目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話 合宿準備

病葉がバスタブからぬるり、と這い出てきて香森が手で押さえている胸に再生しかけた自分の手をあてる。しばらくそのままにして指で太もものあたりを叩き心拍数を数えていたがやがて『なるほど』とうなずいた。


『……ふふふ。学園長ほら、だいぶ落ち着いてきたみたいですよ。見かけによらず心臓ここはずいぶんと丈夫そうですね。これは……摩耶が聴いたら一発で好きになるやつですね』


「摩耶って誰だい。君の部活の生徒かい?」


怪訝な顔をした香森が病葉に尋ねる。


『ええ。学園長は僕がネクロフィリアなのは知ってますよね』

「ああ。死んでるものしか愛せないってやつだろう。知ってるよ」

『はい。摩耶はうちの美術部の生徒なんですが、僕みたいにだいぶ変わった癖を持ってるらしくて……』


そこでするり、と病葉の手が黒い三揃いのスーツの上から香森の体全体の筋肉の位置を確かめるように動かされる。


「ちょ、ちょっと病葉くん、急に何するの⁈」

『……ご無礼をお許しください学園長。僕の癖はご存知でしょう』


今度は病葉の指先が香森の体を撫でまわすように動く。2回目は筋肉の量を確かめるかのように非常にゆっくりとだ。


「え、ええ?私死んでないよ。あっ違った死んでる。病葉くんき、君、まさか私のこと好きになったりしてないよ……ね」


香森は全身の皮膚にぷつぷつと鳥肌がたつような感覚を覚えながら、上半身と下半身を行ったり来たりする病葉の手の感触にじっと耐えていた。


『さあ、どうですかねえ。ううむ学園長なかなか……良い体をされてますね。これならヌードデッサンのモデルをお願いしたいくらいなんですが』

「はあ⁈いや何言ってるの嫌だよ私、いくら頼まれても君の生徒たちの前で脱ぐ気はないからね」


香森は体にまわされた病葉の手をやっとのことでふりほどき、勢いで床に尻もちをつく。病葉は床の香森を見つめていたが『そうですか。じゃあ今度の合宿限定というのはいかがです?』とまだ食い下がる。


「が、合宿限定で?ちなみに何人くらい来るの」

『ひー、ふう、みい……今参加する希望を聞いてるのは僕を含めてあと2、3人くらいですかね』

「ずいぶん少ないね。それなら……いいよ、なんて言うと思った?嫌だからね」


香森がキッと鋭い目で病葉をきつく睨むと『分かりました。気が変わったらいつでもご連絡くださいね』とやはり諦めきれないのかそう言った。


「……で?合宿は今月なんだろう。もうどこに行くかは決めてるのかい。体の再生もそれまでに万全にしておく必要があるだろう」

『はい。それなんですが、今回は野州湖のすこに行こうかと思ってます。学園長はツチノコって知ってますか』

「は、ツチノコ?」


香森は先ほどから病葉の行動と話が唐突すぎてまったくついていけていない。


『ええ。胴体が短い蛇に似た姿の未確認生物です。UMAともいいますね。うちの美術部にこういうオカルトにやたらと詳しい生徒がいるんですが、野州湖で最近目撃情報があったらしいんです』


「ふーん、それで行くことになったのか。そういやツチノコって莫大な懸賞金がかかってなかったっけ。もし見つけたら捕まえてきてよ。私も一度見てみたいからさ」


香森がそう言うと病葉は『分かりました。捕獲は難しいかもしれませんが……頑張ってみます』と返した。香森は病葉の手を借りて起き上がるとスーツについた埃を払った。


「それじゃ病葉くん、今夜はそろそろ帰ったほうが。ああ、そういえばさ君今どこで寝てるんだい?」

『美術準備室で夜間は大人しくしてますよ。幸い睡眠を必要としない体なので一晩中起きてますね』

「それさあ、暇じゃないの。ちょうどここ空いてるし、私は隣の部屋にいるからこっちに来ない?良かったら話相手になってよ」


香森が気まぐれなのか病葉に提案してくる。それにこの部屋なら周囲を気にすることなく体の再生を試せるので都合がいい。


『話相手は僕でいいんですか学園長。最近は外に出てないので世間の話題には疎いですよ』

「そんなの全然気にしなくっていいよ。私も似たようなもんだからね」


病葉は香森に頭を下げ『では今夜からお世話になります』と言った。窓の向こうに広がる夜空には細い三日月が浮かんでいた。



「おはよう倉田。そういえば今年の合宿どこに行くか知ってる?」


寮から学園に登校した摩耶は教室で隣になった倉田に挨拶がわりに聞いてみる。すると倉田がやけに早口に教えてくる。


「おはようございます比良坂さん。えっ今年は野洲湖に行くの知らないんですか。最近ツチノコの目撃情報があったところですよ」

「え、そうなの?てかツチノコって……何。知らないんだけど」


摩耶がそう返すと倉田は怒涛の勢いでツチノコについて語り始める。かいつまんでみるとツチノコはUMA(未確認生物)といういまだに存在がはっきりしていないものらしい。もし生け捕りにできれば自治体が多額の懸賞金を出すという噂もある。


