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ヒーローは夜空に散る
ヒーローは夜空に散る
りんごの化身
文芸・その他純文学
2025年02月16日
公開日
6.5万字
連載中
美しい奇病ーーそれは神様から与えられたギフトか試練か
奇病に振り回されながらも自分らしく生きる人たちの物語

玲子編

 金曜日の夜。凪街の屋上で、私は街を見下ろしていた。夜の空気は、湿気を帯びながらも冷たく、肌を刺すようだった。遠くではパトカーのサイレンが響き、交差点ではタクシーのクラクションが鳴り響いている。路地裏からは焼き鳥の香ばしい匂いと、居酒屋の換気扇から流れる煙草の匂いが入り混じって漂ってきた。眼下には、凪街の喧騒が広がっている。スーツ姿のサラリーマンが肩をぶつけ合いながら足早に歩き、客を求める居酒屋の店員が声を張り上げている。キャバ嬢が笑顔を作りながらホスト風の男と腕を組み、酔っ払いの男たちが道端で大声を上げながらふらついていた。私は双眼鏡を持ち上げ、人々の様子を観察する。今日もいつもの夜……のはずだった。だが、ふと視界の片隅に違和感がよぎる。

一人の男——他の酔っ払いとは明らかに様子が違う。足元は不安定で、今にも倒れそうなのに、周囲に気を配るように怯えた目をしている。普通の酔っ払いなら、もっと陽気か、あるいは無防備に眠りこけるものだ。しかし彼は違った。

双眼鏡をさらに近づけ、男の顔をじっくりと捉える。

——瞳孔が開ききっている。

——目の焦点が合わず、虚空を彷徨っている。

——頬はこけ、皮膚は不自然に乾燥している。

それだけではない。彼は何かに怯えている。

「……あれか」

思わず小さく呟く。

夜の街に出回る薬。幻覚や幻聴を引き起こす、それなりに危険なブツだ。

私は双眼鏡を下ろし、ひとつ息を吐く。

「やれやれ、まだ出回っているのかねぇ。」

ビルの冷たいコンクリートを蹴り、私は急ぎ足で階段を降りていった。

降りている最中ある女が私に声をかける。女は白いシャツにジーンズ、その上に白衣を羽織って煙草を吸っていた。

「玲子、そんなに急いでどうした?」

煙草臭さに顔を顰めたが、ぱっと戻し、私は振り向いてにこりと笑みを浮かべた。

「今あれをやっていそうな人見つけたから、声をかけに行こうと思ってね。」

女は煙草の煙を吐くと「そうか」と答えた。

「じゃあ、行ってきます!」

「気をつけろよ。」

私はビルから出ると、先ほどの男を探した。きっとまだ近くをうろついているはずだ。しかし、通りを探してもいない。裏路地も見て回ろうとすると怒鳴り声が聞こえてくる。

「いいからさっさと金払えって言ってるんだよ!」

「そ、そんな大金持っていないです……」

「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」

路地の奥を覗くと、男二人が若い男を挟みつけるように立っていた。片方は明らかにカタギではない風貌で、もう片方は怯えた表情で地面を見つめている。

「何しているの?」

「あ?」

まずはけんかを止めるべく三人に近づく。

「お金なら私が立て替えるよ。いくら払えばいいの?」

「いやぁ、嬢ちゃんに払える金額じゃあ……」

「いいから、いいから!」

まずはこの男たちからこの人を引き離すのが先だ。笑顔で彼らを見つめていると男たちは黙り、しぶしぶ指を開いた。

「五だ。五万。」

「たっか!何買ったらそんな値段になるわけ!?」

男のほうを振り向いて聞いてみる。

「……覚せい剤、です…」

男は目を泳がせ、喉をカラカラにさせながら言った。

「中毒になって……禁断症状がひどくて……」

私は財布から五万円を取り出すと二人に渡した。

「はい、これでいい?」

男たちは受け取ると

「嬢ちゃんに感謝するんだな!」

そう言い残し男に白い粉を渡して去っていった。

「これが例の薬ねぇ。」

私は男からその薬を取り上げるとまじまじと見つめた。あいつが言っていた今でまわっている薬っていうのはきっとこれのことかもしれない。

「は、はやくそれを……」

「だーめ。お金は私が立て替えたのだから、まずは私の家に来てもらうよ。」

「え、えぇっ!?」

男は驚いていたが手を強く引っ張って強制的にビルに連れ帰った。

 そのままビルの中に入り、二階に上がる。扉を開けて、

「薬一名様ご案内。」

そう言って連れてきた男を雑にソファに放り投げる。

「お疲れさま、後で病院に連れていくよ。」

リビングのソファにはビルの中で話しかけてきた女が座り、テレビを見ていた。私は携帯を取り出し、電話をかける。電話の相手は幼馴染の獅子合だ。

「もしもし、獅子合?」

「なんだ、玲子か。今日はどうした?」

獅子合りょうが。春川組という極道の一員で私の幼馴染。

春川組というのはこの凪街を裏で守る極道だ。

「今日薬やっている人見つけて保護してさ。患者は病院に放り込んでおくから、そっちは犯人捜しお願いね。」

「了解、特徴は?」

「今写真送っておいた。今日会ったのはその二人。」

そういうと獅子合は了解と返し、電話を切った。

「あ、あのここは……?」

ソファに投げられた男は起き上がるとそう尋ねてきた。

「ここは雨宮屋。何でも屋だよ。君、危ない薬やっていただろ。今から専門の病院にぶち込むから覚悟するんだね。」

「そ、そんな……っ!」

男は絶望した顔をした。でも仕方ない。薬からは危ない薬だっていう反応も出たし、やっていることは犯罪だ。警察に送られないだけ感謝してほしい。おっと、獅子合に一つ言い忘れていたことがあった。LUNEを開き

「渡した五万、取り返しておいて。」

と、そうメールした。

「これでよし。」

 三日後、私は知り合いがやっているバーにお邪魔していた。

「やっほー。」

扉を押し開けると、カラン、とグラスの触れ合う音と、落ち着いたジャズの調べが耳に入ってくる。

「やっほー、玲子ちゃん。いつものでいいかい?」

カウンターの向こうから、マスターが手を振る。小柄な体にシックな黒のシャツを着こなし、手際よくグラスを拭いている姿は、いかにもこのバーに馴染んでいた。

「うん」

私は軽く頷き、カウンターの端の席に腰を下ろした。

しばらくすると、涼やかな香りとともに、琥珀色の液体が満たされたグラスが目の前に置かれる。

「はい、どうぞ。」

「ありがとう。」

この店に来るたびに決まって頼んでいる、特製のダージリン・キール・ロワイヤル。ダージリンティーの深い香りに、カシスリキュールの甘やかさとスパークリングワインの爽やかさが調和した一杯。初めて飲んだときから、私はすっかりこの味の虜になっていた。

グラスを手に取り、軽く口をつける。優雅な茶葉の余韻とともに、ほのかに広がるカシスの甘みが心地よい。

そしてこのバーのもう一つの特徴……それが

「玲子ちゃーん!」

「待ってたわよー!」

突然、賑やかな声とともに、艶やかなドレスに身を包んだ女性たちが私の両側に座り込んできた。

そう、この店はキャバクラも兼ねているのだ。

本来なら私には縁遠い世界だと思っていたのだけれど、気づけばすっかり馴染んでしまっている。

「ねえねえ、今日もカクテル飲んでるの?」

「またダージリンのやつでしょ?ほんと玲子ちゃん、そればっかり!」

彼女たちは私の肩に寄りかかりながら、次々と話しかけてくる。すると——

「ほらほら、玲子ちゃんは私の担当なんだから!」

「違うわよ、今日は私が先に声かけたんだからね!」

突然、私をめぐって彼女たちの間で取り合いが始まった。

ふわふわで、すべすべの大きな胸が、否応なしに私の顔面に押し付けられる。

……うらやましいぜ、まったく。

ふとそんなことを思いながら、私はグラスの中の琥珀色の液体を軽く揺らした。

「それでどうなのよ、獅子合君とは!」

今度は恋バナが始まる。

というのも、彼女たちは私が獅子合に気があると思い込んでいるらしく——

「いやぁ、あいつが私に気があるとは思えないし。」

私はグラスを傾けながら、軽く肩をすくめる。

「でも、獅子合君、ずっとあなたのこと気にかけているのよ?」

「そうよそうよ。きっと獅子合君はあなたのことが好きで……」

キャバ嬢たちが口々に囃し立てる。その時——

「それはないですよ、お嬢さんたち。」

低く、よく通る声が会話を遮った。

店の扉が静かに開き、そこに立っていたのは。

獅子合りょうが—漆黒の髪に白いメッシュが映える男。白いスーツを纏い、その佇まいには隙がない。その横には、ピンクの髪にピンクのパーカー、チェックのジャケットを羽織った弟分・速水が控えていた。

