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第5話 溶けた病葉

美術室に入るなり甘崎はきゃああっと悲鳴をあげ、腰を抜かして床に座りこんだ。摩耶が座っていた丸椅子のそばに倒れていた病葉の体は皮膚も肉も全て溶け、禍々しい黒に染まった骨だけがどろどろとした泡立つ液体の中に残っていた。


「な、な、なんですこれ……! 一体何をしたらこ、こんなことになるんです‼︎」

「死者蘇生を。蘇生の儀式をやって先生......自分で生き返ったんです」

「な、なんですって。先生が死霊術ネクロマンシーを? それから?」

「儀式は成功したけど手伝った先輩が2人......死にました。それから先生、怪我した傷もふさがってたし普通そうだったのに、ねえなんで……?」


摩耶は液体の中に浮かぶ黒い骸骨のそばへふらふらと歩き出す。甘崎が後ろから止めるが、放心した摩耶の耳には届かない。液体の中に膝をつくと肌に針の先で突かれるような痛みがはしる。


「先生……帰ってきて。私をまた1人にしないでよう」


摩耶の目から涙があふれて液体の上に落ち、じゅうっと音をたてる。次々に涙が落ちていく。摩耶は病葉が最後に言った言葉と柔らかな表情を思い返してみっともなく泣きじゃくった。


「何があったのか知らないけどあなた……病葉先生のことがよっぽど好きなのねえ。わかったわ、私が何とかしてみるから今夜は寮に帰りなさい、ね?」

「は……はい。ありがとうございます甘崎先生。よろしく……お願いします」

「ええ。じゃあまた明日ね。おやすみなさい」


立ち直った甘崎が摩耶のそばにきてそう言うと、摩耶はおとなしく従い美術室から出て行った。ドアが閉まると甘崎は病葉が横たわった液体に触れないようにしてしゃがみこむ。その姿が時間を巻き戻すかのように60代前半の老女から40代後半くらいに変わる。


「まったく……あんなに可愛い女の子を泣かせるなんて、貴方最低ね」

「どうせまた死霊術のやり過ぎでしょう?だいたい自分に術をかけるなんて本当どうかしてるわ。一体今日までに何回くらい自殺したのかしら」


甘崎がショートカットになった銀髪をかき上げ、黒い骸骨を睨む。すると骸骨が上体を起こして口を開け、さもおかしそうに笑った。


《はは、な〜んだやっぱり全部お見通しですか。参ったなあ。死んだ回数なんてとっくの昔に数えるのなんてやめましたよ、面倒なもので》


「あらそう。悪いけどネクロマンシーの過剰行使に効く魔法薬なんて持ってないわよ。何とかならないの、それ」

《それは残念だ。皮膚と筋肉、それから内臓の再生は…………う~ん、無理ですねえ。すっかり溶けてますから。別に目も耳も普通ですし、こうして喋れますから問題はないですけども》


病葉は淡々と言ってのける。甘崎は「ああ、そう」と呆れ、ため息をついた。


「でも惜しいわね」

《え?何がですか》


病葉が意外そうに尋ねると甘崎は一瞬ためらったのち、恥ずかしいのかかなり小さな声で続ける。


「貴方のあの美しい宝石みたいな右目が見られなくなるのは」

《ああ……なるほど。そういうことでしたか》


病葉は「ふふふ」と愉快そうに笑う。甘崎は笑われたのが悔しかったのか黙りこむ。


「そういえば明日からの補講はどうするの?いくら夏休みに入ったからっていつまでも先生が代理じゃ生徒たちから怪しまれるわよ」

《そうですねえ……。甘崎先生、たしか美術館巡りお好きですよね?》

「ええ、好きだけど。それがどうかした?」


甘崎が答えると病葉は骨だけになった両手をぱちりと打ち合わせこう返した。


《じゃあ僕の代わりにしばらく補講、お願いできますか》

「何言ってるの、保健室の仕事と両立させるなんて無理よ⁈本気なの」

《そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。補講といっても授業する必要はありませんし、基本暇なので。僕もこ~っそりサポートします。そこの準備室からね。どうです?》


甘崎は目を閉じしばらくの間思案していたが、病葉の押しに負けたのか「......わかったわ」と言った。


《じゃあ決まりですね。ああ......もう夜明けか》

「そうね。私も一度寮に戻って休むわ。後から今日の補講の予定をメールで送ってちょうだい」

《わかりました。では、おやすみなさい。この汚れはきっちり掃除しておきますからご心配なく》


病葉が自身の浸かっている液体を指さす。その背後で窓に昇ってきた朝日があたってオレンジに反射する。甘崎は振り返らず「おやすみなさい」とだけ言い残して美術室から出ていった。

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