外は凍えるような寒さでも、このカラオケボックスの一室には熱気がこもっていた。
酒、煙草、香水、甘ったるいジュースの匂いが入り混じり、天井にはスピーカーから流れる電子音と騒がしい笑い声が響き渡る。
光るディスプレイ、点滅する照明、ソファに無造作に投げ出されたコートやバッグ――。
まるでそこだけが外の世界から切り離された、欲望と快楽にまみれた空間だった。
私はそんな空間の隅で、つまらなさそうにストローをかじる。
「……ったく、ムカつくぜ」
低い声が聞こえた。
カラオケのリモコンを適当にいじりながら悪態をついているのは、伍代雄二。
隣には肩を抱かれた女がくすくす笑いながら彼の腕に絡みついている。
「ん〜? どうしたの、雄二くん?」
「どうしたもこうしたもねぇよ」
伍代は片手で電子タバコを回しながら、もう片方の手で女の肩をぐっと引き寄せる。
女は「きゃっ」と楽しそうな声を上げた。
「おい、圭太、お前もイラついてんだろ?」
伍代が向かい側のソファに座る鷹松圭太に声をかける。
鷹松は無造作に缶ビールを持ち上げ、ごくごくと飲み干すと、缶をテーブルにガンと叩きつけた。
「チッ……、クソが」
「もしかしてさ〜、昼間の喫茶店の話ぃ?」
もう一人の女が、真っ赤なネイルの指を頬に当てながらニヤニヤと笑う。
「え、なになに〜? 雄二くんと圭太くん、なんかあったの〜?」
伍代の隣にいた女が身を乗り出してくる。
「お前ら、マジで羨ましすぎるんだけど!」
伍代の悪友の一人が興奮気味に言う。
もう一人の男も同調するように声を上げた。
「超有名な女優と、あの人気歌手と会ったとか、やばくね? それ、普通に考えてめっちゃラッキーだって! サインくらい貰って来いよマジで」
「ていうか雄二たちの前でその~なんだっけ? 相川だっけ? そいつとイチャついてたんだろ? マジで何者だよそいつ、有名人と知り合いとか意味わかんね」
「相沢な、イチャついてたっていうか……、まぁ、そんな感じだったな」
鷹松が忌々しげに呟く。
「俺らが喫茶店に行ったとき、相沢ってやつの横にいたんだよ。香坂真凛と篠宮神楽がな」
「マジ!?」
女が驚きの声を上げる。
「女優の香坂真凛って、あの超美人の? しかも篠宮神楽って、最近バズってるアーティストじゃん!」
「すっげぇ〜、芸能人と繋がってるとか、どんな裏技使ったんだよソイツ?」
「知らねぇよ。っていうか、だからこそムカつくんだよ」
鷹松はまた缶ビールを開け、一気に飲み干した。
「俺らが狙ってる雅と葵と一緒にいただけでもイラつくってのに、なんでアイツが芸能人と繋がってんだよ?」
「ほんとそれな」
伍代が電子タバコの煙を吐きながら、冷笑する。
「雅も葵も、学校じゃトップクラスの女なんだぞ? そんな二人が、なんであんな陰キャの事であんなにムキになってんだよたく……」
女の一人ががクスクスと笑いながら、足を組む。
「ねぇねぇ、それってやっぱり雄二くんと圭太くんが嫉妬してるってこと?」
「はぁ? そんなわけねぇだろ」
伍代は鼻で笑う。
「どうせ雅も葵も、いずれ俺たちのモンになるんだよ、あんな冴えない奴の隣にいるのが不自然過ぎるだけだ」
「だよな。アイツのせいで邪魔されるのはごめんだぜ」
鷹松が缶を放り投げるようにテーブルへ置く。
――最低。
私は内心、呆れ返りながらストローを弄る。
この二人、完全に雅先輩と葵先輩をトロフィーか何かだとしか思っていない。
でも、私はそのことに関して何も言わなかった。
むしろ、こいつらがそういう思考でいてくれる方が都合がいい。
