――その週の土曜日、愛美は純也さんとのショッピングデートを思う存分楽しんだ。
やっぱり自分のために彼のお金を使わせるのは忍びないとは思ったけれど、彼なりに落ち込んでいた自分を励ましてくれようとしている、その気持ちは嬉しかったから。
彼も愛美のために何かできることが嬉しかったらしく、愛美が「これ欲しい」と言えばどんな物でも買ってくれた。とはいえ、愛美もそんなに高価な物をねだったわけではなかったけれど。
そして、愛美にも分かった。彼がそうしてくれたのは、普段愛美を欺いていることに彼自身も苦しんでいるから、その罪滅ぼしでもあるのだと。
(いつか、彼の口から本心が聞けたらいいんだけどな……。「わたしはちゃんと分かってたから、もう苦しまなくていいんだよ」って彼に言ってあげたいな)
二人でカフェで一休みしながら、そういえば、彼の筆跡を見たことがなかったなと愛美は思い出す。
連絡を取り合うのはいつも電話かメッセージアプリでのやり取りだから、そもそも彼の書いた文字を見る機会がなかったのだけれど。もし文通でもしていたら、彼はどうやって筆跡をごまかす気でいたんだろう?
(まあ、〝あしながおじさん〟の直筆だって一回しか見たことなかったし。あれだけじゃ筆跡を変えたかどうかわたしにも分かんなかっただろうけど)
彼の〝あしながおじさん〟としての直筆を目にしたのは、インフルエンザで入院していた時にお見舞いとして送られてきたメッセージカードだけだった。あの筆跡は、わざと変えてあるように見えなくもなかったけれど……。プロの鑑識職員でもない限り、本当に筆跡を変えたのかどうかを鑑定することはできない。
(……そういえば純也さんって、タワマンに住んでるんだっけ。あー、住所見て気づくべきだった)
〝あしながおじさん〟の住所――というか末尾の部屋番号は二七〇五号室。つまり、タワーマンションの部屋番号でしかあり得ないのだ。珠莉から「純也叔父さまはタワーマンションでひとり暮らしをしている」と聞いた時にピンときていてもおかしくなかったのに。
(わたしってけっこう抜けてるのかも……)
「――愛美ちゃん、どうかした? なんかずっと黙りこくってるけど、疲れちゃったかな」
純也さんに話しかけられていることにようやく気づいた愛美は、考えことから抜け出した。
「……えっ? そんなことないよ!? 大丈夫、ちょっと考えごとしてただけ」
「そっか、ならいいんだけど」
「……それより純也さん。わたしの両親が亡くなったっていう、十六年前の十二月って一体何があったの? 純也さんはどうして知ってたの?」
愛美はずっと気になっていたことを、彼に訊ねてみた。
「俺も確信があって言ったわけじゃなくて、何となくそうじゃないかと思って言っただけなんだ。その頃に、日本中で報道された大きな事故があって。俺もその頃中三だったから記憶に残ってたんだ」
「そう……だったんだ」
なるほど、十五歳くらいだったら新聞やTVなどでニュースも目にするだろうし、記憶に残っていてもおかしくない。まして、そんな大事故だったならなおのこと、受けた衝撃も相当なものだっただろう。
「でも、わたしの両親がホントにその事故で命を落としたとは限らないよね? なのに、どうしてそう思ったの?」
「その事故の後――実をいうと飛行機事故だったんだけど、搭乗者名簿が公表されててね。確か、その中に『相川』っていう苗字の夫婦の名前があったような記憶があるんだ。そして、乗客・乗員全員の生存が絶望的だとも報道されてた気がして」
「…………」