二人の姿が現れた瞬間、店の雰囲気が少し引き締まる。

「俺は極道。玲子は一般人です。」

獅子合はまっすぐ私達を見据え、はっきりと言った。

「俺たちの戦いに、一般人を巻き込むわけにはいかない。」

静かな言葉に込められた、確固たる決意。

「もー、優しいのね、獅子合さん。」

キャバ嬢のひとりがうっとりと呟く。

……昔から、彼はこうだった。

彼は十歳のころから極道に憧れ、春川組に入った。兄貴分たちから厳しい指導を受け、たまに会うときはいつも傷だらけ。ろくに手当てもせず、血が滲んだままの拳で強がるものだから、結局いつも私が手当てをしていた。その頃から、彼の口癖は決まっていた。

——「俺は極道だから。」

「ほら、取り返してやったぞ。」

獅子合が無造作に封筒を差し出す。

「さんきゅー。……あれ、多くない?」

封を開けると、中には八万円の札束。確か取り返してもらったのは五万円のはずだ。

「それは佐山の兄貴からだ。」

獅子合は淡々と告げる。

「いつも世話になっている礼だとよ。」

佐山の兄貴。春川組の幹部であり、獅子合の兄貴分にあたる人物。私も何度か顔を合わせたことはあるが、極道の世界にどっぷり浸かった人間だ。

「それはどうも……」

封筒を握りしめる。これを断れば、かえって面倒なことになりそうだ。佐山の兄貴の性格からして、「礼を受け取らないのは仁義に反する」なんて説教されるのがオチだろう。ありがたく受け取っておくのが正解だ。

「……まぁ、助かったよ。ありがとね、獅子合。」

奥から封筒を持った店長がでてくる。

「やぁ、獅子合君。守代だよ。」

店長が封筒を差し出す。

「いつもすまないな、山城さん。」

獅子合が封筒を受け取り、中身を軽く指で確認する。

守代——この街の治安を守る代わりに、対価として受け取る金。極道の主な収入源のひとつであり、この街で商売をする以上、それは必要経費でもあった。

「さて、私もそろそろお暇するよ。いくら?」

「三千円だよ。」

私はグラスの底に残った氷を軽く回し、一口で飲み干すと、財布からお金を取り出した。

「毎度。」

店長の軽い声を背に、店を出る。

——と、すぐ後ろから足音がついてきた。

「玲子。」

名前を呼ばれる。

振り向かなくても、誰かはわかっていた。

「常々言っているが、俺たちの真似事のようなことはするな。」

獅子合の声は低く、静かに怒りを孕んでいた。

「それは俺たちの仕事だと、いつも言っているだろう。……死にたいのか?」

獅子合の言葉に、私はふっと笑う。

「……知っているくせに。」

夜風が、ひんやりと肌を撫でた。

「私は死なないって。」

そう言うと、獅子合は少し眉を寄せ、頭をガリガリと掻いた。

「あぁ、そうだったな……」

懐から煙草を取り出し、火をつける。煙が夜の闇へ溶けていく。

「だがよ……今、いくつだ?」

「二十四歳。」

私が答えると、獅子合は舌打ちをした。

次の瞬間——

「っ!」

背中に強い衝撃。気づけば、壁に押し付けられていた。

「なんでそんな平気な顔してるんだよ!!」

獅子合の声が、いつになく強い感情を帯びていた。

「……痛いよ、獅子合。」

苦笑しながら、彼を見上げる。彼の手は、まだ私の肩を掴んでいた。

——昔じゃないんだから。

春川組の兄貴たちに鍛えられてきた獅子合は、昔の何倍も強くなった。そんな力で壁に叩きつけられれば、痛いに決まってる。

獅子合は、はっとした顔をした。

「……悪い。」

掴んでいた手を放し、懐から何かを取り出す。

「奇病に詳しい先生がいる。見てもらえ。」

差し出されたのは、金の入った封筒。私はそれを見つめ、ゆっくりと首を横に振った。

「そんなことしなくてもいいんだよ。」

私の運命は、もう決まっているのだから。

——生まれた時から。

——星形のほくろを持って生まれた、あの日から。

運命は、変えられない。……でも、獅子合は納得しなかった。

「それでも、何か変わるかもしれないだろ。」

煙草を指で弾き、彼は真っ直ぐに私を見た。

「……わかったよ。」

ため息をつきながら、私は封筒を受け取る。

「そこまで言うなら、行ってくる。」

獅子合が何か言いかけたが、私はそのまま踵を返し、家路についた。

 次の日。私は獅子合に言われた病院へ来ていた。どこにでもある街の小さなクリニック。看板の塗装は少し剥げ、入り口には観葉植物が並べられている。ぱっと見た限り、ここが「奇病」に詳しい病院には見えない。

「本当なのかねぇ……」

思わず独り言が漏れる。病院の自動ドアをくぐり、受付で名前を告げると、しばらく待合室で呼ばれるのを待つことになった。

——期待などしていなかった。

「雨宮さん。」

静かな待合室に、看護師の声が響く。私は立ち上がり、診察室へと向かった。

中に入ると——

赤い髪に、黒いシャツ。その上から白衣を羽織った女性がデスクに座っていた。

「はじめまして。このクリニックの院長、上原美紀だ。」

カラリとした声で名乗る彼女に、私は軽く頭を下げる。

「はじめまして……」

「獅子合から話は聞いているよ。星散病なんだってね。」

どうやら、獅子合が事前に連絡を入れていたらしい。

「星散病の患者はとっても少ない。だから色々調べさせてもらうよ。」

「……はい。」

私は頷き、検査が始まる。その間、美紀さんといろんな話をした。

彼女は私の姉・優香と大学の同級生だったこと。二人はよく一緒に酒を飲み、遊び回っていたこと。玲子のように街のパトロールをしていたこと——ただし、美紀は助手のような立場だったこと。

「まさか、優香の知り合いだったなんて……」

私は驚きを隠せなかった。

「そういえば、美紀さんはどうして奇病に詳しいのですか?」

「ロンドンでいろいろ研究をしていてね。 それでさ。」

美紀は手早く検査を終え、私を診察台から降ろした。

「——さ、終わったよ。」

私は服を整えながら、美紀の手元にある検査結果を覗き込む。

「体内には、星屑がいくつもある。」

美紀の声が、少し低くなった。

「これが星を吐く原因と見て間違いないだろう。そして、それはものすごい速さで増加している。血液にまで入り込んでいるくらいに。」

そう言うと、美紀は採取した血液の入った試験管を持ち上げた。

中に浮かぶ、微細な金色の粒子——それは、星の欠片のように輝いていた。

「……それで、あとどのくらい生きられるのですか?」

自分でも驚くほど、静かな声が出た。すると、美紀の表情がわずかに曇る。

「……文献では、星散病の患者が二十五より長く生きた記録はない。」

私は目を閉じる。

知っていた。どこの病院でも、何度も聞かされた言葉。

——「君の場合は、あと一年。」

……一年。私の人生の、残された時間。

「そうですか。」

何度目かの、絶望。でも、私はもう慣れていた。それを見透かしたように、美紀は少し微笑んだ。

「だから、この一年を有意義なものにしてほしい。」

私の目をまっすぐ見ながら、彼女は続ける。

「どうせ寿命でしか死ぬことはないのだし、獅子合たちのように極道として生きてみてもいい。」

冗談めいた口調。でも、その裏にあるのは、本気の言葉。私が黙っていると、美紀は軽く肩をすくめた。

「どうするかは君次第だ。獅子合には私から伝えておこう。」

静かな診察室に、時計の秒針の音が響く。

「……ありがとうございます。」

私はそう言うと、診察室を後にした。

星散病。それは、二十五の誕生日を迎えると、星屑となって夜空に散る病。さきほど美紀が言っていたように、星散病の患者は成長とともに体内に星屑を溜め込んでいく。

そして、二十五歳が近づくにつれ、その星屑を少しずつ吐くようになる。

——運命は、生まれたときから決まっていた。

顔には、星形のほくろ。まるで、「この身が星へと還る証」かのように。

星散病にかかった者は、どんなに腕のいい医者に診てもらったところで、二十五を超えて生きることは決してできない。

だが——この病には、もうひとつ奇妙な真実がある。

吐き出される星屑。それは、ただの病の副産物ではない。

——高値で取引される。

市場では、「奇跡の鉱石」と呼ばれ、薬にも、装飾品にもなるらしい。その輝きに目を奪われる者は多く、星散病の患者の存在すら「金になる」と考える者もいる。生まれながらにして限られた命を背負い、なおかつ、その身体すら価値として求められる——