「え〜、何それ。すごいじゃん。じゃあ野州湖に行ったらまずツチノコ探さない?」

「ダメですよ。美術部の合宿が目的で行くんですから、ツチノコはおまけで帰り際にこっそり探しましょう。病葉先生とかに怪しまれるの嫌ですし」

「そうだった。うーん……でも先生来るのかな。しばらく甘崎先生が代理してるみたいだし、やっぱりまだ体が戻ってないのかな」


摩耶が目を伏せる。表情がどんどん曇っていく。病葉のことを心配しているのは明らかだった。


「だ、大丈夫ですよ!甘崎先生もついてますしあの病葉先生のことですから心配いらないですって」

「それは……そうかもだけど。倉田、放課後美術準備室に行くからついてきて」

「へ?いいですけど」


摩耶に頼まれて倉田はうなずいた。摩耶ほどではないがあれから姿を見せない病葉のことは心配だった。摩耶の目の前で体が溶けてしまったらしいのでそもそも再生なんてできるのか予想がつかない。倉田が話を続けようとしたタイミングで最初の授業の教師が教室に入ってきたので、一旦切り上げた。


「こんにちは。先生、いる〜?」


授業が終わった放課後。約束どおり美術準備室に向かった。摩耶が美術室に人がいなくなったのを見計らって準備室のドアをノックする。


「あれ。なんか静かすぎない?」

「一応入ってみますか」


倉田がそう言って先に入る。準備室の中はきちんと備品などが整頓され、埃ひとつない。奥に丸椅子がひとつ置かれているだけで、病葉の姿はなかった。


「お留守……ですかね。でも比良坂さんから聞いた見た目だと外を歩くのはかなり厳しそうですけど」

「うん。ムリだと思う。会った時に先生の携帯の電話番号聞いとけばよかった」

「もし聞いたとしても個人情報ですからたぶん教えてくれないですよ」

「それはそうかもだけど。倉田何か先生から聞いてない?」


摩耶は胸の前で腕組みをし、倉田のほうを見る。


「いえ。僕は何も。比良坂さんが聞いてないなら僕だって知らないです。一応保健室にも行きますか?」

「甘崎先生なら何か知ってるかもしれないですし」


倉田が提案すると摩耶はこくりとうなずく。保健室に向かい、甘崎に病葉の居場所を聞いたものの知らないという答えが返ってきた。


「病葉先生のことだからそのうちふらっと戻ってくるわよ。そういえば……昨日の夜、学園長室によく似た人がいるのを見かけたからそっちに行ってみたらどうかしら」

「ありがとうございます、行ってみます」


摩耶と倉田は甘崎にお礼を言ってから学園長室に向かった。実はここに来るのは初めてだった。倉田が蝙蝠の形をした黒いノッカーを鳴らして「失礼します」と言うと中から「どうぞ」と返事が返ってきた。


「比良坂さん、行きましょう」

「う、うん」


学園長室の中は学園内に比べると少し気温が低く、ひんやりとしていた。革張りの椅子に座って机の上で書き物をしていた香森が顔をあげる。


「……やあ、こんばんは。いや、初めましてかな。私に何か用かい。それとももしかして……病葉くんを探しに来たのかな?」


摩耶と倉田の頭の中をのぞいたように香森が尋ねてくる。どこか気だるげというか非常にラフな雰囲気で話しやすそうに見える。きっちり整えられた白髪に血に似た赤い瞳が映える。


「あの……学園長。病葉先生が今どこにいらっしゃるのかご存知なんですか?」

「知ってるよ。だって彼、そこにいるからね。会いたいなら行ってもいいけど、体がまだ完全に再生してないから長話は駄目だよ」


倉田に聞かれた香森は色の白い指先で学園長室の奥にある扉を指さす。摩耶は「ありがとうございます」と言うなり扉まで走っていく。倉田も後を追う。


「……良い生徒を持ったねえ病葉くん」


香森が倉田と摩耶の後ろ姿を見て小さくつぶやいた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?