雅先輩と葵先輩がどうなろうと、私の目的はただ一つ――あの三人の関係をぶち壊すこと。
だから、ここでこのバカどもが余計なことをして計画が台無しになるのは困る。
「……先輩たち、勝手なことしないでくださいね」
伍代が「ん?」と眉をひそめる。
「なんだよ、小夏。お前、なんか機嫌悪くね?」
「当たり前でしょう?」
私はテーブルに置かれたグラスを手に取り、指でなぞる。
そして内心、ため息をついた。
この二人、本当に余計なことをしてくれた。
今日の昼間、雅先輩が持っていた本が、私が盗作させた本だったことに気づいた伍代は、慌てて私に相談してきた。
まさか本屋で、幼馴染を題材にした話の本を適当に選んだら、こんなに有名な作品になってしまうとは思っても見なかった。
完全な計算ミスだ。
幸い本に興味がない伍代は、自分が盗作した本が有名な本だという事に気がついてはいない。でも、もし雅先輩がその本を読んで気づいたら――すべてが終わる。
だから私は、雅と葵を昼休み食堂へ誘い出し、その隙に伍代と鷹松を教室に向かわせ、本を盗み出させた。
あの時は危なかった。もう少し遅れていたら、すべてバレるところだった。
なのに、この二人は何をやってるの?
ただでさえ綱渡りに近い出来事だったのに、自分から勝手に接触して、しかもその現場を雅先輩と葵先輩に見られるとか。
「雅先輩や葵先輩の前で、啓先輩と関わったらまずいんです。もし、先輩たちが彼の事を初めから知ってたってことがバレたら、全部が台無しになるかもしれないでしょ。」
「ははっ、大丈夫だって」
伍代は余裕の笑みを浮かべながら、隣の女の腰に手を回す。
「俺はちゃんと、お前の計画に従って、雅を手に入れるだけさ」
「俺も同じだ。葵を俺のもんにする」
鷹松も無造作に髪をかき上げる。
――馬鹿みたい。
本当に、この人たちは。
私は指先でストローを回しながら、ぼんやりと液体の揺らめきを見つめた。
目の前で浮かれたように笑い、酔い、欲望を隠しもせずに語る男たち。隣で甘ったるい声を出しながら男に寄りかかる女たち。
みんな、自分のことしか考えていない。
雅先輩も葵先輩も、彼らにとってはただの「手に入れるべき戦利品」に過ぎない。
自分の欲望を満たすためなら、どんな手段を使ってでも奪い取ろうとする。
そのくせ、自分たちが優位に立っていると信じて疑わない。
滑稽で醜く、そして最高にくだらない。
でも、そんな彼らがいてくれるおかげで、私の計画は順調に進む。
このまま、こいつらを上手く転がして、啓先輩たちの関係を引き裂く。
何もかもが崩れ落ちていくのを、この目で見届けてやる。
その瞬間こそが、私の――。
私はゆっくりと顔を上げ、冷たく微笑んだ。
「……なら、いいんですけど」
努めて穏やかな声色を作りながら、私は静かに告げた。
伍代は私の反応がつまらなかったのか、鼻で笑いながら女の腰を引き寄せる。
鷹松も缶ビールを片手に、飽きたような表情でソファに身を預けた。
私は彼らをもう一度見渡し、それから手元のリモコンを手に取る。
画面には、膨大な数の楽曲リストが映し出されていた。
私は適当にスクロールしながら、歌うふりをしつつ、ただ時間を稼ぐことにした。
「……じゃあ、私、歌おうかな」
指先で選曲しながら、私は薄く笑みを浮かべる。
ディスプレイの光が私の歪んだ顔を照らし、影を落とす。
スピーカーから流れ出すイントロ。 カラオケの照明がまたたく中、私はゆっくりとマイクを持ち上げる。
この計画が、絶対に狂わないように。
全てが思い通りに進むように。
あの時の復讐を果たすために……。
私は静かに、微笑み続けた。