そんな病に、私はかかっている。

……だからこそ、考えるのだ。この一年を、どう生きるかを。

「あれ、玲子じゃん。今日も病院?」

街角を歩いていると、どこか気の抜けた声が聞こえた。

振り向くと、黄色の虎柄のシャツに黒いズボン、サングラス越しに鋭い目を覗かせる男が立っていた。無精髭を生やし、ラフな服装とは裏腹に、身体全体から発せられる独特の威圧感。

「……佐山さん。」

佐山康介。春川組の狂人。

ふるう剣には一切の型がなく、まるで獣のように本能で振り回す。それでいて、敵を圧倒するほどの実力を持つ。

——そんな男が、今はただの気のいい兄貴分のように私を見ていた。

そのまま、私は佐山さんと近くの公園へ足を向けた。木陰のベンチに腰を下ろし、二人でしばらく談笑する。

「そっかー。獅子合が気を効かせてねぇ。」

佐山さんは腕を組み、ふぅんと鼻を鳴らした。

「えぇ。でも、どこの医者も同じことを言いましたよ。」

「やっぱり、二十五で死ぬんだ?」

「はい。」

私は軽く頷く。

佐山さんの年齢は三十。

そこまで生きられることはない——そう思うと、正直うらやましい。

「二十五で死ぬのかぁ。」

佐山さんは空を仰ぐ。夕陽が、橙色の光を木々の隙間から落としていた。

「なんだか、悲しいねぇ。」

「……佐山さんでも、そう思ってくれるのですね。」

「あったりまえよぉ。玲子は妹みたいなものだし。」

そう言うと、佐山さんはポケットから煙草を取り出し、一本咥えた。カチッとライターを鳴らし、火を灯す。

「吸う?」

紫煙が、ゆるやかに空へ溶けていく。

「いいえ、吸いません。」

「健康志向だねぇ。」

佐山さんは、くくっと喉を鳴らして笑う。あと一年で死ぬというのに、健康を気にしてどうする。そんな皮肉めいた考えが頭をよぎるが、煙草を吸わない理由は単純だった。

「臭いから。そして、まずいから。」

それだけのことだ。

「ねぇ、玲子。一つ大きな事件があるのだけど、一緒に解決してみない?」

佐山さんが、にやりと笑いながら言った。

「……大きな事件?」

「そ。」

私が聞き返すと、佐山さんはおもむろにポケットからスマホを取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。

「もしもしー、獅子合? あの事件の資料、持ってきてくれない?」

どうやら、電話の相手は獅子合らしい。

「五分で土山公園な? 遅れたら殺す。」

殺さないでくれ。内心ツッコミを入れつつ、佐山さんの横で待つことにする。

——そして、本当に五分後。

獅子合と速水が、公園の入り口から姿を現した。二人とも、息を切らしている。

だが——

「五分って言われたら、二分で着いてなきゃダメだろうが。」

バキッ!!

理不尽にしめられる獅子合と速水。

その間、私は手渡された事件の資料に目を通した。

——事件の概要。

「孤児院から三人の兄弟が誘拐された」

ただの誘拐事件ではない。三人とも、何かしらの奇病を患っていた。

そして、決定的な情報。犯人の顔は、防犯カメラに映っている。

「警察は動かないのですか?」

私は資料から顔を上げ、佐山さんに尋ねた。

「あぁ、今回の事件に関しては動いちゃくれねぇ。」

佐山さんは、苦笑しながら煙草に火をつける。

「なにせ事件を起こした犯人は、この街の警察のトップだからな。」

——あー、そのパターンかぁ。

警察は、自分の身を守るために、自分や身内が起こした事件は隠す。そのせいで、うやむやにされた事件や事故は数えきれない。

「で、それに耐えかねた孤児院の院長が、俺たちに依頼してきたってわけなんだ。」

佐山さんは、指で資料をトントンと叩きながら言う。

「それはいいけど……どうして私が行くことに?」

「どうせ寿命でしか死なないんだし、パーッと大きなことやっちゃおうよ!」

佐山さんはそう言いながら、速水の首を極めたまま締め上げる。

「ぐぇっ……ちょ……ぐるじぃ……」

「はぁ……」

私はため息をつき、仕方なく速水を解放してあげることにした。

まぁ、言ってしまえば——カチコミに行くってことだろう。この前佐山さんから大金もらったし、断るわけにはいかないな。

 帰り道。夜の街灯が、薄ぼんやりと歩道を照らしていた。私は獅子合と並んで歩いていた。

はぁ……

隣で、獅子合が重いため息をつく。

「美紀さんから聞いた。やはり……二十五までしか生きられないんだな。」

「……まぁね。」

軽く笑ってみせたが、獅子合の顔は冴えない。

今はこんなに元気なのに、二十五で死ぬ——。そう考えると、納得できないのだろう。無理もない。

「今は、本当に何もないのか?」

獅子合が真剣な眼差しを向けてくる。

「星屑を吐くこと以外はね。」

「……それならいい。」

そう言うと、獅子合はふと手を伸ばし、私の頬にある星形のほくろにそっと触れた。

「このほくろが、うらめしいぜ……」

「そういうこと言うんだね、獅子合も。」

「……まぁな。」

彼は静かに笑う。——その笑顔が、少しだけ苦しそうに見えた。

そうして歩くうちに、ビルの前に到着した。

「明日夜、迎えに来る。支度して待っていろ。」

「わかった、待ってるね。」

私が階段を上がる間、獅子合はずっとこちらを見つめていた。まるで、この姿を目に焼き付けるように。

——彼は、何を考えているのだろう。私は一度も振り返らず、自分の部屋へ戻った。

獅子合は、速水が運転する車の助手席に乗り込んだ。後部座席には、佐山もいる。エンジンがかかり、車は静かに夜の街を走り出した。

「獅子合の兄貴、本当なんですか……玲子の姉貴が、星散病にかかってるって。」

速水がぼそりとつぶやく。

「本当だ。あいつは、来年死ぬ。」

「……あんなに元気そうなのに、不思議だよねぇ。」

佐山が、窓の外を眺めながら言った。

「まるで神様に連れ去られるみたいに、死んじゃうなんてさ。」

速水は、それを聞いて黙り込んでしまう。信号が赤に変わり、車がゆっくりと止まる。

「……神様って、いるんですかね。」

そう呟きながら、速水は空を見上げた。ビルの間に広がる、静かな夜空。まばらに輝く星々が、遠い世界を照らしていた。

「さぁ……どうだろうな。」

獅子合は、ただそれだけを返すしかなかった。

「美しい奇病」——世間では、そう呼ばれる奇病の数々。玲子の星散病だけではない。

今回、連れ戻しに行く三兄弟もまた、何かしらの「美しい奇病」にかかっている。

まるで、神様から授かったギフトのように。——美しく、希少で、儚い。だが、もし本当に神様がいるのなら。

獅子合は考えていた。

なんで俺たちを引き合わせたんだろう。

——二十五で死ぬ彼女と、極道に入った以上、いつ死ぬかわからない俺を。

 一方、ビルの中では私と優香がくつろいでいた。

「へぇ、そっか。美紀に会ったんだね。」

「うん、きれいな赤髪の人だったよ。」

私はコーヒーを飲みながら、優香が見せてくれたロンドンでの写真を眺めていた。写真の中で、優香は大学のキャンパスで楽しそうに微笑んでいる。優香もロンドンの大学出身で、英語はペラペラだった。確か、美紀は医学部で、優香は考古学を学んでいたはずだ。私は大学は卒業しているが、優香や美紀のような海外の大学ではなく、普通の日本の短期大学だった。

「それで検査結果は?」

優香が私に尋ねると、私は少し沈んだ表情で答えた。

「やっぱり、二十五で死ぬんだって。体中に星屑があるみたい。」

その言葉に、優香は一瞬、心が重くなった。星散病のことはもう知っていたが、改めて言葉で聞くと、その重さを感じずにはいられなかった。優香が冷たい氷をグラスに落とし、静かな音を立てる。周囲の空気が一瞬、凍りついたような気がした。

「そうか……」

優香は何も言えずに、ただ頷くだけだった。優香は少し笑いながら、呟いた。

「もし君が二十五よりも長生きしてくれるのなら、雨宮家の財産をすべて継がせようと考えていたのだが…」

私は薄く笑いながら、優香の言葉を遮った。

「むしろ私が財産になるんだよ、優香。」

優香はその言葉を聞いて、ふと目を伏せ、涙を浮かべたように見えた。

「そうだな……」

優香は涙を流しそうにしながらそう言った。優香が私を引き取った時から、私が星散病だということは知っていた。それなのに、優香は私を大切に育ててくれたのだ。奇跡が起きることを信じて、私の未来に希望を持ち続けてくれた。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。私はコーヒーを飲みながら、そんなことを考えていた。

