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初デートと初長編 ①

 ――愛美は「ドキドキして眠れない……」と思いつつも、フカフカのベッドでぐっすり眠り、翌朝七時前に目が覚めた。


「わ……とうとう来ちゃった。純也さんとの初デートの日……」


 室内にある洗面台で、冷たい水で洗顔をしてパッチリと目が覚めた愛美は、クローゼットの扉を開けた。

 寮から持ってきた服はすべて、このクローゼットに移してある。ほとんどがこの家に滞在するために新しく買った服だ。


「初デートか……。今日、何着て行こうかな……」


 純也さんは基本、愛美がどんな服を着ていても「可愛い」「似合ってるよ」と言ってくれる人だけれど。デートとなると、やっぱり普段とは違う格好がしたくなる。いつもと違う自分を彼に見てほしいというのがオトメ心というものだ。


「……買ったばっかりの赤いニットワンピース、これにしよう。寒いから黒のタイツを穿いて、足元は茶色のブーツで……。あとはコートを着れば完璧かな」


 ニットワンピースはオーバルネックなので、中にピンク色のカラーシャツを着込む。第二ボタンまで開けて、身に着けた〝あしながおじさん〟から贈られたネックレスが見えるようにした。


「ヘアメイクはまた珠莉ちゃんにお願いしよう」


 髪型はともかく、簡単なメイクくらいは自分でできるようになりたいなぁと愛美は思う。たとえば口紅を塗るくらいは……。


「――愛美さん、おはよう。昨夜はよく眠れて?」


 コンコン、とドアがノックされて、開いたドアから珠莉が顔を出した。


「おはよ、珠莉ちゃん。うん、おかげさまで。……初デートの前だし、ドキドキして眠れないかと思ったけど」


「それはよかったわ。――純也叔父さまがね、朝食は二階のダイニングで、三人だけで食べましょうっておっしゃってるんだけど。あなたもそれでよろしくて?」


「うん、いいよ。っていうか二階にもダイニングがあるんだ?」


 ダイニングルームって、一軒の家に一ヶ所しかないものだと思っていたので、愛美はまた驚いた。

 確かに昨日の今日で、珠莉の両親や祖母と顔を突き合わせて朝食……というのは愛美のメンタルにかなりの悪影響が出そうだ。特に、珠莉の母親の顔を見たら何をするか分からないので自分でも怖い。


「ええ。じゃあ、朝食は八時ごろにね。――あら、ずいぶん気合いを入れてオシャレしたのねぇ。叔父さまもきっと『可愛い』『ステキだ』って褒めて下さるわよ」


「えっ、ホントに? だといいな……。あ、珠莉ちゃん。また昨夜みたいに髪型とメイク、お願いしてもいいかな? 今日はもうちょっと簡単なのでいいから」


「よろしくてよ。じゃあ、私の部屋にいらっしゃい」


「うん、ありがと」


 昨夜と同じように珠莉の部屋へ行き、ドレッサーの前の椅子に座った愛美に、珠莉がヘアメイクを始めた。


「――今日は街を歩くんだから、髪型は……そうね、五月に原宿へ行った時みたいな感じでどうかしら? さやかさんみたいに上手にはできないかもしれないけど」


「ああ、いいねぇ。大丈夫、やってもらうんだから、わたし文句は言わないよ」


 というわけで、ヘアスタイルは編み込みを取り入れたハーフアップに決まった。「さやかほど上手くできない」と珠莉は言ったけれど、愛美にはその出来映えがあまり変わらないように見えた。


「メイクは昨夜のパーティーの時ほどしっかりしなくてもよさそうね。ベースとリップくらいでいいかしら。リップの色は……これなんかどう?」


 珠莉が勧めた口紅の色は、オレンジがかった淡いピンク色。この上からグロスを乗せれば、可愛くて少し大人っぽい口元になるだろう。


「うん、いいかも」


 というわけで、珠莉は手早くメイクに取りかかる。自然な仕上がりになるようファンデーションを薄く肌になじませ、その上から軽くフェイスパウダーをはたき、リップブラシで口紅を塗り、別のリップブラシで淡いピンク色のグロスを薄く重ねた。


