教室にチャイムが鳴り響き、最後の授業が終わった。
先生が黒板のチョークを置き、ゆっくりとこちらを見渡す。
「……では、今日はここまで。忘れ物がないようにな」
誰かが「起立!」と号令をかけ、みんなが机を引く音が響く。
「礼!」
担任は軽く頷くと、教室を出て行った。
先生がいなくなった瞬間、教室の空気が一気に緩んだ。
椅子を引く音、鞄を開ける音、友達同士の話し声があちこちで弾けるように広がる。
ちらりと横目で雅を見る。彼女は机の上に頬杖をつきながら、難しい顔をしていた。葵も鞄を持ったまま、何か考え込んでいる様子だった。
やっぱり、あの本のことが気になっているんだろうか。
「ねぇねぇ、雅ちゃん」
そんな中、近くの席にいた女子が雅に声をかけた。
興味津々といった様子で、顔を近づけている。
「この前さ、体育館の前で見ちゃったんだけど……最近、先輩と仲いいんでしょ?二人して何話してたの?」
先輩。おそらく、三年の伍代先輩のことだ。
学校一の美人と言われる雅と、イケメンの伍代先輩。話題にならないはずがない。
そういえば雅はもう返事を返したのだろうか?もしそうなら二人はもう恋人同士という事になる。
想像するだけで心がかき乱され胸がずきずきと痛む気がした。
他の女子たちも興味津々に雅に詰め寄り始めた。
雅は困ったように微笑んで。
「ん……そんな大した話じゃないわよ」
そう言ってやんわりと話を濁していた。
「えぇ~、なにそれ! 気になる!」
その光景を僕はただ静かに眺めていた。
「葵はどう思う?」
不意に、クラスメイトの一人が葵に話を振った。
「え?」
葵は机に肘をついたまま、少し驚いたように顔を上げた。
「雅と伍代先輩のことよ、幼馴染なんだから気にならない?」
「さあね、私は人の色恋にあんまり興味ないし」
「本当に~?じゃあ自分の色恋はどうなのよ」
雅の話でひとしきり盛り上がったクラスメイトたちは、次のターゲットを見つけたらしい。
「そういえばさ、最近鷹松先輩が葵にちょっかいかけてるって噂、マジなの?」
その言葉に、数人の女子が「えっ!」と食いつく。
「えぇ、そうなの!? まさか葵ちゃんも先輩といい感じとか?」
「それヤバくない? 雅と伍代先輩、葵と鷹松先輩とか、美男美女カップル誕生じゃん!」
教室の熱がまた一気に高まる。
鷹松先輩――三年生でサッカー部のエース。長身で派手な顔立ちをしていて、女の子に人気がある。正直、伍代先輩といい勝負になるくらいのモテ男だ。
そんな人が葵に言い寄ってる、という噂。
昨日、言っていた言葉通りなら、決して噂ではないのだろう。
僕は、彼女の方をちらりと見た。
一瞬目が合うと、葵はピクリと肩を揺らして顔を背けた。
でも、すぐに興味なさそうに腕を組んで、ふぅっとため息をつく。
「はぁ……あのね、何もないから」
冷めた口調でそう言い放つと、クラスメイトたちは。
「えー、絶対なんかあるでしょ」
「先輩、めっちゃ優しくし話しかけてたって聞いたけど?」
と食い下がる。
「優しいのは、あの人のデフォルトでしょ。私だけ特別扱いされてるわけじゃないし」
そう言って、葵はぷいっと教室の外に視線を向けた。
何だかさっきから聞いていてだんだんと虚しくなってきた。
改めて僕と彼女たちの関係は幼馴染から、ただの幼馴染という肩書に変わったんだと思い知らされる。
本の事が気になり教室に残っていたが、居心地の悪さから僕は席を立ち教室を出ようとした、その時だ。
葵の話題で盛り上がっていた女子たちの声が、突然別の騒ぎにかき消された。
「えっ!? マジで!?」
「ヤバいって! 本物!? なんでこんなとこに!?」
今度は男子たちがざわめき始め、数人が窓際に駆け寄る。その様子に、教室の空気が一気に変わった。
「何? 何があったの?」
女子の一人が男子たちに声をかけると、興奮したように叫んだ。
「校門の前に、香坂真凛と篠宮神楽がいる!!」
その瞬間、教室が一気にどよめく。
「はぁ!? 嘘でしょ!?」
「なんであの二人がこんなとこに!?」
「いやいや、何かの間違いでしょ?」
「俺、さっきスマホで確認したけど、間違いなく本物だって!」
「マジで? じゃあ本物!?」
男子たちのテンションは最高潮に達し、数人が「ちょっと見に行ってくる!」と荷物を放り投げて教室を飛び出していく。
「ちょ、待って! 本当にいるの!? 私も行く!」
今度は女子たちも騒ぎ始め、教室の半分くらいの生徒が興奮しながら廊下へと駆け出した。
やばい……!!
慌てて制服の胸ポケットから携帯を取り出し確認すると、メッセージが届いていた。
送り主は香坂真凛。そして、篠宮神楽。
番号だけじゃなくメールアドレスまで流出してるのか……。
《はじめ先生、今朝の忘れ物、学校まで届けますね!》
《もうすぐ着くから、校門の前で待ってるね》
詰んだ……本の事や雅たちの事に気を取られて、完全に忘れていた。
絶望的な気持ちになり、一瞬めまいがした。
「はぁ」
まるで死刑宣告を受けた気分だ。
がくりと項垂れながら鞄を手に取ると、僕は席を立ち重い足取りで教室を後にした。