 星散病だと知る人は少なくない。この星形のほくろが私の体に刻まれているせいで、今まで会った人たちにはそれを見抜かれてしまっていた。だから、よく「死ぬのは怖くないのか」と尋ねられることがあった。最初は、怖さを感じることもあったが、次第にその質問に答えることに疲れてきた。今では、もう覚悟が決まっているのか、「怖くない」と返すことができるようになった。だが、それでも時には、恐ろしいことがあった。ヤクザに命を狙われたのだ。「死ねば金になる」「貴族様に売りつければ高値で買ってくれる」—そう思っていたのだろう。私の命を奪えば、それだけの価値があると信じていた。しかし、その陰謀は春川組の手によって阻止された。春川組は、私を引き取った優香の父、卓蔵がつながりを持っている組織で、卓蔵は有名な剣術の師範でもあった。彼は私を守るため、剣術を教えてくれた。おかげで、私は春川組に負けず劣らずの剣術を身につけることができた。それでも、卓蔵や優香が私を守ってくれたおかげで、私は今ここにいる。

私は何も答えられなかった。彼女がこれまで自分のためにしてくれたことに、感謝の気持ちが込み上げてくる。しかし、今、彼女にどんな言葉をかけても、それがどれほど大切なものだとしても、もう遅いのだと感じていた。優香が涙を流すのを見て、私は何も言えない自分が歯がゆかった。優香と一緒に過ごしてきた日々は、私にとってかけがえのないものだった。

 私がなぜ、雨宮優香の妹になったかについてもう少し語ろうと思う。あれは確か、五歳の頃だったか。それまでは貧しいけれど普通の家庭で、夏にはプールに連れて行ってくれたり、冬はアパートの庭で雪遊びをしていた。両親は仕事に出かけて家にいないことがほとんどだったが私のことを愛情たっぷりに育てていてくれたと思う。母親の作る玉子焼きは鰹節が入っていて美味しかったし、父親の手作りの本棚は木と手作りの温もりが感じられた。姿はもうあまり思い出せないが、やせ細っていて、母親に関してはよくそんな体で私を産めたなと言えるくらいの体つきだった。そんな両親と楽しく過ごしている中、星のほくろが目立つようになり、両親が調べたところ星散病だと疑い、私を大きな病院へ連れて行った。

病院の診察室で、白衣を着た医師がカルテをめくっていた。

「これは……間違いなく星散病の兆候ですね。」

「そんな……」母は声を震わせた。父は天井を見上げて黙り込んだ。

私はただ何も分からず椅子に座っているだけだった。

「二十五歳になると体が星になって消える病気です。非常に稀な症例で……」

父はずっと顔を手で覆い隠し、母はずっと涙を流して泣いていた。

診察が終わったあと、私は泣いている理由を聞いた。

「パパ、ママ、どうして泣いているの?」

そう聞いても両親は何も答えない。

「あのね、パパ、ママ。私ね、大きくなったらヒーローになりたいの!ヒーローは強くてかっこよくて泣いている人を助けてくれるんだ!だからパパとママのことも助けてあげられるよ!」

「そう……なの」

父親は私の頭を撫で涙を手で拭うと私に目線を合わせてこう言った。

「じゃあ、玲子。パパたちのヒーローになってくれるかい?」

「もちろん!!」

次の日の朝、両親はどこかへ行ってしまった。仕事の忙しい二人のことだからまた仕事へ行ったのだろう、そう思っていた。しかし、現実は違った。私は極道へ売り飛ばされた。元々、借金を作っていたそうで取り立てに来た極道のお兄さん達宛に置き手紙を残し、両親は消えたのだ。置き手紙にはこうあった。

「この子は星散病です。高値で売れるでしょうから、そのお金を借金返済にあててください。」

お兄さん達は頭を掻きながら「こりゃひどいな」「まさか星散病の人間がいるとはな。初めて見たぞ?」そんなことを言っていた。

あの時の私は子供の心で必死にいなくなった両親のことを考えていた。二人は仕事へ行っているだけ。夜になれば帰ってくる。このお兄さんたちは悪いお兄さんだ。二人が助けに来てくれる。と。しかし、迎えには一向に来なかった。一人のお兄さんが教えてくれた。

「お前は捨てられたんだ」と。近くにいたもう一人のお兄さんが「それを言うんじゃない!!」と、そのお兄さんを叱ったが、私は幼い頭でその言葉を理解した。

「捨てられた」「私はいらない子だ」。そんな言葉が頭の中をぐるぐる回っていて、理解はできても飲み込むことが出来なくて私は泣き叫んだ。

「パパたちのヒーローになってくれ」あれはこういう意味だったのか。今思えばあの時何も知らずに頷いた私をぶん殴りたくなるほどだ。

取り立てに来ていた春川組のお兄さん達はすぐ首領に報告。首領からお父さん、春川卓三に報告が行き、雨宮家の養子となったのだ。そして同時に優香の妹になった。

 今でも忘れられない。初めて竹刀を握った時の感覚を。それは人を傷つける道具なのだと知っていたから。

「持ち方が違う、玲子。」

卓蔵は竹刀を構えたまま、厳しい声で言った。

「もっとしっかりと握れ。剣はお前の命を守るものだ。」

なぜ、こんなものを握らなければならないのか、そう思いながら私はぎゅっと竹刀を握りしめた。両腕が震えた。

「おいおい、そんな手じゃ一撃で負けるぞ?」

優香が笑いながら横から竹刀を持ち上げた。

「いいか、玲子。まずは正しい構えを覚えなさい。敵が来たら——」

次の瞬間、卓蔵の竹刀が空を切り、私は反射的に防御の姿勢をとった。

バチィンッ! 竹刀と竹刀がぶつかり合う。

「——そうだ、その感覚を忘れるな。」

母親はその様子をじっと微笑みながら見つめていた。私が竹刀を握り初めて防御の姿勢を取ったことを褒めるように。私は怖かった。怖くて涙が出そうだった。でも、ヒーローを目指すからにはもっと強くならなくては。私は竹刀を握り直し、父親の目を見て

「もう一度お願いします!!」

父親と優香は驚いた顔をしたが父親は笑って

「いいだろう、もう一度だ。」

そう言ってくれた。

 それからの日々は結構辛かった。毎日毎日剣の特訓、その他に自分の身を守るための体術の特訓を姉として、それが終われば勉強。私立の幼稚園に行かされたからクラスメイトはみんな頭が良くてついて行くのに必死だった。成績は周りと比べたら中の上くらいだったけど、養親や姉はよくやったと褒めてくれた。今思えば褒めて伸ばす人だったのかなと思う。おかげでそこそこいい短期大学にも入れたのだ。

 獅子合との出会いはどんなだったか。あれは雨宮家に引き取られてすぐの頃だった。隣のアパートに住む少年に出会った。それが獅子合りょうが、昔は確か秋川りょうがという名前だった。春川組に入った時に苗字を変えたらしい。彼は毎日ボロボロの服を着てどこかしらに痣を作っていた。なんでそんなに怪我したのと聞けば転んだ、ぶつけたの一言。しかし私は知っていた。アパートから毎晩のように聞こえる怒声。彼は両親に暴力を受けているのだと察するのは子供の私でも容易だった。見るに耐えかねた私は竹刀を持って彼が住むアパートへ向かった。

「おいガキ、言うこと聞けねぇのか?」

パァンッ!

