目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第4食:フライパンでチーズトースト

荒尾は一番端の部屋を選んだ。仕事をすることもあるから、という理由で選んだらしい。純子にしてみれば、一番遠い部屋を選んでもらえたのでよかった、と思ったところである。

純子の作ったシチューを文句も言わずに食べた荒尾は、それこそ男らしいいい食べっぷりだった。しっかりとした量を準備していたのだが、これでは明日の朝で終わりだな、と純子が感じたくらいである。致し方ない、お客様だ。料金もいただいたのだから、食事を出さないわけにはいかなかった。しかし急なお客様だから、食材の限界も見えている。どうしようか、と思っていたが、今回ばかりは本当にあり合わせで申し訳ないが、出さないよりマシというものを選ぶ。


朝になって、純子はシチューに水と牛乳を追加して、味を調えた。昨晩食べた時よりもサラッとした様子になったところで、焦げないようにしっかりと混ぜる。ここで焦げてしまうと、食べるに支障はないのだが見た目が悪い。真っ白なシチューの表面に、焦げが浮いて来てしまうからだ。そうならないように、ここは慎重な作業となる。

その後、トーストを焼いた。純子はトースターを持っていない。あれば便利だと分かっているが、母が愛用していたオーブンとレンジがあるので、トースターの置き場がないわけなのである。こうなると、トーストはどうやって食べるのか?と純子は母に疑問を投げかけたことがあった。どこのカフェに行っても、トースターとレンジがあると便利そうだ、と都会に住んでいた頃は思っていたのである。

しかし母は笑って、フライパンがあるじゃない、と言った。フライパン、とその時は首を傾げたが、これを知ってからのトーストは今まで食べていたトーストとは段違いに美味しくなっている。


「えーっと、トーストを焼いて」

純子はトーストを焼く前にバターをフライパンに落とした。いい具合に溶けたところで、普通に食パンを入れる。時々様子を見て、焦げないように確認。そろそろ、というところで一度皿に引き上げて、今度はフライパンにチーズを置いた。昨晩も登場したフィルムに挟まれたスライスチーズ。フライパンに投下されたチーズは、ゆっくりと溶け、その頃合いで食パンの焼けていない面を落とす。

ここであまり触ったり、動かしたりするとチーズがはがれてしまうので、しばしの我慢。純子は慎重にパンの様子をうかがい、丁寧に確認するとチーズはパンにしっかりと張り付いて、いい色に焼けていた。

このトーストを教えてくれたのは母である。母はパンが大好きで、よく食べていたし、時々作ることもあった。そんな母のおすすめのトーストがこれだったのである。初めて食べた時の感動は、忘れられない。

そこへ、簡単なスクランブルエッグと焼いたソーセージを添える。シチュースープを出してしまうのは申し訳ないが、急な来客だから仕方ない。


テーブルに朝食を並べた頃、荒尾は部屋から出てきた。すると開口一番、彼は純子を見て言った。

「コーヒーはあるか?」

「ありますけど、朝食は」

「朝は食べない」

「え!三食付きって言ったじゃないですか!」

「料金は取ってくれ。朝を食べると、仕事に支障が出るんだ」

「元気が出ませんよ」

「いや、俺は眠くなるんだよ」

そんなに食べるのか?と純子は思う。確かに荒尾の食事量は、昨晩見ていてもなかなか多かった。その調子で三食食べていれば、眠くなるどころではないだろう。今のところ太っている様子もないので、自分で調整しているのか。

確か、飲みの誘いも基本的には上司から誘われない限りは行かないクールなタイプ、と聞いていた。あまりアルコールも強くないのかな、と純子は勝手な想像をしながら、コーヒーを差し出す。