「……はい、できましたわ。仕上がりはどう?」


「おぉ……、可愛くなってる。ね、珠莉ちゃん。リップの直し方、わたしにも教えてくれない?」


「ええ、いいけど……。よかったら、この口紅はあなたに差し上げてよ。使いかけで申し訳ないけど。落ちたら塗り直すだけでいいから」


「いいの? こんなに高そうな口紅もらっちゃって」


 珠莉がくれた口紅は高級ブランドのもので、多分これ一本だけで数千円はする代物だ。当然ドラッグストアなどでは売られておらず、デパートなどのコスメ売り場でしかお目にかかれない。


「いいのよ。私はまたいつでも買えるし、今日は何たってあなたと純也叔父さまとの初デートですもの。記念に差し上げるわ」


「……うん、ありがと」


 愛美もお年頃の女の子なので、一応リップクリームとコンパクトミラーの入ったポーチくらいは持ち歩いている。この口紅もそこに入れて持っていくことにした。


「――さ、叔父さまはもうダイニングにいらっしゃるはずだから、朝食を頂きに行きましょう」


「うん」


 愛美は珠莉に案内され、二階の中央にあるというセカンドダイニングルームへ向かった。



   * * * *



「――おはようございます、叔父さま」


「おはよう、純也さん」


 二人の少女がセカンドダイニングへ行くと、純也さんはスマホでどこかへ電話をしていた様子。


(純也さん、今日はわたしとデートだよね? 一体どこに電話を……?)


 通話を終えた彼は、姪と恋人に気づいて振り向いた。


「おはよう、二人とも。――愛美ちゃん、昨夜はよく眠れた?」


「うん。緊張して寝られないかと思ったけど、ベッドの寝心地がよくて。……ところで、どこに電話してたの?」


「ふふふっ、それはお楽しみに♪ 愛美ちゃんが喜びそうなところだよ。今日も珠莉に髪型とメイクしてもらったのかい? いいね、可愛いよ」


「ありがと。今日はデート向きのヘアアレンジとメイクにしてもらいました」


 純也さんに今日も褒めてもらい、愛美は照れたように自分の髪に手を遣った。こうして毎回褒めてもらえると、オシャレのし甲斐がいがあるというものである。


「じゃあ二人とも、テーブルに着いて。そろそろ由乃さんが朝食を運んできてくれる頃だから」


「うん」


「ええ」


 二人が席に着いたところへ、家政婦の由乃さんが若いメイドさんと二人で三人分の朝食を運んできた。


「おはようございます、みなさま。朝食をお持ち致しました」


 由乃さんがクロワッサンを山ほど盛ったバスケットと取り皿、そして二人分のコーヒーポットとカップ、珠莉用のティーポットとカップなどが載ったワゴンを、メイドさんが三人分のスープのカップとスプーン、ベーコンエッグのお皿が載ったワゴンを押してきた。


「ありがとう、由乃さん。わざわざすまないね。後はこっちでやるから」


「坊っちゃま、痛み入ります。では、私どもはこれで失礼致します」


 二人の使用人たちが下がっていくと、あとの給仕は純也さんがしてくれた。


「……ねえ、珠莉ちゃん。あの人たち、どうやってこれを運んできたの?」


「我が家にはホームエレベーターがあるのよ。それを使って運んできたの」


「へぇ、ホームエレベーターかぁ。便利だね」


 純也さんは普段からし慣れているのか、愛美たちのそんな会話を耳に入れつつ料理を愛美と珠莉・自分の前に並べ、飲み物の給仕もしてくれた。コーヒーのお砂糖は各自で好みに合わせて入れるようにしたようだ。


「――愛美さん、食べた後にまた口紅を直してあげるわね」


「ありがと、お願い」


「じゃあ食べよう。ここではマナーなんか気にしなくていいからね、普段どおりに食べてくれ」


「うん。じゃあ、いただきま~す☆」


 愛美はまず、コーンポタージュスープに手をつけた。スプーンですくって口に運ぶと、コーンの優しい甘みが口の中に広がった。


「……美味しいし、あったまる~♡ なんか懐かしいなぁ」


「懐かしい?」


「うん。施設にいた頃ね、寒い日の朝ゴハンには毎回コーンポタージュが出てたの。わたし、あれがすごく好きだったんだ」


「そっか。愛美ちゃんにとってコンポタは施設の味なんだな」


「そういうこと。……ん、このクロワッサンもバターたっぷりで美味しい♪ ベーコンエッグの塩加減もちょうどいい」


 ひと通り料理を堪能してカフェオレを飲む愛美を、純也さんはニコニコ笑いながら眺めている。


「愛美ちゃんって、何でも美味しそうに食べるね。見てる俺も幸せな気持ちになるな」


「あら叔父さま、ごちそうさまです。愛美さんはキライな食べ物がないんですものね。私も毎日寮の食堂で観てますけれど、本当に何でも美味しそうに召し上がるんですのよ」


「珠莉ちゃんって確か、トマトが苦手なんだよね? 千藤農園で作ってるトマト、食べてもらいたいなぁ。あれ、売ってるトマトと違ってすごく美味しいんだよ。ね、純也さん?」