初めて突きつけられたショックな事実に、愛美は顔を強張らせた。
「ごめん、愛美ちゃん。まだその夫婦が君のご両親だって決まったわけじゃないし、俺もそこまでハッキリと憶えてるわけじゃないんだよ。相川なんて苗字、そんなに珍しくないしさ。もしかしたら君とはまったく関係ない別人かもしれないしね」
「…………うん」
「だから……、真実は君が育った施設の園長先生に直接確かめた方がいいと俺も思う。冬休み、そのために行くんだよね?」
「うん。多分、園長先生がそのあたりの事情、いちばん詳しく知ってるはずだから」
純也さんが言ったことが、ぜんぶ事実とは限らない。彼がウソを言っているわけではないだろうけれど、記憶違いということもあるだろうし……。
(彼が〈わかば園〉の理事をしてるからって、何でも間でも知り尽くしてるとは限らないもんね)
となると、やっぱり愛美の両親のことや、施設で暮らすことになった経緯をもっとも知っているのは聡美園長のはずだから。
* * * *
――愛美はその夜、聡美園長に当てて手紙を書いた。
電話にしなかったのは、園長の声を聞いたら二年以上前の記憶が甦り、うまく話せないと思ったからだ。
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『拝啓、園長先生。
ご無沙汰してます。わたしが施設を卒業して、もうすぐ三年が経つんですね。
この手紙は駆け出しの小説家・相川愛美として書いてます。わたしは去年の秋にプロの作家としてデビューして、今は学業と文筆業の二刀流で忙しくも充実した毎日を送ってます。
学校では友だちにも恵まれて、楽しい寮生活を送ることができています。でもきっと、わたしに関することは〝あしながおじさん〟から毎月報告を受けてますよね。
先月、わたしにとっては初めての書籍である短編集が発売されました。売れ行きも好調で、すでに重版されているそうです。園長先生や他の先生たちも買って読んで下さってますか? きっと、これも〝あしながおじさん〟から宣伝されたはずなので、みなさん読んで下さってると信じてます。
まず最初に、二年前はせっかくお電話を下さったのに、冷たい態度を取ってしまってごめんなさい。あれから二年半以上経ちますけど、わたしはずっとあの時のことを悔やんでて、心の中に小さなトゲみたいに残ってます。
でもね、園長先生。あの時のわたしは、「バイト」っていう名目でしか施設に帰れないことが悲しかったんです。わたしにとって〈わかば園〉は実家も同然だったから。そんな名目なんかなくたって、気軽に「ただいま」って帰れる場所であってほしかったし、今でもそう思ってます。
さて、園長先生。ここからが本題です。
わたしは今度、〈わかば園〉を舞台にした長編小説を執筆することにしました。ちなみに、初めて書いた長編がボツになって、わたしが落ち込んでたっていう話は〝あしながおじさん〟からお聞きになってますよね?
それはともかく、執筆するにあたって冬休みに施設を取材したいんですけど、大丈夫でしょうか? 冬休みの間は施設に滞在して、園長先生や他の先生たちから話を聞きたくて。あと、わたし自身についての話も。両親がどうして死んでしまったのか、いちばんご存じなのはきっと園長先生だと思うので……。
実はわたし、もうだいぶ前から〝あしながおじさん〟の正体が分かってて、その人はわたしの身近にいる人でした。その人から聞いたんですけど、わたしの両親は十六年前に起きた飛行機の事故に巻き込まれて死んだんじゃないか、って。本当にそうなんでしょうか?