「あの」

「なんだ」

「私は食べていいですか?」

「ああ」

「あの」

「なんだ」

「食べにくいんですけど……」

「ん、ああ、悪い。コーヒーを飲んだら……チーズトーストなのか?」

皿に乗ったチーズトーストを見て、荒尾の目が一瞬輝いた。まるで子どものような一面を見て、純子はどうしたのか、と思う。庶民的なトーストの種類だとでも思ったのだろうか。まあそれは仕方ない。実際、チーズもパンも美味しいけれど、安価なものを選んでいる。

「嫌いですか?」

「いや」

「じゃあ、どうぞ」

「そうだな……懐かしくて」

「懐かしい?」

「実家の母がチーズトーストをよく作っていたんだ。すぐにできるからな」

時短レシピいいじゃないか。純子はそう思いながら、荒尾の過去を少しだけ聞くことができて、ホッとできた。何もしゃべらないのも恐いし、会社の頃のように鬼上司だったらもっと恐い。それなら、昔の話でも聞けた方が、心は穏やかになれる。

荒尾がチーズトーストに手を伸ばし、食パンを半分に割って食べた。サクッと音がして、純子は安心する。トーストはサクサクだから美味しい。焼きたてだから美味しいのだ。それを味わってほしかった。

「美味い」

「よかった」

「よかった?か」

「はい、美味しいものを美味しいと感じられるのって、幸せじゃないですか!」

純子はニコニコ笑って、荒尾を見る。彼はそうだな、と少しだけ表情を緩めてくれた。こんな顔もできるんだな、と思うと、やっぱり安心できる。今まで彼に対して緊張することばかりだった。そんな思い出しかなかった。だから、それを考えると今はこれくらいのことでも、安心できる。

「すみません、スープはシチューのリメイクで」

「いや、昨日も美味かったからな」

「残しちゃうと勿体ないので。このあたりは、買い物に出るのもちょっと時間がかかっちゃいますし」

「お前が1人で買い出しに出ているのか?」

「ニャーは連れていけませんから」

ポンッと音がするような軽快さで純子は返す。そして空いた間。その間を感じ取って、自分の返事がおかしかったことに気づく。

「猫の話はしてないぞ」

「え、あーえーっと、基本は1人で、たまに近所のおばちゃんと行きます」

「親戚なのか?」

「いえいえ、お世話になっているってだけです。ご夫婦なので、たまに3人ってことも」

「業者に頼むことはできないのか?」

ビジネスマンの言葉に、純子は苦笑する。この地域は配送外地域なのだ。もちろん郵便やネット通販などは届くのだが、食材を卸してくれるような業者は来ない。そうは言っても、自分で見て買い物をしたいタイプの純子は週に何度か、近所のおばちゃんを誘って買い出しに出るのも楽しみだった。

「えーっと、業者さんは来れない地域でして」

「ああ、そうか。それなら厳しいな」

「いえ、でも、私は自分で食材を見たいと言いますか……安い野菜とかは、直に買った方がいいので」

道の駅などに顔を出すと、スーパーよりも安い値段をよく見かける。同じ値段でも、サイズが違ったりするのでやはりお得なのだ。そして生産者も分かっているので安心できる。

「考えているんだな」

「いや~、教えていただいたって感じです。私もここの生活にはまだまだ慣れていませんし、近所のおばちゃんやおじちゃんが親切なので、やっていけていると言いますか」

「そうか」

都会では想像できない生活だろうな、と思う。会社に毎日通って、残業も営業も当たり前。小さなミスを怒鳴られたり、商談が失敗すれば反省会。荒尾の資料作りを手伝っていた過去から、都会のビジネスマンの厳しさは分かっているつもりだ。

「なら、今日は俺がついて行こう」

え?と純子は目を丸くした。今、自分は都会の厳しさを思い出している回想シーンだったはず。それなのに、目の前の男はまったく違う返事をしてきた。

「俺がいれば、多少は重たい物も買い溜めできるだろう。近所のおばさんとやらに、連絡してこい」


連絡してこいって……。

でも、確かに男手が増えるのは嬉しいなーと現金なことを思ってしまう純子もいるのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?