「ああ。マジで珠莉にも食べさせたいよ。善三さんたちの作る野菜はどれも美味いから」


 千藤農園で育てている作物はどれも無農薬で、規格外の野菜でも十分美味しいのだ。あのトマトを食べたら、きっと珠莉のトマト嫌いも克服できるだろう。


「――あー、美味しかったぁ! ごちそうさまでした」


 三人とも、お喋りとともに食欲も弾み、朝食を残らず平らげてしまった。


「ごちそうさま。――俺、食事で一番大事なマナーは『いただきます』と『ごちそうさま』が言えることだと思うんだよな。だから、愛美ちゃんはちゃんとマナーができてるんだよ。さすが、いい施設で育ってきただけのことはあるな」


「純也さん……、それってわたし、喜んでいいところなの?」


「うん。褒めたんだから、そこは喜んでいいよ」


 純也さんはきっと、昨日自分の義姉に施設育ちだということをバカにされて気を悪くした愛美をフォローしてくれているのだ。


「そっか……。純也さん、ありがとう」


「じゃあ叔父さま、片づけは私から由乃さんにお願いしておきますから、そろそろ出かける支度をなさったら? 愛美さんはちょっとお化粧直しをしましょう」


「そうだな、分かった。じゃあ、俺は先に家を出て車で待ってるから、愛美ちゃんは後から出ておいで」


「うん。じゃあ、後でね」


 そうして純也さんが先にアウターを羽織って退室していき、愛美はダイニングに残って珠莉にメイクを直してもらってから一旦部屋に戻り、バッグとコートを取って家を出た。



   * * * *



「――じゃあ、行こうか」


「うん!」


 こうして、純也さんが運転するSRV車は走り出した。


(初めての助手席……、緊張するなぁ)


 愛美にとってはこれが助手席デビューでもあった。

 後部座席は絶対に閉めなければならないわけではないシートベルトも、助手席では必須なので、それもまた緊張する要因だった。


「ね、純也さん。まずはどこに行くの?」


「やっぱり銀座かな」


「銀座か……。なんか大人の街っていうイメージだから、わたしみたいな子供が行ったら浮いちゃいそうだなぁ」


 〝銀座〟という街は、行ったことはないけれど何となく高級なイメージがある。愛美のような一般人、それもまだ高校生が行くのはどうもその街にそぐわない気がして仕方がないのだ。


「いや、最近はそうでもないよ。若者向けの複合ビルとか店も増えてきてるからね。それに、愛美ちゃんが書こうとしてる小説の話を聞いてると、銀座が主人公のイメージにいちばんしっくりくるかな、と思ってさ。つまり、俺がそういうイメージってこと?」


「べっ、別に純也さんがそういうイメージってワケじゃ……。確かに似合いそうだけど」


 (あー……、これじゃフォローになってないな)


 フォローしたつもりがドツボにはまってしまい、ひとり落ち込む愛美だった。


「…………そういえば純也さん、今日はダウンジャケットじゃないんだね。昨日は着てたけど」


 気を取り直し、話題を変えた。


「さすがに、銀座へ行くのにダウンはなぁ……と思ってさ。愛美ちゃんはどっちの俺が好み?」


「わたしはどっちも好き。こういうキチッとした純也さんも、年相応にカジュアルな純也さんも」


 そういえば、彼のコート姿を見たのはこれが初めてだったなぁと愛美は思った。寮へ遊びに来てくれたのは春先だったし、千藤農園で一緒に過ごしたのは夏だった。

 〝あしながおじさん〟として施設で後ろ姿を見かけたのは秋で、あの時はまだそれほど寒い時期ではなかったのでコートは着ていなかったと思う。


「そっか、どっちも好きか。ありがとう、愛美ちゃん。俺、コートを着るのはなんかオッサンっぽくて自分ではちょっとイヤだったんだよな」


「そんなことないよ。純也さんは背が高くてスラっとしてるから、モデルさんみたいに何着てても似合っちゃうんだもん」


「……そう、かな? 最高の褒め言葉ありがとう」


 純也さんはちょっと照れくさそうだった。でも、愛美はお世辞抜きに本気でそう思っているのだ。


「――あ、そうだ。昼食は軽めに済ませようと思ってるんだ。その後のお楽しみのためにね」


「そうなの? っていうか、その〝お楽しみ〟って何? ますます気になるなぁ」


 その〝お楽しみ〟は、昼食を軽くすることと何か関係があるんだろうか? 何か美味しいものが食べられる……とか?