まだ一ヶ月くらいありますけど、こちらの予定もあるのでなるべく早くお返事を頂けると助かります。他の子たちや先生たちにもよろしくお伝え下さい。では、失礼します。 かしこ
十一月二十四日 わかば園出身の作家、相川愛美』
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〒○○〇―△△△△
山梨県 〇〇市 ✕✕
児童養護施設 わかば園 若葉聡美様
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「――さやかちゃん、珠莉ちゃん。わたし、ちょっと手紙出してくるね」
まだそんなに夜遅い時間ではなかったので、愛美はすぐポストに投函することにした。
「手紙? 誰宛て? っていうか、もう暗いけど一人で大丈夫?」
「おじさまにはつい先日、出してきたところじゃなくて?」
「おじさまにじゃなくて、施設の園長先生にね。一人でも大丈夫だよ。さやかちゃん、心配してくれてありがとね」
「そっか。じゃあ気をつけて行ってきなよ」
「うん。行ってきます」
郵便ポストは寮の建物の外にあるので、暗い中手紙を投函しに行くのを心配してくれたさやかにお礼を言って、愛美はポストへ向かうのだった。
* * * *
――手紙を投函してから一週間後、愛美のスマホに聡美園長から電話があった。「冬休みの取材の件、了承しました。気をつけて帰ってらっしゃい」と。そして、「涼介君のこと、ありがとう」とも。園長はそのことに愛美が関わっていたという事実を、〝あしながおじさん〟=純也さんから聞いていたらしい。
二年半ぶりに聞く彼女の声は少しも変わらずに穏やかで、愛美は胸がいっぱいで泣きそうになった。
――そして、二学期の終業式の後。
「さやかちゃん、珠莉ちゃん、じゃあ行ってきます。ご家族と純也さんによろしくね」
肩から大きなスポーツバッグを提げ、スーツケースを携えた愛美は、寮の玄関先で親友二人に見送られた。
ちなみに、純也さんは今年の年末年始も、愛美が来ないにも関わらず実家で過ごすことにしたらしい。淋しいだろうけれど、電話で声でも聴かせてあげられたら彼も少しはホッとしてくれるだろう。
「うん、気をつけて行っといで。三学期前にまた会おうね。こっちからまたメッセージ送るよ」
「ええ、お伝えしておくわ。叔父さま、今年の冬は淋しくていらっしゃるんじゃないかしら。でも、ある意味開き直っていらっしゃるのかもしれないわ。ああ見えて叔父さま、けっこう神経が図太くていらっしゃるから」
「……珠莉ちゃん、辛辣……」
「アンタさぁ、自分の叔父に対してコメントキツすぎない?」
珠莉の毒舌に、愛美とさやかは絶句した。――と、予約したタクシーがもうすぐ来そうなので、そろそろ行かなければ。
「……あ、ゴメン。もうタクシー来ちゃうから、わたし行かないと」
「ああ、ゴメンゴメン! 引き止めちゃったね。じゃあ、〝実家〟でゆっくりしておいで。あと取材も頑張って」
「うん……! じゃあ今度こそ、行ってきます!」
さやかが〈わかば園〉のことを「実家」と言い表してくれたことに感激して、愛美は思わず涙腺が緩みそうになった。でも、これは嬉し涙だ。
愛美は今度こそ二人の親友に背中を向け、出発したのだった。
* * * *
――JR新横浜駅前でタクシーを降り、新幹線と再びタクシーを乗り継ぎ、愛美は約三年ぶりに〈わかば園〉へと帰ってきた。
今回はタクシーの予約も、新幹線のチケットをネットで予約することもすべて自分でやった。交通費も自腹である。これらはすべて、ここを卒業して約半年の間に覚えてできるようになったこと。彼女の成長の証だった。
(懐かしいな……。まだここを卒業して三年も経ってないのに)
門の外から園の建物を感慨深く眺めて、愛美は目を細める。
二歳の頃からここで暮らしていたとして、中学卒業までは十三年とちょっと、この〝家〟で過ごしてきたことになる。ここには数えきれない思い出が詰まっているのだ。楽しかったことも、悲しかったことも。
「――さて、行くか」
門をくぐった愛美は、園長から電話で聞いたとおり、正面玄関ではなく来客用の玄関でスリッパに履き替える。そこに一足、男性ものの革靴が揃えて置かれていることに気づいて首を傾げた。そこでふと感じるデジャブ。