廊下の奥から響く音に私は身を竦めた。声の主は扉から出てくると缶ビールを飲みながら階段を降りていった。

しばらくして、声の主がいなくなったのを確認すると部屋の中に入り彼を探した。そして、部屋の隅に小さく蹲る彼を見つけた。彼の頬は腫れ、唇が切れて血が滲んでいた。

「……また?」

りょうがは俯いたまま、ゆっくり頷いた。

「……もう耐えられない。」

「なら、春川組の人たちに相談しようよ。」

「そんなの……できるわけない。」

だが、その日は突然訪れた。

ある晩、りょうがの父親がさらに激しく暴れ、彼を殴り続けたとき——春川組の幹部が家に踏み込んだ。

「お前みたいなクズがガキを育てられるわけねぇだろ。」

それが、彼が春川組に引き取られた日だった。その時である。彼が極道になりたいなんて言い出したのは。

 私と彼は幼い頃、こんな会話をしていた。

「なぁ、お前の両親ってどんな人?」

「ん?優しい人だよ?」

「ふーん。」

「でも、本当の両親じゃないよ。」

「え?」

「本当の両親は私が小さい頃にどっか行っちゃったの。私がお金になる病気だからって」

「なんだよそれ……」

ブランコに乗りながら淡々と私は話していた。

「悲しくねーの?」

「うーん……別に?もう顔も覚えてないもん」

「そっか。」

その時の私は本当の両親より今の両親の方が好きだったし恩を感じていたから、彼らのことなんて頭になかったのかもしれない。

「俺さ、お前を守れるようになりたい。」

「どうして?」

「お前、金になる病気なんだろ?それじゃあ悪い奴に狙われるかもしれないから、俺が守る!」

そう言ったりょうがの目はキラキラ輝いていた。

「ありがとう、でも私もりょうがに負けないくらい強くなるよ!」

「言ったな!?じゃあどっちが強いか勝負だ!」

夕方、公園のブランコで交わした会話が今でも頭にこびりつく。決して忘れてはならない過去だと言わんばかりに。

 その夜、獅子合たちが約束通り迎えに来てくれた。車の中で、心拍数が徐々に上がるのがわかった。カチコミメンバーは私、獅子合、佐山の三人。目標は誘拐された三兄弟の救出。私はまだ緊張していたが、彼らの冷静な様子に少し落ち着きを取り戻す。獅子合はハンドルを握りながら、これからの作戦について簡潔に説明してくれた。

「敵は全員殺す。お前は三人を探して保護して、気絶させるだけでいい。後は俺たちが処理する。」

その言葉を聞き、私は少し胸が苦しくなった。殺しに参加するわけにはいかないけれど、三兄弟を守るためには迷っている暇もない。

「分かりました。」

と答え、心を決める。

車はどんどん速く、そして暗闇に溶けていった。敵のアジトがある場所は繁華街の一角に位置しているビル。その裏に、誘拐された三兄弟が監禁されていると信じて疑わなかった。

「じゃ、ここからは歩きだ。用意はいいか?」

獅子合が声をかけ、車を停めた。

「もちろん。」

私は竹刀の入ったバッグを肩に掛け、すぐに車を降りた。冷たい夜風が肌に刺さり、身が引き締まる。獅子合と佐山が先導し、私はその後ろをついていく。ビルに近づくにつれ、緊張が再び胸を締め付けた。

ビルの中は薄暗く、静寂が支配している。獅子合と佐山が前方に立ち、私がその後ろに続く。次の瞬間、佐山が大声を上げた。

「どうもぉ!ぶっ殺しに来ましたぁ!」

その声がアジトの中に響き渡り、敵の注意を引きつけた。

「てめぇら全員生きて帰れると思うなよ!」

と敵が怒鳴り返してきた。二人が注意を引いている間、私は別の部屋に入り、誘拐された三兄弟を探し始めた。目が慣れてきたのか、目の前に広がる倉庫のような部屋の奥に気配を感じ取った。

窓から外に目をやると、倉庫の隅に二人の男が見張りをしている。見張りの一人が油断している隙に、私は背後からその男を一撃で打ち倒した。勢いよく殴り込むと、男が倒れた瞬間にもう一人をも同じように倒し、気絶させた。二人の手には鍵が握られていたので、その鍵を使って倉庫の扉を開けた。

「だ、誰!?」

と驚いた声がした。電気をつけると、そこには二人の男の子が手錠で繋がれていた。

「大丈夫?怪我はない?」

と声をかけ、近づくと、一人の子供は身体中に広がる薔薇のような痣を見せ、もう一人は足元に宝石のかけらが散らばっていた。

「これって……」

私は息を呑む。この痣と宝石のかけらは、やはり奇病の症状だろう。しかし、そんなことを考えている暇はない。急いで次の子供を探さなければならない。

「ねぇ、君たちのほかにもう一人いるよね?どこにいるか知らない?」

二人は顔を見合わせ、そして私に縋りつくように言った。

「きっといつもの部屋だよ!」

「案内するからついてきて!」

私は急かされるようにその手錠を外し、二人を助け出した。外に出たところで、全身返り血まみれの佐山が目の前に現れる。

「見つかったんだね、よかった、よかった。」

「それが、もう一人いなくて……二人に聞いたら、いつもの部屋ってことだったんですけど。」

薔薇の痣のある子が私の腕を引っ張って急かしているので、その手を取って後をついていくと、目的の部屋に辿り着いた。

「きっとここにいるはずだよ!」

彼の声に、私は慎重にドアを開ける。部屋の中には、鎖で繋がれた男の子と、その男の子に鞭を撃っている男がいた。

「コウタ!」

彼らは叫び、男の子に駆け寄る。その顔は赤い結晶で覆われており、全身がまるで石にされてしまったかのようだった。

「あ、お前ら何逃げてんだ!?」

と言い放つ男が拳銃を取り出し、子供たちに向ける。それに気づいた佐山はすぐに反応し、しなやかに日本刀を抜いて、男の体を一刀両断した。

「ぐえええええっ!」

男は絶叫し、その場に倒れた。

「まだ一匹残っていたのか」

低く、淡々とした声が響いた。

「お見事。」

すぐに、二人の子供たちがコウタの鎖を解き、「大丈夫か?」と声をかける。

「この結晶は一体……」

「これも奇病の一つなんじゃない?」

この子を病院に連れて行かなければ、命が危うい。

「三人とも、早く車に乗って。病院へ行こう。」

私は背中を押しながら言ったが、ひとりの子供が少し不安げな表情を浮かべる。

「あなたも、俺たちを傷つけるの?」

その目がまっすぐ私を見つめてくる。私はその手を握り、微笑んで答えた。

「ひどいことはしないよ。病院に行って君たちの傷を見てもらわなきゃ。それに、君たちの病気もね。」

急いで三人を車に乗せ、美紀さんがいる病院へと向かう車の中で、私は彼らの顔をじっと見つめた。彼らの未来に希望をもたらすため、私は全力で守り抜くと心に誓いながら。

 車で二十分ほど車を走らせると病院についた。

「美紀さんいる?」

「ここは救急病院じゃないんだがねぇ。」

あくびをしながら美紀さんはそう言った。

「実はさっき誘拐された三人を見つけてきて、どうも奇病みたいなの。」

「ほう、どれ、見せてみな。」

三人を診察室の中に入れると美紀さんは診察を始めた。私たちは待合室で待つ。

「ねぇ、獅子合。」

「どうした。」

彼の無表情な顔を見ながら、私は少し躊躇ったが、気になっていたことを口にした。

「怪我してないの?」

獅子合は軽く肩をすくめて答えた。

「あぁ、俺たちは無傷だ。」

その言葉に、少し安心した。だが、隣にいた佐山が口を挟む。

「あいつら弱すぎたからな!」

彼は笑いながら言うが、その目はどこか冷たい。無理もない、あんな奴ら相手に命をかけるようなことはないだろう。私も自分の中で、冷静に判断できる部分があったから、少し安心した。まぁ、本物には勝てないかぁと苦笑いを浮かべながら、私の気持ちを落ち着ける。

しばらくすると、美紀さんが診察室から出てきた。彼女の表情は険しくもなく、どこかホッとしたような安堵が見え隠れしていた。

「終わったよ。」

三人の子も一緒だった。咲いていた薔薇はすっかり無くなり、体を覆っていた結晶も美紀さんの手によって取り外されていた。

「こいつは薔薇咲病、こいつは宝石病、こいつは狂獣病だ。」

どれも聞いたことのない病気だった。詳しく聞くとこうだ。

薔薇咲病は体中に黒ずんだ痣があり血を流すと共に咲く病気。しかもこの薔薇の茎には刺があるため、それが肌に刺さり痛みを伴う。末期になると貧血や衰弱が進行し、死ぬと体中に根を張り大きな薔薇の木になる。貴族たちが最も美しい死だと噂しているため高値で人身売買される。生きたまま埋められたりすることもあるそうだ。突然変異で発症した患者が見つかり、この子供が生まれる確率は一パーセントにも満たない。

宝石病は流した涙が宝石に代わる病気。死ぬと大きくて高価なダイヤモンドに変わる。感情によって流した涙が変わるのだが、どれも高値で売れる宝石である。例えば、喜びの涙だったらエメラルド、怒りの涙はルビー、悲しみの涙はターコイズ、楽の涙はローズクォーツというように。

