奥へ進むにつれ、空気が少しひんやりとしてきた。壁に刻まれた装飾はますます複雑になり、足元にはかすかに細かい砂が積もっている。まるで長い間、誰も踏み入れていない場所のようだった。
「……何か聞こえない?」
ナツメが立ち止まり、小さく囁く。俺も耳を澄ませると、どこか遠くから風のような音が聞こえた。だが、このダンジョンには風が吹き込むような場所はなかったはずだ。
「……何かが動いてる?」
ナツメがスマホの画面を確認し、軽く眉をひそめる。
「生命反応は……なし。でも、この空気の感じ……」
言葉を選ぶように言いかけたその時、前方の暗がりで何かがかすかに光った。俺は反射的にナイフを握りしめ、一歩踏み出す。
光の正体は、床に埋め込まれた円形の装置だった。古びた金属の輪の中央に、小さな青白い石がはめ込まれている。
「……魔力灯?」
ナツメが慎重に近づき、スマホをかざす。スキャンの結果、画面に「微弱な魔力反応あり」の表示が浮かんだ。
「でも、まだ動いてるみたい」
「ってことは、この先も……」
俺が言いかけた瞬間、遠くの暗闇がぼんやりと青白く光った。まるで何かが目を覚ましたように、ゆっくりと。
ナツメが息をのむ。俺も慎重にナイフを構えた。
「……行ってみるか?」
「うん。でも警戒してね」
俺たちはゆっくりと、光の先へと歩を進めた。静寂の中、何かがこちらを見ているような、そんな気配を感じながら。
青白い光の正体は、壁際に並ぶ石像だった。高さは人間と同じくらい。甲冑をまとった戦士の姿をしており、それぞれが剣や槍を構えている。
「……これは?」
ナツメがスマホをかざし、スキャンをかける。しかし、画面には「魔力反応なし」の文字が表示された。
「ただの彫像……なのかな?」
「いや、ダンジョンにこんな目立つものがある時点で、罠か仕掛けの可能性は高い」
俺は慎重に石像へと近づき、その表面に手を触れた。冷たく、ひんやりとした感触。しかし、特に動く気配はない。
「意外と古いな。ところどころ欠けてる」
「でも、なんだか不自然……」
ナツメが周囲を見回しながら言う。確かに、石像の配置が妙だった。まるで何かを守るように円を描いて並んでいる。そして、その中心には──
「……扉?」
壁には、装飾の施された大きな扉があった。表面にはさっきのプレートと同じ文字が刻まれている。
「これ、開けられるかな?」
ナツメが扉の前に立ち、慎重に観察する。取っ手や鍵穴らしきものは見当たらない。代わりに、中央に手を当てられそうなくぼみがあった。
「……試してみるか」
俺はゆっくりと手を伸ばし、くぼみに触れた。その瞬間、足元の魔力灯が一斉に明るく輝く。
「──っ!」
同時に、石像たちの目がぼんやりと光を宿した。
「……やっぱり仕掛けがあったか」
俺はすぐに後ろへ下がり、ナイフを構える。ナツメもスマホを操作し、準備を整えた。
「来るよ……!」
静寂を破るように、石像の剣がゆっくりと持ち上がる。まるで長い眠りから目覚めるように、ゆっくりと──だが確実に、動き始めた。
石像の目が青白く輝き、鈍い音を立てながら動き始める。長年の静寂を破るように、関節が軋む音が響いた。
「……やっぱり動くか」
俺はナイフを握り直し、後退しながら状況を確認する。石像は全部で五体。剣を持つものが三体、槍を構えるものが二体。配置的に、俺たちを包囲する形になっていた。
「ナツメ、どうする?」
「……正面突破は危険。でも、足元を見て」
ナツメが指さす。足元の魔力灯が光を放ち、その明かりが石像の動きと連動しているようだった。
「この光、何かの制御装置になってるかも……。壊せば動きを止められるかもね」
「なるほどな。なら、試してみるか」
俺は素早くナイフを抜き、近くの魔力灯へ向かって振り下ろす。しかし──
「硬っ!」
刃が触れた瞬間、まるで金属のような硬度を持つガラスが、衝撃を弾いた。ナイフの先がわずかに欠ける。
「物理攻撃は効かないみたい……!」
「くそっ、なら別の方法を──」
その時、一体の石像が完全に覚醒し、剣を振りかざした。
「──っ!」
俺は反射的に身を屈め、ギリギリのところで回避する。剣が空を切り、石の床に重い音を響かせた。
「ナツメ、魔法でどうにかできるか!?」
「やってみる!」
ナツメはすぐにスマホを操作し、アプリの魔法スキルを起動する。画面に浮かび上がる詠唱の文字──そして、彼女の指がタップした瞬間、魔力灯の一つがかすかに揺らいだ。
「……いける! もう少し……!」
俺は迫る石像の攻撃をかわしながら、ナツメを守るように立ち回る。時間はそう多くない。だが、あと少し──あと少しで、この状況を打破できるはずだった。
ナツメの指が画面を滑り、スマホの魔法スキルが発動する。魔力灯の光が一瞬だけ明滅し、石像の動きがわずかに鈍る。
「……効いてる!」
だが、完全に止まるわけではない。石像たちは確かに動きが遅くなったが、依然としてこちらを攻撃しようとしている。
「もう少し強くしないとダメか……!」
ナツメはさらに魔力を込めるべくスマホを操作するが、その間にも石像たちはじりじりと距離を詰めてくる。
「時間がねぇ……!」
俺は目の前の石像の攻撃をかわしつつ、周囲を観察する。魔力灯の光と石像の動きが連動しているのなら、もしかすると「中心」に何かあるのではないか?
「ナツメ、扉のくぼみにもう一度触れてみろ!」
「えっ!? でも、さっきは──」
「試す価値はある!」
俺は剣を振り下ろしてきた石像の腕を避け、体勢を整える。ナツメは一瞬迷ったが、意を決して扉の中央にあるくぼみに手を当てた。
──その瞬間、魔力灯の光が一斉に強まる。
「……な、何?」
石像たちが一斉に動きを止める。そして、彼らの目から放たれていた青白い光が、ふっと消えた。
「止まった……?」
俺は警戒しながらも、一歩前へ出る。石像はまるで命を失ったかのように、ただの石の彫像へと戻っていた。
「ナツメ、扉は?」
「……開いた」
ゆっくりと、重厚な扉が軋みながら左右に開いていく。その向こうには、さらに奥へと続く暗闇が広がっていた。
「……やっぱり、このダンジョン、普通の構造じゃないね」
ナツメが小さく息をつく。俺もナイフを握り直し、慎重に前を見据える。
「先に進むしかねぇな」
俺たちは互いにうなずき、開かれた扉の先へと足を踏み入れた。