灰色の雲が広がる一月末の午後四時。冬の空気がひやりと肌を刺す中、校舎から昇降口を出た僕は、人けの少ない裏門へ逃げるように進むか、正門を通るべきかで足が止まっていた。
というのも、正門の前には女優の香坂真凛と、歌手の篠宮神楽が来ていて、しかも何の因果かこの僕を待っているからだ。
彼女たちが落とし物をわざわざ届けに来てくれたのは正直、嬉しくないわけじゃない。
けれど目立つのが苦手な僕としては、クラスメイトや他の生徒から奇異な視線を向けられるのもできれば避けたい。
悩んだ末にこっそり近づき校門の様子を覗くと――やっぱり二人がいた。
生徒達が押しかけ、まるで芸能イベントのようなにぎわいになっている。
「先生、見ーつけた!」
聞き覚えのある声が人込みの中から響いた。
すぐに僕を見つけたのは、茶色のふんわりボブヘアが華やかな篠宮神楽。
白いブラウスと黒のスカート、コートを合わせた姿はシンプルなのに一際映えている。彼女が大きく手を振ると、周囲の生徒たちは「先生?」「あの男の子、誰?」とざわつきだした。
一方、ハーフコートを羽織り、白ニットのセーターとチェック柄のスカートを合わせた香坂真凛も、視線を彷徨わせるように僕を探していた。
そのロングヘアが冬の寒空の下でふわりと揺れ、清楚な魅力をさらに際立たせている。
サインや写真を求める生徒たちを笑顔でやんわり断りながら、どこか落ち着かない様子だった。
ここまで来たらもう逃げられない。
周囲の好奇心を一斉に集めてしまうのはわかっている。でも、わざわざここまで来てくれたことを無視するわけにもいかない。
「すみません、あの、騒ぎになっちゃってますね」
おそるおそる近づいて声をかけると、神楽が待ってましたとばかりに僕のネクタイを軽く引っ張ってきた。
周りの生徒から「何あれ?」「めっちゃ距離近いんだけど!」と再び小さなどよめきが起こる。
「先生、やっと来てくれたじゃん。わたしと真凛、ずっと待ってたんだからね」
「か、神楽さん、そんなにぐいぐい引っ張られたら……」
僕が慌てていると、真凛が袖をそっとつまんできて、恥ずかしそうに微笑んだ。
足元は黒のショートブーツに黒タイツという落ち着いた組み合わせで、ひざ丈スカートから伸びる脚がスラリと見える。テレビで見慣れた清純派女優のイメージとはまた違う、生々しい可愛らしさが押し寄せてきて、心臓がどきりと鳴る。
「先生、大丈夫ですか? あんまりここにいると、先生がその……困ってしまうんじゃ?」
周囲ではまだ生徒たちが押しかけているが、二人はやんわり断りつつ、僕を気遣うように視線を送ってくる。
正直、目立ちたくない僕には胃が痛い状況だ。でも、見れば見るほど真凛も神楽も絵になる美しさで、そんな二人に“会いに来られた”と思うと不思議な喜びがこみ上げる。
もっとも、僕がそれを素直に表に出せるわけもなく、ただ頬が熱くなるばかりだ。
神楽は相変わらず僕のネクタイをつまんだまま、頭を下げ上目遣いでからかうように微笑むし、真凛は対抗するように袖を更にぎゅっと握りしめてくる。
「ここ、注目されすぎて落ち着かないし……せっかく来てくださったなら、移動しましょうか。近くによく行く喫茶店が……」
「さんせーい! 先生、早く案内してよっ」
話し終える前に神楽が嬉しそうに腕を組み、真凛も控えめに僕の横へ寄り添う。
周りの生徒たちは「え、行っちゃうの!?」「あの男子、何者なの?」と戸惑いと羨望の入り混じった視線を投げかけてくるが、もはやこちらはそれどころじゃない。
それにしても、真凛も神楽も僕のことを“先生”と呼ぶたびに、生徒たちはますます混乱しているのが見て取れる。
まあ誰がみてもおかしな組み合わせだ。
こんな冴えない男と美女の組み合わせ、はたから見ればやらせとしか思えない。
「はじめ先生、もっとリラックスしていいんだよ? あたしたち、先生が思ってる以上に、先生のこと気にいってるんだから」
「か、神楽さん真凛さんも、そんな堂々と……」
「だって事実なんだもん。ね、真凛?」
「……うん。私も、先生にまた会えてとても嬉しいです」
なぜ僕なんかにそこまで……?
いまだ信じられない事だけど、二人の笑顔が、それが嘘ではないという事を物語っている。
胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。
恥ずかしいし目立ちたくはない、それでも彼女たちがここまで想ってくれているなら、もう少しだけ勇気を出して打ち解けてみようと思えてくる。
――曇天の下、生徒たちのざわめきを背中に受けながら、僕は二人を連れて静かな通りへと足を向ける。
ちょっとばかり波乱の予感がするけれど、心のどこかが温かくなるのを感じて、思わず口元がゆるんでしまうのだった。