新生児の段階で判明することが多く、生まれつきの体質である。ただ、頻繁に涙を流すと涙腺に痛みがでる。末期になると体の一部が硬化していく。宝石が高価すぎるため、患者は狙われやすい。涙を無理やり流させる「搾取施設」が存在し、犯罪組織が彼らを拘束し、感情を揺さぶることで宝石を収穫する。先程彼らが捕らわれていた場所もそうだった。一部の王族や貴族は、彼らを愛人や妻に迎え、「美しい涙を流させることがステータス」と考える異常な文化もある。

狂獣病は人体実験により生み出された病。怒ると狂った獣のように暴れ出すことからこの名が着けられた。傷つけても傷つけても流した血が硬化して彼の防具となるため殺すことは不可能と言われる。元々軍事実験の産物であり、特定の血統に遺伝することもある。末期になると常に怒りが抑えられなくなり、理性が完全に消失する。その昔、殺せない兵士として戦場で利用された過去があるとか。

私たちが持つ病は「美しい死」を持つため、闇市場で取引される。一般市民には呪われた病として恐れられているが貴族には高値で取引される資産と見なされているのだ。

「玲子みたいに何年で死ぬとかは?」

「ないよ。三人共治らないけど人と同じように死んでいく。」

「よかったなー坊主たち。」

佐山は三人の頭をわしゃわしゃとなでくり回した。私は優香に電話をかけた。

「もしもし、優香?」

電話の向こうから優香の声がすぐに響いた。

「あぁ、どうした?もう終わったのか?」

「うん、終わったよ。それで一つ相談なんだけどさ……今日保護した三人、私名義で養子にしてもしていいかな。」

優香がしばらく黙った後、少し驚いたように答える。

「ほぉ?お前あと一年も生きられないんだぞ?」

その言葉に少し心が締めつけられたが、私はそれでも決意を新たにして答える。

「わかっている。でも、自分の星屑を誰かのために使いたいって思える子たちだったの。それに優香、雨宮家の財産を渡す人が欲しいって話していたじゃない。」

電話の向こうで、優香がため息をつくのが聞こえた。まるでどうしようもないと思っているような声で、

「やれやれ、わかったよ。いったん家に連れて帰ってきなさい。いいね?」

「わかった。」

私は軽く答え、電話を切ると同時に獅子合が驚いた表情をしているのに気づいた。

「玲子、お前正気か!?」

その質問に私は苦笑いを浮かべながら答える。

「えぇ。」

獅子合はその答えにさらに驚き、佐山は少し焦りながら言う。

「養育費はどうするの?」

私は少しの間黙ってから、ゆっくりと目を閉じて答える。

「それなら私の星屑を使えばいい。有り余っているし。高値で売れるし。」

前から決めていたのだ。自分の星屑は他の人たちのために使おうと。これが私の残された時間でできる唯一のことだと思った。

「君たち、私の家に来ない?」

その言葉に、三人は驚いたような顔をしたまま、無言で私を見つめている。

きょとんとした表情のままで、まるで私の言葉が信じられないようだった。

 三人を連れて家に戻り、優香に会わせた。彼らのことを説明するとあっさり了承され雨宮家の管理する一軒家があるから好きに使えと言われた。

その一軒家に向かう途中、私と三兄弟は改めて自己紹介をしあった。三兄弟の名前は上からヒロト、アキラ、コウタ。ヒロトとアキラはすぐになついてくれたがコウタはそうもいかなかった。きっと散々痛い目にあったからだろう。大人は危険なのだと、その身と心に刻まれたのかもしれない。しかし、今度は大丈夫だろう。なぜなら新しい家は凪街から電車で三十分程かかる田舎街。そう簡単にほいほい行けるような場所ではないからである。それに三人を守れるよう警備システムも張り巡らせた。

「見えてきたぜ。」

「わあ……っ!」

新しい家はなんとも大きく立派な二階建てだった。住宅街の中でもひときわ目立っている。

「これは……目立つのでは。」

「大丈夫だろ、警備システムもあるし、交番も近いし。」

歩いて十分くらいのところに交番があるのを確認し、車から荷物を取り出した。

「広い広ーい!」

三兄弟のうち二人はまだ幼いからかはしゃいでいる。コウタはそれに入っていないが。三兄弟の中でもそれが大きな差だった。

「コウタ君の精神年齢は大人だねぇ。」

「ふん。」

いやただ単にクールなだけでは。

「ほら、荷物入れるから手伝って。」

「はーい!!」

二人は元気のいい判事をすると車から荷物を取り出すべく走っていった。

「おい、ここは本当に安全なんだろうな?」

コウタは私にそう聞いてきた。

「そうだけど、どうして?」

「別に…あの二人が危害にあわないかそれだけだ。」

なんだ、二人を守りたかっただけなのか。そう思い知らされた私はコウタの頭をなで、もう一度ここなら大丈夫と言い聞かせた。彼は「それならいい」と一言残し車に戻っていった。そしてすべての荷物を運び終わり優香たちと別れると、近くのホームセンターで必要なものを買い、スーパーで夕食の買い物を済ませて家に帰った。

 夕食後、私は大事な話を伝えることにした。

「ねぇ、三人共。私ね、あと一年もしないうちに死ぬんだ。」

「えっ。」

「そういう病気でね。」

ヒロトとアキラは動揺していたがコウタは冷静に聞いていた。

「じゃあなんで俺たちを引き取ったんだよ。いくらなんでも無責任すぎるだろ。」

「うん、ごもっともだね。でもね、三人に私のすべてをささげたいって思ったんだ。」

これは私のエゴだ。まったくなんて自分勝手なんだろうと自分でも思ったがそれでも三人を守りたいと思ったのは事実だ。

「私は死ぬと星屑になって散る。その星屑は高く売れるからそのお金で今後も生活していけるし、君たちを大学まで行かせることもできる。」

「そんな……っ。」

「私が死んだあとは優香に任せてあるから安心して。」

「それならいいけどよ……」

するとヒロトがすっと立ち上がる。

「じゃあ、それまでいっぱい思い出作らなきゃ!」

「そうそう!新しい遊園地とか水族館とか行こうよ!」

「ふふ、そうだね。」

この子たちには私のエゴに付きあわせるお詫びにたくさんの思い出を作ってあげないと、と思っていた。しかしコウタは私たちが楽しく話している間こちらをじっと見つめ、まるで品定めをするかのような目をしていた。

 次の日曜日、浜浦駅の近くにできたというテーマパークにやってきていた。春川組の親父さんが気を利かせ護衛として獅子合をつかせてくれた。佐山さんが荷物持ちでもなんでもやらせてやってと言ってくれたので、ここはご好意に甘えることにした。