ちょうど三年前の今ごろ、愛美はこのあたりで〝あしながおじさん〟のあのヒョロ長いシルエットを目撃したのだ。あれは夜だったけれど……。
「……あれ? この靴、誰のだろう? 純也さんの……じゃなさそうだけど」
彼の靴のサイズは二十九センチだけれど、この靴はそれよりサイズが小さいように見える。
それに、珠莉から聞いた話では、彼がここを訪れるのは毎月第一水曜日だけらしいけれど、今日はその日ではない。
「誰か、他にお客様が見えてるのかな……?」
その靴の持ち主が誰なのかは気になったけれど、愛美はとにかく園長室へ向かって進んでいく。
「――園長先生、お久しぶりです。ただいま帰りました」
自分のデスクに座っていた聡美園長に声をかけると、応接用のソファーに腰かけている男性が園長と同時に愛美の方へ顔を上げたので驚いた。
彼は四十代半ばくらいで、知的な感じのスリム体型。そして彼のスーツの襟には金色のバッジが光っている。
「おかえりなさい、愛美ちゃん。――ああ、こちらの方、紹介するわね。弁護士の
「相川愛美さんですね? 私は弁護士の北倉と申します。あなたのご両親が亡くなった、十六年前のジャンボジェット機墜落事故の遺族救済を担当しておりました」
「……どうも。お名刺頂戴いたします。――あの、高校生作家の相川愛美です。名刺はありませんけど」
名刺を受け取った愛美は、こちらも自己紹介をしなければと思い、丁寧に名乗って頭をペコリと下げた。
「愛美ちゃん、この弁護士さんが、あなたに大事なお話があるそうでね。――あなたからご両親の亡くなった理由が知りたいって手紙をもらった時に、ちょうどいいわと思って連絡して、今日わざわざ来て頂いたの」
「そう……なんですか。――あの、北倉先生……でしたっけ。わたしに大事なお話っていうのは? 両親の死とどんな関係があるんですか?」
この先生は十六年前、事故の遺族救済を担当していたと言った。ということは、事故の後に愛美の知らなかった重大な何かがあったということだろうか。
「それをお話しする前に、あなたはあの事故についてどの程度の事実をご存じですか?」
「ここへ来る前、ネットで調べました。山梨の山中にジャンボジェット機が墜落して、乗員・乗客五百人全員が助からなかった、って。あと、わたしの両親らしい『相川』っていう苗字の夫婦の名前が乗客名簿にあったっていうのは知り合いから聞かされたんですけど……。それじゃやっぱり、その夫婦っていうのが」
「はい、あなたのご両親で間違いないと。お二人のご遺体は幸いにも状態がよかったので、ここにいらっしゃる若葉園長が身元の確認をされたそうです。お二人は園長が小学校の教員をされていた頃の教え子だったそうで、卒業後にも交流があったそうなんです」
「えっ、そうだったんですか?」
愛美は驚いて、聡美園長に向けて目を見開く。
「ええ、実はそうなのよ。あの二人は私の教え子だった頃から仲がよくてね、結婚式にも出席させてもらったわ。あなたのご両親は、子供ができなかった私たち夫婦にとって我が子も同然だったの。だから、事故が起きる二日前、『親戚の法事でどうしても愛美ちゃんを連れていけない』っていう二人の頼みを聞き入れて、すでに開園していたこの施設でまだ小さかったあなたを預かってたのだけれど……」
そこまで話した園長が、涙で声を詰まらせた。
「……まさかその二日後に、あんな変わり果てた姿で再会するなんて……」
たった二日前、元気な姿で別れた教え子夫婦とそんな形で物言わぬ再会をすることになった園長の気持ちを想像したら、愛美も自然ともらい泣きをしていた。気づけば、北倉弁護士の目にも涙が……。
「……ああ、すみません。――それでですね、ここまでは前置きで、ここからが本題なんです。ご両親を亡くされた幼いあなたは、お母さまの弟さんのご夫妻に引き取られることになったんですが……」
「わたし、親戚がいたんですね」
「ええ。ですが、そのご親戚が問題でして。二人は日本政府から被害者遺族に支給されたお見舞金目当てであなたを引き取り、見舞金を受け取った後はあなたへの育児を放棄して遊び惚けていたんです」
「…………! そんな……ヒドすぎる……」
愛美は顔も憶えていないその叔父夫婦に対して、何ともいえない怒りがこみ上げていた。もしその二人が今になって「親戚だよ」と再び目の前に現れたら、彼らに何をするか分からない。