うららかに晴れ渡る青空、まだまだ寒さが残る季節だけど、今朝はどことなく春めいた天気だった。
「ん?どうしたの雅?」
隣を歩いていた葵が私を見て小首を傾げている。
「ううん、いい天気だなって思って」
「だね、今日はいつもより寒くないし、このまま春になってくんないかなあ」
「そう?私は冬も好きよ、いろんな季節があるんだから楽しまなきゃ損じゃない?」
「ええ、ポジティブだなあ雅は、私は冬は苦手、寒いの嫌だもん」
「冬ならではのものもあるんだから、例えば今朝焼いてきたサツマイモのパイとか」
「え!マジ!?食べたい!」
「あら、冬は苦手なんじゃないの?」
私はからかうように言ってツンと顔を背けて見せた。
「朝ごはん食べ損ねてお腹すいてるんだよ!ね、お願い!あ、ほら、昨日言ってた本もちゃんとお父さんから借りてきたからさ!これでなんとか」
拝むように手を合わせ頭を下げる葵。その姿がどこか犬っぽくて愛らしくも見える。
「あ、持ってきてくれたんだ、ありがとう葵」
そう言うと、葵が手に持っていた紙袋をわざとらしく掲げてにやりと笑う。
「もう分かったわよ、教室に着いたらあげるから」
「へへへ、商談成立っと、はい」
葵は得意げに言って紙袋を私に手渡してきた。
受け取った紙袋を開くと、中にハードカバーのついた分厚い本が一冊。
本好きの葵のおじさんらしいなと、思わずくすりと笑みがこみ上げる。
「雅ちゃん、おはよう!」
不意に背後から声を掛けられ振り向くと、そこには背の高い茶髪の男の子が私を見て笑みを浮かべ立っていた、私と目が合うとこちらに駆け寄ってきた。
中性的な顔立ちで整った顔をしている。
周りの子達が言うように、確かにイケメンという言葉がしっくりくる人だ。
昔ならそういうタイプは苦手だったけど、彼の中身も素敵だと知った今では、それも取るに足らないことだと思える。
「先輩……おはようございます」
どこか気恥ずかしくなり、ぎこちなく挨拶を返す。
「堅いなあ、雄二でいいって昨日言ったのに」
先輩は言いながら私の肩をぽんと軽く叩いて見せた。
「いや、そんな急に呼び捨てには……もう少し、待ってください」
先輩はこういう事に慣れているのか、今のように急に距離を詰めてくることがある。
始めの頃は急に肩に触れてきたりして嫌悪しかなかったけど、今はそれほど嫌とは感じていない。
「葵ちゃんもおはよう」
「あ、はい伍代先輩、おはようございます」
「葵ちゃんも良かったら俺の事雄二って呼んでも良いよ?」
「冗談でもやめてくださいよ」
葵がやれやれと言った感じで返事を返す。
「おい雄二、葵ちゃんに何言わせようとしてんだよ」
先輩の背後から。もう一人がたいのいい男の子がこちらに向かって歩いてきた。
見覚えのある顔、確か先輩の友人で
サッカー部元主将で男子にも女子にも人気がある。
そういえば以前、葵が鷹松先輩に告白されたみたいだという噂を、小夏に聞いた覚えがある。
噂はしょせん噂と思い、本人にはいまだ確認はしていない。
「あ、鷹松先輩……おはようございます」
なぜか葵の様子がいつもよりよそよそしく感じる。
いつもなら男子相手でも気さくに話しかけるはずの葵が、どこかしおらしくも見えた。
まさか噂は本当なのだろうか?
「うん、おはよう葵ちゃん、良かったら放課後少し話せる?」
「あ、はい、今日部活休みなんで大丈夫です」
「そ、良かった。じゃあまた放課後に」
鷹松先輩はそう言って葵に優しく微笑むと、葵軽く手を振って先に行ってしまった。
「伍代先輩は一緒に行かなくていいんですか?」
「ん?ああ、僕はまだ雅ちゃんと一緒に居たいからね」
言いながら先輩が顔を近づけてきた。
周りにいた登校中の女の子たちが、ひそひそと話しながら興味あり気にこちらを見てくる。
私は我慢できず先輩からサッと顔をそむけた。
「はは、照れてる雅ちゃん可愛い。ん?その紙袋は何?」
「え?あ、ああ、これは葵から借りた本です」
「本?」
「はい、先輩も小説書くなら知りませんか?二人と一人っていう」
そこまで私が言いかけた時だった。
「なっ!?」
驚く先輩の表情は瞬く間に険しくなり、そして青ざめていった。
私は心配になり、大丈夫ですか?と声をかけようとしたが、先輩は私の言葉を遮るように手を広げ、制止のジェスチャーを見せた。
その仕草に戸惑いながらも、何か異変が起きているのではないかと緊張が走る。
「あ、いやその……大丈夫何でもないよ、そ、その本いつ読むの?」
「いつ、ですか?まあ昼休みにどんなのかちょっと読んでみようかなと」
「昼休み……ね、う、うん分かった。あ、俺もちょっと用事想い出したから先に行くね、またね!」
そう言い残し、慌てるように伍代先輩は足早に去って行ってしまった。
「どうしたんろう先輩。ねえ葵、伍代先輩なんか……葵?」
隣にいた葵に呼びかける、しかしどこかぼうっとしていて、心ここにあらずといった感じだ。
「あ、ごめん、何雅?」
「いや……ううん、何でもない、それより葵、何かあった?鷹松先輩から声かけられた時からちょっと様子が変だけど?」
「えっ?そ、そうかな?」
「うん、絶対変だよ、何かあったの?」
葵は普段から明るく明快で、あまり深く悩んだりするタイプではない。
どちらかというと悩むくらいならすぐに白黒つけたがる方だ。
「実は鷹松先輩に告白されててさ……」
「あ、やっぱりあの噂本当だったんだね」
「え、もしかしてもう噂になってるの?」
「そうみたいよ、小夏が得意げに話してたし」
「あいつめ……はあ、まあそれはいいんだけどさ……」
「あれ、鷹松先輩にどう返事するか悩んでるんじゃないの?」
「うん、まあそれもあるんだけど……いや、いいや、大丈夫」
「そう……?まあ葵がいいって言うならそれでいいけど、そういえば葵って鷹松先輩とどこで知り合ったの?部活ぐらいしか接点なさそうだけど?」
「ああ、それは前に小夏と鷹松先輩が私に、あっううん、何でもない!ぶ、部活してた時に声かけられてそれで……ね」
どこか歯切れの悪い口調。何か話したくない事でもあるのだろうか。
葵が何かを隠しているような様子に気づいてから、胸の中に小さな疑問が芽生えていた。
しかし、それを無理に聞き出すのは彼女の性格を考えると逆効果だと分かっている。だからこそ、私はその疑問を胸の奥にしまい込み、彼女が自ら話す時を待つことにした。
先ほどの青空とはうって変わって、空は次第に灰の色を濃くしていき、風が少し冷たく感じられた。
まるでこの空模様が、私たちの間に漂う微妙な空気感を映し出しているかのようだった。
けれど、雲の向こうにはまだ青空が広がっているはずだ。そう信じて、私はそっと息をついた。
葵が話したいと思う時が来たら、その時はちゃんと聞こう。
心の中でそう決めて、私は曇り始めた空に別れを告げるように視線を下ろした。