「三人共、よろしくな。」

「よろしく、兄ちゃん!」

ヒロトとアキラはすぐに打ち解けたようだ。だが問題はコウタのほうで……。

「コウタ、このお兄さんは大丈夫だよ。」

「……あぁ。」

コウタの警戒心は最大だろう。仕方ない。彼は獅子合のことをじっとにらみつけている。

「ほう、俺をにらみつけてくるとはな。なかなか肝の座ったガキじゃねぇか。」

獅子合はコウタの頭をわしゃっと撫でてやった。

「なでんなっ」

そう抵抗するコウタもかわいく見える。

「どこから行く?」

「俺ジェットコースターに乗りたい!」

ということでジェットコースターから順に乗っていくことにした。コウタは乗りたくないそうなので獅子合と共にいてもらい、私とヒロトとアキラで乗ることに。

「俺たちこれ乗ったことないんだよー!」

「そうなの?」

ジェットコースターは比較的すいていてすぐ乗ることができた。まぁ、平日のテーマパークなんてこんなもので。

「いってらっしゃい!」

ゆっくりと上昇していく。二人は平気そうな顔をしていた。

「お姉ちゃん手を上げて!」

「え?うん。」

ジェットコースターではこれが二人にとって定石らしい。まぁほかに人もいないし思いっきり手を上げてみる。そして一気に降下する。

「わぁーっ!!」

本当に楽しそうだ。連れてきてよかった。と心からそう思う。

 その後帰ってきた私は青い顔をしていた。

「死ぬかと思った……」

「どうやら玲子にも怖いものはあるらしい」とつぶやいた獅子合をにらみつける気力なんて残っていなかった。一方、ヒロトとアキラはコウタを連れてもう一度乗る気満々だ。

「今度は三人でいってこい。俺たちはここで待っているからよ。」

「はーい!!」

そう返事をすると三人はジェットコースターのほうへ行ってしまった。

「ねぇ、獅子合。」

「んー?」

「コウタとなに話していたの?」

「別に大した話はしてねぇよ。」

私は「ふーん」と、獅子合のことを見つめていた。なにも話していない……それにしては顔が赤い。

「何照れているのよ。」

「ばっ、俺が照れるわけねぇだろ!」

「にしては顔が赤いよ?」

獅子合はそっぽ向いて煙草をふかし始めた。

「……なぁ玲子。」

「なぁに?」

「お前はさ……その……俺のことどう思っているんだ。」

「危なっかしくてよく怪我してくるやつ。」

そう答えると獅子合はずっこけた。

「でもねー。かっこよくて強くて優しい人だなって思っているよ。」

そう言うと獅子合は照れくさそうにまたそっぽを向いた。

「また照れた。」

「だから照れてねーって!」

そんなことを話している間に三人が帰ってきた。

「玲子さん、大丈夫?」

「大丈夫。もう平気だよ。」

「あんたは何やってんだ?」

「なんでもねぇよ!」

獅子合は顔を真っ赤にしながらそう叫んだ。真っ赤になっていた理由は私にはさっぱりだった。

そしてまたほかのアトラクションにも乗るべく私たちは動き始めた。お化け屋敷やコーヒーカップ、メリーゴーランドを周り、最後に観覧車へ乗った。

「よかったね、買ってもらって。」

「うん!」

ヒロトとアキラとコウタの手には獅子合に買ってもらったぬいぐるみが大事そうに握られていた。外を見ると日はもう落ちそうで夕焼けがきれいに見える。

「きれいだね。」

「あぁ……」

獅子合と二人で見つめているとその様子をじっと見つめていたヒロトたちも夕焼けのほうを見る。しばらくして、ヒロトとアキラがこちらの顔を見てきた。

「なんだか玲子お姉さんがきれいに見える!」

「えーそう?」

「見えるって!な、獅子合お兄さん!」

「ん?あぁ、そうだな。」

獅子合もヒロトとアキラの言葉に同意した。私は照れくさそうにヒロトの頬をぐりぐりする。

「もーやめてよ、三人とも!」

コウタは獅子合の顔が赤く染まっていることに気が付いた。ほかの人なら夕焼けと間違えるほどほんのりとした赤色だ。

(あとでからかってやろう)

 後部座席では、三人がぐったりと体を預けるようにして眠っている。長い一日だったのだから、当然だろう。

「そういえば、こいつらの学校っていつからなんだ?」

運転席から獅子合がぼそりと尋ねた。

「予定では、明日からだね。」

「……本当に大丈夫なのか、養育費。」

信号で車を止めると、獅子合はちらりと助手席の私を見た。

「大丈夫! 私の星屑が高値で売れるってことは知ってるでしょ。」

優香が今まで私から集めた星屑を、日本だけでなく海外のバイヤーにも売っていた。それが想像以上の値をつけ、合計で一千万円ほどになったと聞いたときは驚いたものだ。

「それならいいが……」

獅子合はまだ納得しきれていない様子だったが、私は続けた。

「それに、私のお給料もあるしね。」

今まで優香の事務所で働いていた分の給料。ほとんど使わずに貯めていたおかげで、生活には十分な額がある。

獅子合は黙ったまま、ハンドルをぎゅっと握りしめる。

「いいか、お前の星屑は、この三人のためだけに使えよ。」

「ん? そのつもりだけど……どうして?」

「……お前の星屑の金が、汚いことに使われるのが嫌なんだよ。」

その言葉とともに、彼の顔が険しくなる。まるで鬼のような形相に、一瞬息が詰まった。

「う、うん……」

私は思わずたじろいだ。でも、それだけ私のことを思ってくれているのだと気づき、胸が少し温かくなった。

「りょうが。」

「あ?」

彼の名前を呼ぶと、ぶっきらぼうな声が返ってくる。私は躊躇なく彼の頬をつねった。

「そんな怖い顔しないでよ。」

「あ、あぁ……悪い。」

彼の顔つきは、昔よりずっと鋭くなった。極道になったせいだろうか。もう、昔のような優しい笑顔を見せてくれることはないのかな……。

「りょうが、これからの予定は?」

「あぁ……これから兄貴たちのところに戻って報告する予定だが。」

「そっか。じゃあ明日、この子たちを学校まで送っていってよ。初日だしさ。」

彼は一瞬考えたあと、ふっと微笑んだ。

「あぁ、わかった。」

その笑顔を見て、少しだけほっとした。

 次の日の朝、みんなで朝食を済ませた後、獅子合は三人を学校まで送り届けた。

「じゃあ、行ってくる!」

「いってらっしゃい、気をつけてね。」

玄関先で見送ると、三人は少し緊張した様子で学校へと向かっていった。獅子合の車が見えなくなるまで見送ってから、私はゆっくりと家の中に戻る。

彼らが帰ってくるまでに、やるべきことを片付けておかなければ。

布団を干して、食器を片付けて、掃除をして――やることは山ほどある。でも、それらを淡々とこなしていけば、余計なことを考えなくて済む。

「……よし」

気合を入れ直して、まずは食器を片付けようとキッチンへ向かう。だが、その瞬間。

――ズキンッ……

鋭い痛みが走り、胃の奥がひっくり返るような感覚がした。思わず口を押さえ、足元がふらつく。

(やば……)

次の瞬間、込み上げる吐き気に耐えきれず、私は洗面所へ駆け込んだ。

「っ……うっ……!」

込み上げるものをすべて吐き出す。洗面台の中に広がるのは、きらきらと光る星屑――いつものことだ。

しかし、今日は……

(……多い……)

吐き出した星屑の量が、今までよりも明らかに多い。手を震わせながらそれを見つめる。

――二十五歳の誕生日まで、あと九か月。

「……もう長くはないか……」

絞り出すようにそう呟いた。

私は、自分の運命を知っている。

星屑を吐くたびに、少しずつ命が削られていく。昔はこんなに頻繁じゃなかった。でも、ここ最近は回数も量も増えている。あとどれくらい持つのか……それは、もう考えるまでもない。

(死ぬ前に、やることは全部終わらせなきゃ……)

そう思いながら、洗面台の中の星屑を静かにかき集め、袋の中へ詰める。袋はもうすぐ満タンになりそうだ。そろそろ優香に頼んで売り払ってもらわないと。

その時、ポケットの中の携帯が震えた。

(春川組……)

画面に表示された発信者名を確認し、ため息をつく。こんな時間に電話をかけてくるなんて、きっと何かあったのだろう。覚悟を決め、通話ボタンを押す。

「はい、玲子です。」

「玲子か。」

低く落ち着いた声が耳に届く。春川組の首領、春川直也。

「どうしたんですか?」

「明日の予定は?」

「子供たちを見送った後は暇ですけど。」

「そりゃあちょうどいい。」

春川は一拍置き、重々しい口調で続けた。

「夏海組の首領、夏海文雄殿が病死した。」

「……そうですか。」

驚きはしなかった。夏海文雄はすでに八十代後半。いつ亡くなってもおかしくない年齢だった。だが、それでも一つの時代が終わったのだという感慨が胸をよぎる。

「それで、葬儀と次の首領を決める襲名式が行われる。優香と共に参加してくれないか。」

夏海組は歴史ある組織だ。首領が変わるということは、組の体制が大きく変わる可能性がある。その場に呼ばれるということは、私たちにも関わる話が出てくるということだろう。

「……わかりました。参加します。」

「頼んだぞ。明日の十一時からだ。」

「了解しました。」

通話が切れた後、私は静かに携帯を置いた。

(夏海組の次の首領……誰になるんだろう。)

新しい首領がどんな人物かによって、これからの情勢は大きく変わる。私は、ふと吐き気の余韻が残る胃を押さえながら、遠くを見つめた。

私が夏海組の葬儀に参加する理由は単純だ。夏海組と雨宮家には深いつながりがある。そして、実のところ、この都市に存在するすべての極道と雨宮家は密接な関係を持っている。

この都市は、四つの街から構成されている。それぞれ異なる特色を持ち、独自の文化と歴史を育んできた。

◉ 凪街(なぎまち)

この街は職人街として知られ、刀鍛冶や武具職人が多く住む地域だ。古い建物が立ち並び、戦後の面影を色濃く残している。かつては無法者がはびこる荒れた街だったが、雨宮家の手を借りて春川組が結成され、治安が改善された。現在は春川組が夜の巡回を行い、道場を運営することで街の秩序を守っている。

統括する組:春川組(武闘派、剣術に長けた者が多い)

組織の特徴:地元の道場と連携し、自警団を育成。都市の防衛を担う剣士集団

主な施設:春川道場、雨宮邸、春川組の本拠地

◉ 燐街(りんまち)

京都のような町並みが広がる風情ある街。歴史ある神社仏閣が点在し、古い茶屋や料亭が軒を連ねている。伝統を重んじる夏海組がこの街を統括し、厳格な秩序を保っている。夏海流と呼ばれる独自の体術を持つ者も多く、戦闘力では春川組に次ぐ強さを誇る。

