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第56話 新章・コーヒーの湯気の向こうには……ギャル?

 退院して家に戻る途中、響姉と立ち寄ったカフェ・スターバルクス。寒空の下、吐く息は白く、まだ冬の空気が残る二月の昼下がりだった。店内は暖房が効いていて、外の寒さを忘れさせるほど暖かい。スーツ姿のサラリーマンや、スマホを片手にカフェラテを飲む若い女性の姿がちらほらと見える。僕たちは窓際のカウンター席に腰を下ろしていた。


 「すまん!啓!」


 突然、響姉が申し訳なさそうに両手を合わせて謝ってきた。いや、そんなに謝られると逆に気まずい。


 「いいって響姉、確認しなかった僕も悪いんだから」


 それは退院前に病院からもらった薬のことだった。カフェ・スターバルクスに入り、コーヒーを一口飲んだ後、薬を飲もうとカバンを探る。しかし、薬を入れたはずの袋が見当たらない。焦って響姉に尋ねると、彼女の顔色が一気に青ざめ、「会計所に忘れてきた……」と消え入りそうな声で言ったのだ。


 「お姉ちゃん、車で取りに戻るから、啓はここでゆっくりしててくれ」


 慌ててそう言う響姉に、「僕も一緒に戻るよ」と言うと、彼女はすぐさま厳しい顔をしてきた。


 「ダメだ、病み上がりなんだからお姉ちゃんの言うこと聞いてろ」


 そう言って僕の額を人差し指で小突き、響姉は急ぎ足で駐車場へと向かった。僕は仕方なく席に戻り、飲みかけのコーヒーを手に取る。


 その時だった。


 「ねぇねぇ」


 突然、隣の席から聞こえた若い女の子の声に、思わず手が止まった。驚いて軽く背を反らしつつ振り向くと、そこにはギャル系ファッションに身を包んだ女の子が、僕を値踏みするようにじっと見つめていた。


 肩を大胆に露出させたトップス、タイトなスカート、足元はヒールのあるブーツ。派手めのメイクをしているものの、大きな瞳に透き通るような白い肌、鼻筋がすっと通った端正な顔立ちは、まるで精巧に作られた人形のようだった。美人で可愛い、けれどどこか挑発的な雰囲気を纏っている。


 「あ、あの……え?」


 自分が話しかけられたのかどうか分からず、つい周りを見回してしまう。女の子はそんな僕の反応を見て、ぷっと笑った。


 「何その反応、私が声かけたの君なんだけど」


 キラキラとした笑みを浮かべる彼女。若く見えるけど、大人びてもいる。そもそも平日の昼間に私服でいるのだから、高校生ではないのかもしれない。そんなことを考えていると、彼女はさらに身を乗り出し、僕をじろじろと観察し始めた。


 頭から足の先まで、念入りにチェックされ、最後に僕の顔を見た彼女は目を輝かせながらこう言った。


 「ねぇ、君さ、私にパパ活する気ない?」


 「パパ……え……えぇっ!?」


 思わず大声を上げてしまった。店内にいた人たちが、一瞬こちらに視線を向ける。


 「ぷっ、声でか」


 小さく笑う彼女。その軽いノリに、余計に混乱してしまう。


 慌てて口を手で押さえ、小声で問い詰めるように聞いた。


 「な、なんですか急に!僕、高校生ですよ!?それに初対面ですよね!?」


 僕の必死な訴えに、彼女は一瞬きょとんとした顔をした。しかしすぐに、にっこりと微笑んで言った。


 「確かに若すぎるけど、君、お金持ちでしょ?服装見れば分かるし」


 あまりにも当たり前のように言う彼女に、僕は自分の服を見下ろした。……正直、自分で服を買ったことがないので、値段がどのくらいなのか見当もつかない。母さんか、たまに帰ってくる響姉が選んだものをそのまま着ているだけだ。


 「それ、全部ハイブランドものでしょ。だからお金持ってるのバレバレ。ねぇ、どう?見た感じ君、彼女とかいないでしょ?今日一日、私とデートしてみない?」


 あまりにさらりと提案され、言葉を失った。


 「……え?」


 喉が詰まり、何か言おうと口を開くも、声にならない。現実感のない会話に、脳が処理を拒否し始める。


 「でも、本番はなしね。さすがに初めてくらいは好きな人としたいし。……あ、手ならいいよ?手袋つけてだけど。もちろん別料金になるけどね」


 彼女は何でもないことのように軽やかに笑う。その無邪気な表情に、かえって現実味が失われていく。


 思わず顔を引きつらせながら、手のひらをぎゅっと握る。こんな会話、ドラマや漫画の世界だけの話じゃなかったのか?


 「……は?」


 言葉が出たが、自分の声がやけに間抜けに響く。


 僕の脳内は、まるで古いパソコンのようにフリーズしていた——。





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