昼休みのチャイムが鳴り響くと、廊下には生徒たちの賑やかな足音と話し声が溢れた。
「じゃあ雅、先に小夏と食堂に行ってるね」
「うん、これまとめ終わったらすぐ行くから」
私は軽く手を振って、雅を教室に残したまま廊下へと出る。すると、すぐ目の前に見慣れたツインテールの少女が駆け寄ってきた。
「葵先輩!」
ころころとした愛嬌たっぷりの笑顔で、私の名前を呼ぶ少女──
だが、今の私はその愛らしい笑顔を見るだけで無性にイライラしていた。
──バシッ!
「痛ああいっ! な、何するんですか先輩! いきなり可愛い後輩の頭にチョップするとか、バスケのやりすぎで脳までボールみたいに固くなっちゃったんですか!?」
「あん?」
「あ、じょ、冗談です! ごめんなさい! お願いですからもう一回構えなおさないでくださいっ!」
バカみたいに慌てる小夏を睨みつけながら、私は低い声で言った。
「あんた、鷹松先輩のこと、雅に喋ったでしょ?」
「えっ? ……話したっけかなあ?」
小夏は顎に指を当て、大きな瞳を泳がせる。
「誤魔化すな、ネタは上がってんの」
「あははは、ですよねえ」
私は大きくため息をつき、呆れながら歩き出した。
「あ、ちょっと置いてかないでくださいよお!」
「だいたいあんた、私に雅に言うなって口止めするくせに、自分はペラペラ喋りすぎなのよ」
「ああ! ダメですよ葵先輩! あのこと、雅先輩に喋っちゃダメですからね!? もちろん啓先輩にも!」
小夏が追いつき、私の横で口を尖らせる。
「分かってるわよ。こう見えても、私が口堅いの知ってるでしょ? 啓と違って、私は約束を守る方なんだから」
「もちろん知ってますよ。だから葵先輩にだけ相談したんじゃないですか、私が……啓先輩に──」
「あ……ごめん、嫌なこと思い出させちゃった?」
「ふふっ、葵先輩ったら心配性ですね、大丈夫ですよ!」
無邪気に微笑む小夏を見て、私は少し安堵した。
以前、私は小夏からとある相談を受けていた。
いや、正確に言うと、明らかに落ち込んでいる彼女を見て私が強引に聞き出した事。
それは小夏が私の幼馴染である、相沢啓から告白され、無理やり関係を迫られたという衝撃的な内容だった……。
初めてその話を聞いた時は信じられなかった、けれどたまたま現場に居合わせた鷹松先輩が二人の仲裁に入り、事なきを得たというのだ。
後に小夏と一緒に確認しに行ったところ、先輩もしっかり見たと証言してくれた。
小夏がそんな辛い経験を抱えているなんて、私は胸が締め付けられる思いだった。
彼女の気持ちを考えると、ただ話を聞くだけでは足りない気がして、どうすれば彼女を助けられるのか真剣に悩んだ。
啓の行動には驚きと怒りが混ざり、幼馴染として信じていた分、その裏切りは私にも深い衝撃を与えた。
もちろんあいつに限ってそんなことをするはずがない、と考えたりもした。
でも、啓とは中学に進学してから徐々に疎遠になり、高校生になってからはさらに距離が開いてしまっていた。
それに加え、クラスでの評判もあまり芳しくない。
いつも一人でこそこそと行動し、他人と積極的に話そうとしない。
声をかけても、まるで隠れるように逃げ回ることが多く、何を考えているのか全く分からない。そのため、クラスメートたちから少し不気味だと噂されることもあった。
正直今の啓を私が理解してやれる自信はない。
そう思い知らされるほど、あの日約束した幼い頃の記憶が頭を過り、啓の顔を見る度苛々してしまう、そしてそんな自分が嫌になるという自己嫌悪の繰り返しだ。
小夏本人は、この事は誰にも話さないという約束で啓の告白を断ったらしく、本人からももうこの件は忘れたいと言われ、今はそっとしている状態だ。
この事で雅と啓の関係がこじれるのは嫌だからと、小夏にきつく口止めされてはいるけど、雅と顔を合わせる度にそのことを思い出すため、最近はこの事で悶々とする日々を送っている。
「わっ、食堂めっちゃ混んでますね! もう、何でこんなに人多いのぉ……」
小夏の声に、私ははっとして我に返る。
食堂は生徒でごった返していた。
「あんたが急に私と雅を誘ったんでしょ。文句言わず、さっさと空いてる席探しな」
「ええぇー!」
落胆する小夏。
「葵! 小夏!」
突然、聞き慣れた声がした。
振り返ると、雅が小走りで駆け寄ってくる。
「待たせてごめんね」
雅は申し訳なさそうに手を合わせる。
「大丈夫、私たちも今着いたところだけど……ほら、ご覧のありさま」
「うわ……ほんとすごい人」
「ああっ!」
「な、何? 急にどうしたの?」
小夏がスマホを見て驚きの声を上げる。
「ごめんなさい先輩! 友達に急に呼ばれちゃって、ランチまた別の日でもいいですか!? ほんとごめんなさい!」
深々と頭を下げる小夏。
「あんたねぇ……まあ、しゃあないか。ほら、さっさと行っといで」
私が手を振ると、小夏は何度も振り返りながら足早に去っていった。
「どうする葵? 私、買っておいたパンがあるし、教室戻る?」
「そうしよっか。雅がくれたサツマイモパイもまだ残ってるし」
教室に戻ることにして、私たちは踵を返した。
「葵、小夏と何かあった?」
「え? なんで?」
「なんとなく。葵って元気ないとすぐ顔に出るから」
「なにそれ、私そんなに単純?」
「ううん、ただ……昔から、一人でため込む癖あるでしょ? しんどくなったら言ってよ?」
「それはお互い様でしょ。雅だってため込むくせに、最後は私に泣きついてくるじゃん」
「もう! いつの話よ!」
「ははっ、ごめんごめん」
そんな会話を交わしながら、私たちは教室に戻った。
「はぁ、小夏のせいで時間無駄にしちゃったなぁ。帰りにジュースでも奢らせようかな、ねえ雅──雅?」
返事がない。
ふと横を見ると、雅が青ざめた顔で机の周りを見回している。
「ど、どうしたの?」
「ない……」
「えっ?」
「葵から借りた本……紙袋ごと、無くなってる……」
「えっ……?」
蒼白した雅。混乱する私。
この時の私はまだ、その本が引き起こす波乱を知る由もなかった。