雅と葵は、啓の病室を後にし、一度家に戻った。
両親の許可をもらい、準備を整えた二人は、啓の担当編集者である緋崎美紗に連れられ、アニメ監督の待つ制作会社へと向かうことになった。
『先生の作品をアニメにするにあたって、幼馴染のモデルになったお二人の話を聞きたい』
そう説明した緋崎の言葉に、雅と葵は快く応じた。啓の役に少しでも立てるなら、それは嬉しいことだった。
制作会社に到着すると、受付を通り、事前に取られていたアポイントを確認してもらう。
案内されたのは、落ち着いた雰囲気の応接間だった。
「監督と少し話があるので、お二人はここで待っていてください」
緋崎がそう言い残し、監督とともに別室へ向かう。
雅と葵は応接間に残され、静かに待つことになった。
二人が応接間で待っていると、扉が開いた。
ゆったりとした足取りで、背の高い男が入ってくる。
「すみません、ここを使う予定があると聞いたんですが……あれ?」
男は立ち止まり、雅と葵に視線を向ける。
端正な顔立ちに整えられた金髪。洗練された雰囲気をまとったその男は、どこかで見たことのある人物だった。
「……いや、驚いたな。こんなところでこんな綺麗な子たちに会えるとは思わなかったよ」
彼は穏やかな笑みを浮かべながら、落ち着いた声で言った。
雅は少し身構えながら、その男を見つめた。「あなたは……?」
「幸田昴。俳優をやっているよ」
葵の目が大きく見開かれ、驚きと興味が入り混じった表情を浮かべる。
「テレビで見たことあります! すごい……本物だ……」
幸田は穏やかに微笑み、余裕のある仕草で軽く頷いた。
「それは光栄だな。直接こうして会うのは初めてだけど、実際の俺はどう? 画面と違うかな?」
葵は少し照れくさそうに笑う。
「いや、思ったより……落ち着いてるかも」
雅はそんなやり取りを冷静に見つめながら、簡潔に答えた。
「私たちも監督に呼ばれました」
「へえ……じゃあ、制作に関わってる?」
「いえ、そういうわけではありません」
葵が続ける。
「私たちは……啓先生の知り合いなんです」
幸田の笑みがわずかに固まる。
「啓先生……?」
雅はその微妙な変化を見逃さなかった。
「なるほど、先生の知り合いってわけか。親しいの?」
「……まあ、それなりに」
雅は短く答えた。
「小さい頃からの幼馴染なんです」
葵がそう言うと、幸田は興味深そうに目を細めた。
「幼馴染か……」
彼の目が一瞬だけ、何かを測るように細まったが、すぐに穏やかな笑みに戻った。
雅の視線が鋭くなる。だが、幸田は何も気づかないふりをし、軽く話題を変えた。
「そういえば、先生の作品に出てくる幼馴染の女の子の一人って、バスケ部のエースだったよね?」
「……そうですね」
雅が短く答える。
「それって、もしかして君?」
幸田は葵を見つめた。
「あ……まあ、そんな感じです」
「へえ……」幸田の目がわずかに細まり、葵の反応をじっと観察する。
葵の頬が少し赤く染まるのを見て、幸田は確信した。
――狙うなら、こっちだ。
「バスケ、強いんでしょ?小説でも小説でも書かれてたけど、啓先生の周りは凄い子ばっかりだな」
「……い、一応エースですから。でも……」
「でも?」
葵は口ごもる。
「……啓先生の周りって、みんな綺麗で可愛くて……バスケだけが取り柄の私なんて、ちょっと浮くかなって」
幸田は少し顎に手を添え、考えるふりをした後、ゆっくりと視線を葵に戻した。
「そんなこと、全然ないよ」
葵の目が大きく見開かれた。思いがけない言葉に、一瞬、息を詰まらせる。
「君は、君のままで十分魅力的だと思うけどな」
彼の声は穏やかで、まるで葵だけに向けられたもののようだった。
「俺も昔から役者をやってるけどさ、華やかな世界にいると、周りと比べられることが多くてさ。正直、プレッシャーはあるよ。でも、どこかで信じてくれる人がいれば、それだけで救われるんだ」
その言葉は、まっすぐに葵の心に届いた。
「君には君の良さがある。それを理解してくれる人は、きっと現れるよ」
葵の胸に、じんわりと温かいものが広がっていく。自分をこんなふうに肯定してくれる言葉を聞いたのは、いつぶりだろう。
「あ……ありがとう……ございます」
声が少し震えてしまうのが分かった。
雅はそんな葵の横顔をじっと見つめていた。微かに眉を寄せながら、静かに幸田の表情を探る。
幸田は微笑みを保ったまま、ふと葵の視線をじっくりと見つめる。その目には、どこか計算されたような光が宿っていた。
雅の指先がわずかに強ばる。胸の奥に広がる違和感が、静かに警鐘を鳴らしていた。
あどけなく笑う葵の姿に、かつて自分が味わった、出口の見えない迷路のような不安が重なる。
どうしようもなく絡みつくような、あの息苦しさを思い出していた。