「じゃあ……ヒントを一つあげよう。若い女性の間で流行ってる、ちょっとオシャレなことだよ」


「えー、何だろう?」


 高校に入学した当初は流行に疎かった愛美も、スマホを使いこなせるようになってからはだいぶ追いつけるようにはなってきた。そんな愛美に分かるようなことだろうか?


(まだ分かんないけど、やっぱり楽しみ)


 とはいえ、純也さんがおかしなところへ愛美を連れていくわけがないので、きっと楽しめるところなんだろうと予想はついた。



   * * * *



「さあ、銀座に着いたよ」


 初めて訪れる銀座の街で、愛美が最初に見たのは交差点に建つ、時計台が有名なビル。


「わぁ……、立派な時計台。わたし、TVで観たことあるかも」


「ああ、〈和光〉の時計台だね。ここは有名な怪獣映画で壊されたこともあるんだよ。もちろん映画用のセットで、だけど」


「あははっ、そりゃそうだよねー」


 純也さんが大真面目に、でも茶目っ気も交えて説明してくれたので、愛美は笑ってしまう。


 コインパーキングに車を停め、二人は〈和光ビル〉の前まで歩いてきた。


「……う~、寒い!」


「よかったら、俺のマフラー巻いとく?」


 純也さんが、自分の首に巻いていた焦げ茶色のマフラーを貸してくれた。素材そのものの温かさと、彼が直前まで巻いていたこともあって、首元がすぐに温かくなった。


「いいの? ありがとう。……あったか~い!」


「それ、カシミヤだからあったかいよ。でも色がなぁ。コートと同じく、なんかオッサンみたいで気に入らなくて。ホントはもうちょっと年相応な色が好みなんだけどな」


「純也さんの好きな色は?」


「ブルーとかネイビー系かな」


(……よし! バレンタインデーにはチョコだけじゃなくて、手編みのマフラーもプレゼントしよう!)


 実は、愛美は編み物も得意なのだ。――それはともかく。


「……そうだ、取材取材! 写真撮っとこう」


 愛美がスマホを横に構え、構図を気にしながら撮影するのを、純也さんは優しい眼差しで見守っていた。

 その眼差しは果たして〝辺唐院純也〟としてなのか、それとも〝あしながおじさん〟としてなのかどちらなんだろう?


「俺が入ったイメージショット、撮っとかなくていい? 実際にモデルがいた方がイメージ湧くだろ?」


「あ、そっか。じゃあ、撮らせてもらいます」


 というわけで、純也さんにはビルの前に立っていてもらい、もう一枚撮影した。



 ――二人はその後、〈GINZAシックス〉や高級ブランドのショップ、オシャレな靴のお店などでウィンドーショッピングを楽しみ、愛美はそれぞれのお店の前で純也さんをモデルにしたイメージショットを撮影して回った。


「愛美ちゃん、何か欲しいものがあったら俺に言ってね。買ってあげるよ」


「そんなの申し訳ないよ。わたしは一緒に街を歩いて回れるだけで十分楽しんでるからいいの」


(純也さん、そんな〝パパ活〟みたいなこと言わないでよ……)


 愛美はちょっと悲しくなった。それじゃまるで、純也さんとお金目当てで付き合っているみたいじゃないか。

 それとも、〝あしながおじさん〟としてのボロが出かかっているんだろうか?


