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第53話 新章・僕の知らないところで話が進んでいる件

 アニメ化の報せを伝えにきた緋崎さんが、唖然としたまま固まっている僕に向かって、鞄から資料を取り出し、そっと手渡してきた。


「これがプロジェクトの資料ね。時間がある時にでも目を通してもらえると助かるわ」


彼女は落ち着いた声でそう言いながら、僕の手に厚めのファイルを押しつける。


僕はそれをぎこちなく受け取りながら、未だに信じられないという思いを抱えたまま、曖昧に頷いた。


「は、はい」


自分の声がわずかに上ずっていた。そんな僕の反応を見て、緋崎さんが微かに笑みを浮かべる。しかし、そのまま続けた彼女の表情は、少し困ったようなものへと変わっていた。


「でね、ここからがちょっと問題なのよ」


眉間に皺を寄せながら言う緋崎さん。その様子に、嫌な予感が胸をよぎる。


「……というと?」


僕が恐る恐る聞き返すと、緋崎さんは小さく息を吐いた。


「実はね、アニメ化にあたって監督さんから打診があって……ほら、『二人と一人』って原作者の実話をもとにした作品ってことで、世間でも注目されてるでしょ? それで、その監督さんが、できれば一度、モデルとなった幼馴染に会ってみたいって言い出したのよ。できれば忠実に再現したいとかで……」


