず、ひき肉を多めにすれば、ご飯によく合うおかずになってくれる。和食なら、そろそろ魚も考えたい。


純子が色々なことを考えていると、荒尾がアイスクリームを手に取っていた。普通の箱入り4カップ入りのアイスクリーム。それを見て、純子は走り寄った。

「アイス、嫌いなんですか!」

「いや、たくさん載せるつもりだ」

「じゃあ!!」

並んだアイスクリームの列、その一番端から、純子は大きな塊を荒尾に手渡した。ずっしりとしたその重たくて、大きな塊。

「これにしてください!」

業務用1キロのアイスクリームの登場だ。荒尾は、自分が握っているものを手放し、この大きなアイスクリームを握り締めた。


「これだ!」

その喜ぶ顔は、純子も同じであった。

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