「わたし、別に純也さんにおねだりしたくて今日デートしてるんじゃないもん。だからそんなに気を遣わないで? 欲しいものがあったら、自分で買えるくらいのお金はちゃんと持ってるから。あんまり高いものじゃなければ」


「ああ……、そうか。ゴメン。今まで付き合ってきた歴代の彼女がそんな人ばっかりだったから、つい。愛美ちゃんは違ったよな」


 過去の恋人たちがそうだったから出てきてしまった、彼の悲しいさが。無意識にとはいえ、自分も同じように思われた愛美はちょっとばかりプライドが傷ついた。

 でも、そんな自分がイヤだといちばん思っているのは彼のはずだということを、愛美も分かっている。


「……ホントは、純也さんもあんなこと言うつもりなかったんだよね。だからもう気にしないで。次に行こ」


 愛美は彼のことを許して、次の場所へ行こうと促した。


「うん……。じゃあ、次は浅草に行こうか」



 二人は車へとって返し、銀座へ向かった。

 純也さんはここでもコインパーキングを利用し、せんそうの雷門までは二人で歩くことにした。


「こんなにあちこち回るなら、車より電車の方が効率よかったかな。でも交通費がかさむし」


「そうだね。でもわたし、好きな人とドライブするの、ちょっと憧れてたから車の方がよかったよ。助手席に乗るのとか、恋人同士じゃないとあの距離感はなかなかできないことだし」


「そっか」


 ――二人は観光客でごった返す浅草寺へお参りし、なか見世みせ通りを歩いて回り、そこでも純也さんをモデルとしたイメージショットを撮影した。


「――愛美ちゃんは浅草寺でどんな願い事をしたんだ?」


「んー? 『純也さんが面白いって言ってくれるような、いい小説がいっぱい書けますように』って。純也さんは?」


「『愛美ちゃんが、たくさんの読者から愛される有名な小説家になれますように』って。もちろん、俺もその中の一人」


 彼は愛美の恋人であり、いちばんの愛美のファンでもあるのだ。そのために、〝あしながおじさん〟として援助してくれているわけで――。でも、愛美がそのことに気づいているとは、彼はまだ夢にも思っていないだろうけれど。


「……うん。わたし、絶対に純也さんが楽しめる小説を書くよ。その本が出たら絶対に読んでね。約束だよ」


「ああ、約束するよ」


 純也さんは愛美と指切りをしてくれた。寒空の下で指切りをしたので、どちらの指もヒンヤリと冷たかった。




「――さて、ちょっと早いけど昼食にしようか」


 合羽かっぱばしの道具屋筋なども回っていると、時刻は十一時半になっていた。


「うん。軽めのランチだと、どこがいいかなぁ? ハンバーガーとか?」


「いいんじゃないかな。むしろそれくらいでちょうどいい」


「えっ、ホントにそんなでいいの!?」


 愛美は思いつきで挙げただけなのに、純也さんはあっさりOKを出した。


「うん。俺、実はそういうファストフードとか、ジャンキーなのもよく食べてるんだよ。一人でも気楽に入れるしね」


「ああ……、なるほど」


 彼はお坊っちゃま育ちなのでもっとグルメなのかと思っていたけれど、意外と庶民的な食べ物も好むらしい。そういうところも、辺唐院家の人らしくないといえばらしくないかもしれない。


「そういえば、原宿に行った時もクレープ屋さんで注文が手慣れてたもんね」


「そういうこと。じゃ、行こっか。……支払いは各自で、にした方がいい?」


「そうしてもらった方が、わたしも純也さんに気を遣わなくていいからそっちの方がいいです」


 ――というわけで、二人はバーガーショップで軽めの昼食を摂った。テーブル席で向かい合い、純也さんは普通のハンバーガーを、愛美はチーズバーガーにかぶりつく。

 高くて美味しいものを食べているわけではないけれど、この方が愛美には気楽でいい。


「……あ、純也さん。口の横にケチャップついてる」


「えっ、マジで? どっち?」


「わたしから見て左側。じっとしてて、拭いてあげる」


 自分では拭こうとしない彼の顔の汚れを、愛美は甲斐甲斐しく紙ナプキンで拭いてあげた。


(……もう! 大の大人なのに世話が焼けるんだから!)


 まるで子供がそのまま大きくなったような人だと、愛美は母性をくすぐられた。三十歳の大人の男性なのに、「可愛い」と思ってしまう。


「……はい、取れた。これくらい、自分で拭けばいいのに」


「ありがとう。愛美ちゃんが世話を焼いて拭いてくれるかな、と思ってわざと拭かなかった」


「何それ?」


 純也さんの言い草が何だかおかしくて、愛美は笑い出した。

 十三歳も歳の離れた恋人と、初デートでこんなバカップルみたいなやり取りができるなんて思ってもみなかった。

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