午前の授業が終わり、昼休みを知らせるチャイムが教室中に響き渡った。教室のざわめきが一気に活気を帯び、友人同士が楽しげに席を移動し始める。窓際の席では、日差しを浴びながら弁当の蓋を開ける者、購買へと駆け出す者、楽しげな笑い声があちこちで飛び交っていた。
鞄からお弁当を取り出し、机の上に置いたその瞬間。
「私たちも一緒にいい?」
不意にかけられた声に、僕は思わず顔を上げた。目の前には、少し気恥ずかしそうに立っている雅と葵の姿があった。
一瞬驚いたが、それを悟られないように表情を整え、照れくさそうにしながらも言葉を返す。
「も、もちろん」
僕の返事を聞くと、雅と葵はほっとしたように微笑み、椅子を持って僕のもとへやってきた。そして三人で机を囲み、それぞれお弁当の蓋を開ける。いつの間にか周囲の賑やかさは遠くなり、僕たちだけの空間がそこに広がっていた。
「なんだか、こうやって三人でご飯を食べるのも久しぶりだね」
葵が楽しげに笑う。その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中には小学生の頃の記憶がよみがえった。
あの頃、僕たちは同じ班で、昼休みになると自然と机をくっつけて一緒に給食を食べていた。
くだらない話で笑ったり、おかずを交換したりしながら過ごす時間が、とても楽しかった。
そんな日々が、いつの間にか遠い過去になってしまっていた。でも、今こうして再び三人で机を囲んでいると、あの頃と変わらない安心感を覚える。
「ふふ、葵ったら“懐かしい”って、今日はそればっかり言ってるわ」
雅がくすっと笑いながら言う。雅の言葉に、僕もまた微笑んだ。
「えっ、そ、そうだっけ?」
葵は少し恥ずかしそうに目をそらし、頬をかく。その仕草が昔とまったく変わらなくて、なんだか嬉しくなる。
僕は静かに笑い、箸を握りしめたまま、懐かしさと共にゆっくりと昼食を口に運んだ。
「……はは」
僕が笑ったことで、三人の間に張り詰めていた微かな緊張がほどけていく。だが、それと同時に、周囲からのひそひそとした声が耳に入ってきた。
「あの三人、仲良かったの?」
「珍しい組み合わせよね?」
「朝も三人で一緒に登校してたんだって」
「相沢、羨ましすぎだろ……」
聞こえないふりをしながらも、僕は内心で苦笑いを浮かべる。そして気まずさを拭うように呟いた。
「な、何か食べづらいね……」
すると、雅はまったく気にする様子もなく、肩を軽くすくめながら言った。
「言いたい人には言わせておけばいいわ。それに、私たちが何をしようと、隠すようなことでもないし」
「そうそう」
葵も軽く笑いながら同意する。
そんな二人の自然な態度に、僕はようやく緊張をほどくことができた。彼女たちの言葉は理にかなっていて、それ以上気にする必要もないのかもしれない。
「……うん、そうだね」
気を取り直し、お弁当を食べながら、目の前の二人のやりとりを眺める。
雅が少し得意げに冗談を言い、葵が笑いながら軽く突っ込む。
そのやり取りが微笑ましく、つい口元が緩む。話の内容は他愛もないものだけれど、そんな何気ない時間が心地よかった。
しかし、その穏やかなひとときの中、雅がふと周囲を見渡した。ざわめく教室の中で、僕たちの会話に耳を傾けている様子の人がいないか気にしているように見えた。そして、少し声を落として問いかけてきた。
「啓、自分の小説が映画化されるって聞いた時、どう思ったの?」
突然の問いかけに、僕は箸を持つ手を止めた。言葉を探すように視線を落とし、しばらく考え込んでから口を開く。
「最初は実感が湧かなかった。突然映画化が決まったって聞いても、どこか現実味がなくてさ」
「じゃあ、あまり嬉しくなかったってこと?」
葵が少し身を乗り出して尋ねる。
僕は首を横に振りながら、思いを言葉にした。
「いや、嬉しかったよ。でも、最初は現実味がなくて、素直に喜ぶよりも戸惑いの方が大きかったんだ。でも……」
「でも……?」
雅が続きを促すように目を向ける。
「映画化が決まったことで、新しい出会いがあって、今まで気づかなかったことにも気づけたんだ」
言葉にしながら、静かに胸の内に広がる感情を感じた。
「香坂真凛さんと篠宮神楽さん……?」
葵が二人の名前を口にすると、僕は少し照れたように笑った。
「うん……二人とも、僕の小説を読んで、すごく感動したって言ってくれたんだ。辛い時も、僕の小説に救われたって……」
言葉にしながら、自分の書いたものが誰かの支えになったのだと改めて実感する。心の奥がじんわりと温かくなった。
「それって、やっぱり嬉しい?」
雅が少し身を乗り出し、優しく問いかける。
「……うん。自分の書いた小説が、誰かの人生に影響を与えて、少しでも支えになれたなら、それ以上のことはないよ。本当に、ありがたいと思ってる」
そう話しながら、自然と口元がほころぶ。雅は静かに頷きながら、じっと僕を見つめていた。
「啓らしいね」
葵が微笑む。
「だからこそ、この映画が成功するように、僕も全力を尽くしたい。真凛と神楽は、僕の作品を大切に思ってくれているし、彼女たちに恥じないものになってほしい。僕が直接映画を作るわけじゃないけど、原作者としてできる限りのことをして、彼女たちが誇れる作品になってほしい」
僕がそう言うと、雅がふっと視線を落とした。
「私も……啓の力になりたい……でも、私にできる事は……」
「え?」
思わず聞き返すと、雅は視線を落とし、少し唇を噛んだ。
「これまで、私は自分の気持ちを優先してばかりで……啓にとって、本当に必要なことを考えてこなかった気がするの。だから、今度こそ……何かできることがあるなら、ちゃんと力になりたい……」
その言葉に、葵も少し表情を曇らせた。
「雅……」
葵が心配そうに雅を見つめる。
「そんなに気にしなくてもいいよ。二人とこうしてまた一緒にいられるだけで、僕は十分嬉しいんだから」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……でも、私は私なりのやり方で啓を支えたいの。真凛さんや神楽さんみたいに」
雅の言葉には、強い意志が滲んでいた。
葵も何かを言いたげに口を開きかけたが、そのまま閉じた。
そんな二人の様子を見て、僕の胸には微かな違和感が残った。
――昼休みの時間は、静かに流れていった。