「えっ?」


僕は困惑のあまり、言葉を失った。


「もちろん、無理は承知よ。そんなことをすれば、はじめ先生の事とかバレちゃうし、それに、その幼馴染さんたちがいい返事をくれるかどうかも分からないし……」


緋崎さんが慎重に言葉を選んでいるのがわかる。だが、彼女がそこまで言いかけたところで、雅が不意に口を開いた。


「私なら全然かまいませんけど?」


「私も」


続けて、葵までもがあっさりと同意する。


一瞬、緋崎さんの動きが止まる。彼女は呆気に取られたまま、困惑した表情で雅と葵を交互に見つめた。


「この子たち……何言ってるの?」


信じられない、という顔をしている。その反応に、僕は思わず苦笑いを浮かべた。


「えーっと……その幼馴染さんたちのことです」


「ええええっ!!?」


緋崎さんの大きな声が響く。彼女は慌てて雅と葵のほうへ振り返ると、まくしたてるように言った。


「ちょ、ちょっと待って。つまり、あなたたちが……? 本物のモデルってこと!?」


「そういうことになりますね」


雅が落ち着いた声で答えた。


緋崎さんはしばらく呆然としていたが、やがて目を輝かせると、興奮した様子で手を差し出した。


「すごい! 一ファンとして本当にモデルのお二人に会えるなんて嬉しいわ! 握手してもらってもいい?」」


やや圧倒された様子の雅と葵が、おずおずと手を出すと、緋崎さんは彼女たちの手をしっかりと握りしめた。その熱量に気圧されながらも、雅と葵は苦笑いしながら応じる。


すると、雅がふと僕のほうを振り返る。


「啓は、私たちがその監督さんに会ったら、嬉しい?」


「え?」


僕は思わず聞き返した。嬉しい……? 今ひとつピンとこず、小首を傾げる。


すると、葵がキラキラした目で僕にぐっと顔を近づけてくる。


「その監督に会ったら、啓の役に立てるのかなって話だよ」


「……な、なるほど」


葵の言葉を聞いて、雅が小さくため息をつく。少し頬を膨らませながら、控えめに言った。


「葵、ちょっと近すぎるわ……」


そう言って、雅が葵の両肩を掴み、そっと引き離す。葵はムッとした顔をしながらも、大人しく雅に従っていた。


彼女たちの言いたいことが、なんとなく伝わってきた。僕は微笑みながら答える。


「うーん……まあ、嬉しいかな。なんて、ははは」


ぎこちないながらもそう答えると、雅と葵は目を輝かせてお互いの手を取り、喜び合った。そして、すぐさま緋崎さんのほうへ向き直る。


「ぜひ!」


「お受けします!」


二人の勢いに、緋崎さんは少し戸惑いながらも頷いた。


「そ、そう。こちらとしては助かるわ。ただ、お二人のご両親の許可も取ってからね。そして、啓先生のことは内密に進める方向で……」


「はい!」


二人は息を揃えて答えた。


緋崎さんは安心したように息をつくと、少し言いにくそうに言葉を続ける。


「実は、もう一つ、啓先生にしかお願いできない問題が残ってるんだけど……」


「えっ? ま、まだあるんですか?」


僕が驚いて聞き返すと、緋崎さんは申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「実はね、キービジュアルを担当するイラストレーターのレイランって人が、先生に会いたがってるのよ……」


その言葉を聞いた途端、神楽が勢いよく手を上げた。


「はい!」


「な、何神楽?」


僕が戸惑いながら尋ねると、神楽はじとっとした視線で緋崎さんを見つめ、少し間を置いてから言った。


「そのイラストレーターさんって、女性……?」


言葉を区切るように問いかける神楽。その隣で、真凛も腕を組みながら同じような視線を緋崎さんに向けている。


何かを問い詰めるような二人の様子に、緋崎さんは視線を泳がせ、しばらく考え込んだ。そして少ししてから僕に視線を戻し、小声でこそこそと話しかけてくる。


「先生、どう答えた方がいいですか……?」


まるで助けを求めるような緋崎さんの態度に、僕がどう返そうか迷っていると——。


「あ、もう充分です。分かりました」


と、すっぱり言い切った神楽の目つきが鋭く変わる。その様子を察した真凛、雅、葵も、同じように警戒心をあらわにする。


神楽が雅に向かって言った。


「監督さんに会う時、その人がいたらよく調べておいて」


「まかせて頂戴」


雅も真剣な面持ちで応じた。


何やら神楽と雅が、すさまじい連携を見せている——。


すると、緋崎さんが割り込むように言った。


「あの、何か盛り上がってるとこ悪いんだけど、会うことには会うんだけど、ちょっと特殊なのよね……」


言いにくそうに視線を逸らす緋崎さん。


「特殊?」


僕が聞き返すと、緋崎さんはためらいながらも続けた。


「ええ……レイランさんって動画配信者なのよ。それで、その、配信に出てくれって……」


申し訳なさそうに言う緋崎さん。


理解が追い付かず、僕は呆然とする。そしてゆっくりと自分を指さし、またもや聞き返した。


「僕が……?」


僕の問いに、緋崎さんは再び申し訳なさそうに頷いた。


「まあ、そういうことになるわね……?」


なんとも歯切れの悪い返答に、僕は思わず天を仰いだ。


「いやいや、どう考えても場違いでしょ、僕が配信に出るなんて。何を話せばいいんですか? 書斎のこだわりとか?」


「うーん、そこはレイランさんがうまく進行してくれると思うけど……」


「いやいや、そんな人任せな話あります!? 僕、トークスキル皆無ですよ!? どもり倒して放送事故ですよ!?」


「まあまあ、そんなに気負わなくても」


緋崎さんが苦笑する横で、真凛と神楽がひそひそと話していた。


「啓君が配信で喋るとこ、ちょっと見たいかも」


「確かに。多分テンパって意味不明な事言い出すよきっと」


「ふふ、それ絶対面白いやつ」


「聞こえてるからね?」


思わず突っ込む僕だったが、すでに雅と真葵まで興味津々な顔でこちらを見ている。


……なんだこの流れ。まさか、全員ノリ気なんじゃないだろうな?


「ちょっと待って、本当に出るなんて決まってないからね!? ちゃんと考えるからね!」


そう叫ぶ僕をよそに、緋崎さんは「まあ、先生の判断にお任せするわ」と言いつつも、どこか期待のこもった目をしていた。


僕は肩を落とし、深くため息をついた。

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