冷凍庫から登場したのは冷凍ブロッコリーと冷凍キノコ。カチカチに凍っているそれを眺めて、純子はうんうん、と得意げになる。
「便利だよって教えてもらって、ちょっと心配だったけど買ってみてよかったー!この時期はなかなか手に入らないし、高い食材もあるし、冷凍ならある程度の時期保管できる!」
そんなことを教えてくれたのは、近所のおばちゃんだ。今はこういった便利なものがある、ということ。
どんなにハウス野菜が主流になったって、季節外れの野菜は高くつく。その年の天候やちょっとした災害でもあれば、一気に値段は高騰だ。安くて美味しくて、お腹にたまる野菜を食べたいはずなのに―――財布が軽くなっていくのはなぜ?そんなことを考えていた時に、近所のおばちゃんが教えてくれた。
今は冷凍野菜もあるのよ、と。ちょっと気になるところがあったとしても、これだけ一生食べるわけじゃない。季節外れでも食べたい野菜はあるし、色々そろえたい時にも便利。冷凍庫の場所は取るけれど、十分に使えるお得なものなのだ。スーパーの冷凍庫を覗いた時、純子はおばちゃんと一緒に歓喜したくらい。
と、こんな調子で純子はシチューの準備を始めた。温かい暖炉の前から動く気のないニャーを放っておいて、今は自分の食事づくりに集中だ。ニンジンとジャガイモは貰いもの。それこそご近所さんからもらった不格好だけれど美味しい野菜。その他に、玉ねぎ、冷凍のブロッコリーと冷凍キノコ。
「肉がないのはいつものこと。今日はベーコンで代用しようかな」
肉を入れたくないわけでもないのだけれど、今日はどうしてもストックがない。そんな時はソーセージやベーコンでも十分に味が出る。だから純子はベーコンを少し大きめに切って、鍋に放り込んだ。焼き目がついていい匂いがしてきた頃に、切った野菜と冷凍野菜も投入。しっかり炒めて、火が通ったら小麦粉を取り出した。
「ちょっとお贅沢な感じにしたいんだよね」
そう思った時は、小麦粉とチーズを入れる、と純子は決めていた。小麦粉を入れるととろみがついて、市販のルウが少しでいい。味を調えれば、十分に美味しくできる。またそこへチーズを入れると、これまた美味しくできあがるのだ。
チーズなんて高級品、なかなか買えない―――だから純子が愛用しているのはスライスチーズ。あの薄いフィルムに挟まれたうすーいチーズを入れる。パンに載せて焼けば1回だけだけれど、シチューに入ってしまえば数回は味わえる。そんな望みをかけて、チーズを入れた。
鍋の中身に火が通ったら、今度は牛乳を少し。豆乳でも美味しい。色もそれっぽくなる。だから味わい深くて、見た目もいいのに、割と安くできてしまうのが純子のシチューだった。そして彼女はそれを白米と一緒にいただくのが主流である。パンもいいけれど、ちょっとリゾット風になるご飯も美味しい。とても美味しいから、つい翌朝も同じメニューになってしまうことも多々ある。
「ご飯は炊けているし、シチューももう少しかな」
後は煮込んでしまえばいい。しっかりと柔らかく煮込まれた野菜たちは、とても美味しい具材だ。飾りにグリーンピースやパセリなんて洒落たものがあればいいのだけれど、今日はブロッコリーで我慢。洒落たものを出すのは、お客様が来た時でいいだろう、と純子は思った。
少しの間休憩しよう、と思って暖炉を見る。ニャーがゴロリとひっくり返って、暖炉を満喫していた。この猫、本当に一番いい場所を理解して陣取っているので頭がいい。人間だってそんな近くに寄らないというのに、猫という生き物は、自分がもっとも心地よい場所にしか陣をとらないのだ―――
心地よい場所、と考えて、純子は両親の思い出が残るこのペンションを思い浮かべた。まだ大学生だった頃、このペンションは友だちを呼んでも面白かったし、ちょっとしたホームパーティー気分も味わえた。両親が料理を準備してくれたり、夏場はバーベキューもできる。そんな季節は若者だって、まずまず寄ってくるのだ。周囲は田舎だから、多少騒いだって怒られない。自然もきれいだし、空気もいい。だから割と誘えば友だちが集まる、というのは夏場のこと。
今のように寒くなってくると、途端に人は集まらない。雪で道路が封鎖でもされれば、時間に余裕のある人間しか集まれないのだ。皆、明日は仕事とか、休暇が終われば職場が待っている、というお客様ばかり。
職場か、と純子はこぼした。ゴロゴロしているニャーを見ながら、自分のいた職場が、とても苦しい職場だったことを思い出す。藁をもすがるつもりで入社したのに、オフィス街を颯爽とヒールで歩くキャリアウーマンにはなれなかった。特に大変だったのは、営業部のサポートだ。営業部はとにかく忙しくて、資料集めやまとめなどは、純子のようなOLに回ってくる。上手くできないと怒られるし、そもそも営業の資料なんて作れるはずがなかった。だからいつも、あの人に怒られていたっけ。
「……荒尾さん、元気かな」
純子には営業部に先輩がいた。先輩と言っても、ただ先に入社しているだけで、同じ学校だったとかそういう部類の話ではない。荒尾という男性社員は、営業成績トップで後輩の指導にも熱の入るタイプだった。まずまずイケメンなので、女子社員からも人気があったが、クールな人だったので浮いた話もない。結婚しているとか、家庭があるとか、誰ともデートに行かないとか、そんなちょっと女子が気になるようなミステリアスな雰囲気もあって、人気だったのである。
しかし、純子にとっては厳しい先輩社員の1人だった。一度、資料作成を頼まれたが上手くできずに怒られた経験がある。それ以来、荒尾の希望やクライアントのことなどをよく聞いて、しっかりと作成していた。荒尾は、聞けば上手く説明してくれるので分かりやすい人だったが、一度怒られた経験もあってか、打ち解けるまでには至らなかったのである。
元気かな、と言ったのは、純子の退職がバタバタしていて、職場や部署にまともな挨拶もしてこなかったから。両親が一気に亡くなり、とにかくこのペンションへ戻って来なければ、と純子の気持ちが焦っていたのだ。ニャーの世話もあるし、両親の葬式もあるし、親戚も呼んで、としているうちにヘトヘトになった。上司には事情を説明して、そのまま退職した、という流れでもある。
せめて最後に挨拶だけでも、と思ったが気づけばもう冬。挨拶に行くにも微妙な時間が経ってしまい、菓子折りを贈ってそれ以来。仲の良かった同僚からは少しだけ返事が来たが、純子が田舎に引っ越したと知って、すぐに返信は止まった。都会のキラキラした世界が好きな女性たちは、純子のように田舎に戻った者には見向きもしないのだ。
きっと荒尾もそうだろう。なんの連絡もなく、月日は流れていく。彼にも彼の生活があるのだから、仕方ない。純子はそう思って、特に何かするわけでもなかった。このペンション兼カフェをニャーと一緒に守ることが、今は一番の目標だから。
「あ、吹きこぼれる!」
牛乳を入れた鍋は吹きこぼれやすい。純子は急いで鍋の火を止めて、中を見た。十分に美味しそうにできた。ブロッコリーも思ったよりきれいな色をしていて、気に入った。これはまた何か別の料理を作ってみよう。そんな意欲が湧いてきて、純子はそっちに気がとられて行く。皿にご飯を盛り付けて、それからシチューをかけた。カレー並みの扱いを受けているシチュー。でも味は格別なはず。
よし、いただこう!と思った時、ペンションの玄関が叩かれた音に気が付いた。