統括する組:夏海組(武闘派、剣術と体術の両方を駆使する)

組織の特徴:地元の名士や神社関係者と密接に関わり、影の権力争いを制している

主な施設:夏海神社、燐街闘技場

◉ 阿奈街(あなまち)

この街は近未来的なエリアと古い工業地帯が混在する異質な空間だ。表向きはIT企業や研究施設が集まる先進的な地区だが、裏では極道が暗躍する危険な地域でもある。ここを統括するのは頭脳派の秋葉組。ハッキング、諜報、スパイ活動に長け、情報戦を得意とする。

統括する組:秋葉組(情報戦・ハッキング・スパイ活動に特化)

組織の特徴:都市全体の監視を担い、警察以上の情報収集能力を持つ

主な施設:阿奈タワー(秋葉組の本拠地)、ナイトマーケット(闇市場)

◉ 香里街(こうりまち)

繁華街が広がる華やかなエリア。歓楽街としても有名で、キャバクラ、クラブ、劇場などが立ち並び、多くの観光客が訪れる。表向きは賑やかな街だが、裏では常に派閥争いや敵対勢力の暗躍がある。この街を守るのは冬木組。彼らは春川組や夏海組に次ぐ武闘派で、組織内には個性派の猛者が揃っている。

統括する組:冬木組(武闘派、戦闘スタイルが読めない者が多い)

組織の特徴:歓楽街の管理を行い、風俗店やクラブを巡回し無法者を排除

主な施設:香里劇場、地下闘技場


この都市は警察の存在だけでは秩序を維持できない。特に夜の世界はあまりにも混沌としており、警察の力では手に負えない領域が広がっている。そこで、各組は「守代」と呼ばれる資金を夜の店から受け取り、街の巡回を行うことで安全を確保している。

各組の主な構成は以下の通りだ:

首領(組のトップ)

若頭(首領の右腕、組の実質的な指揮官)

幹部(組の中核メンバー)

舎弟頭(舎弟たちをまとめる役)

鉄砲玉(命令を受け、戦闘や暗殺を遂行する者)

この都市の秩序を守るため、かつて敵対していた組同士も一つにまとまり、共存する道を選んだ。それを実現させたのが、先代の雨宮家当主だ。彼は各組の首領たちを説得し、一つの都市として協力し合う体制を築いた。まるで薩長同盟のような歴史的和解を成し遂げたのだ。だからこそ、私は夏海文雄殿の葬儀に参列しなければならない。雨宮家の一員として、この都市を支える者の責務として。

私は、帰ってきた三人に葬儀に参加することを伝え、翌日、速水に彼らのことを任せて優香とともに夏海組の屋敷へと向かった。

「優香。」

「よ、玲子。あの三人は?」

「速水が見てくれている。安心して。」

屋敷の門をくぐると、静寂と重苦しい空気が漂っていた。夏海組の組員たちは皆、黒の礼服をまとい、深い悲しみに包まれていた。文雄殿の死を悼む人々の中で、真っ先に私たちに気付いたのは、夏海組のカシラである間宮伊蔵さんだった。彼は厚い人望を誇る人物であり、文雄殿の信頼も厚かった。

「おぉ……あなたは雨宮優香……! そして、妹の玲子も……!」

その声に周囲の視線が私たちに集まる。私は一歩前に進み、深く頭を下げた。

「このたびは、ご愁傷さまです。」

「来てくれてありがとうな……親父も、最後はきっとあんたたちに会いたいと思っているだろうよ。」

私は棺に歩み寄り、静かに手を合わせた。文雄殿は、生前、父に厳しく稽古をつけてもらっているときによく私たちの家を訪れていた。私たち姉妹に優しく、おまんじゅうやせんべいを分けてくれた……あの温かな笑顔を思い出す。

棺の中の文雄殿は、まるで眠っているかのように穏やかな表情をしていた。

「焼香の後、襲名式だ。まずは、親父を見送ってやろう。」

「……そうだね。」

焼香を終え、いよいよ襲名式が執り行われる。

「間宮伊蔵殿、当代、襲名の儀を……」

文雄殿の遺書が読み上げられた。次の首領には、伊蔵さんを指名すると明記されていた。夏海組の組員たちは静かにそれを受け入れ、緊張感が場を包む。

そして、伊蔵さんが正式に夏海組の首領として立つその瞬間——

チャキッ——

冷たい金属音が響いた。

「危ないっ!」

私は反射的に伊蔵さんに覆いかぶさった。その直後——

パンッ——!

銃声が鳴り響き、鋭い衝撃が背中を貫いた。

「っ……!」

「玲子!?」

痛みが一気に広がり、視界が一瞬白くなる。振り返ると、舎弟の中に紛れ込んでいた何者かが拳銃を握っていた。標的は間違いなく伊蔵さんだった。

「捕まえて!」

私の声が響くと、周囲の舎弟たちが一斉に動いた。その刺客は逃げようとしたが、すぐに捕えられる。そして、次の瞬間——

「——ッ!」

ナイフが閃き、暗殺者の胸に突き刺さった。

「いや、何も殺さなくても……!」

私は思わず言葉を漏らす。しかし、それがこの世界の掟なのだと分かっていた。

「玲子、大丈夫か!?」

優香が駆け寄る。私は浅く息をつきながら背中を押さえた。

「大丈夫。背中をかすっただけ……」

だが、指先に触れた血に違和感を覚えた。微かに光る、星屑のような粒子が血に混ざっていた。

(……またか)

「いったぁ……っ」

傷は浅いはずなのに、なぜか痛みが強い。

「誰か! 医者に運べ!」

すぐに組員たちが動き、私は美紀のいるクリニックへと運ばれた。

この日、私は一日検査入院することになった——。

 病室の窓から空を見上げていると、突然、ドアが勢いよく開いた。

「玲子! 大丈夫か!?」

真っ先に飛び込んできたのは獅子合だった。彼の後ろから、子供たちも一斉に駆け寄る。

「お姉さん!」

「玲子さん!」

心配そうな顔が一斉に向けられる。私は軽く笑って、できるだけ安心させるように言った。

「大丈夫だよ、心配してくれてありがとう。」

彼らは安堵の表情を浮かべたが、獅子合だけは眉間に深い皺を寄せたままだった。

「まったく……無茶しやがって……!」

低く、抑えた声。獅子合の拳は強く握りしめられていた。

「ごめんごめん。」

軽く謝ると、さらに不機嫌な顔になった。

「優香さん、彼女の血は!?」

獅子合が鋭く問いかける。その視線が一瞬、優香へと向けられた。

「血に混ざって流れ出た星屑は全部回収してきたよ。もう残っていないはずだ。」

優香は淡々と答えた。

星散病のおかげで、私の傷の治りは普通の人より早い。しかし、血に混ざって流れ出た星屑は厄介だった。星屑は売れる。 吐いたものより少額ではあるが、それでも高値がつく。

「そんな神経質にならなくても大丈夫だよ。」

私は軽く言ったが——

「馬鹿! 言ったはずだ! 汚いことに使われるのは嫌だって!」

獅子合が叫んだ。病室中に響くほどの大声だった。

「っ……!」

驚いたのは私だけじゃない。

子供たちがビクッと肩をすくめ、怯えたようにこちらを見つめる。

しまった——。私はすぐに表情を和らげて、子供たちの方へ手を伸ばした。

「大丈夫? 怖くない?」

子供たちは少し戸惑った様子だったが、やがて、そっと私の手を握った。

「痛くない?」

「うん、大丈夫。安心して。」

私がそう言うと、子供たちはほっとした表情を浮かべる。

(獅子合、ちょっと冷静になって……)

そう思いながら、私は速水に目配せをした。

「速水、子供たちを別室に。優香もついていて。」

「了解っす。」

速水はすぐに子供たちを連れて病室を出ていく。優香も無言でそれに続いた。

病室には私と獅子合の二人だけが残る。

私は静かに、彼へと向き直った——。

「……伊蔵さんは?」

「お前のおかげで無事だよ。それで、子供たちを別室に移動させたのは訳があるんだろう?」

獅子合がじっと私を見つめる。その眼差しが真剣だ。

「……まぁね。」

私の気持ちが整理できていない。今すぐにでもこの事件の詳細を聞かなければならない。

「実行犯は夏海組の舎弟の一人だ。だが、そいつの家からこんなものが出てきた。」

獅子合が手に持っていた書類や写真をベッドのテーブルに置く。その中には、久利組の関連書類が写されていた。

「久利組?」

思わずその名前を口にしてしまう。久利組——隣県の非常に大きな組織だ。

「隣県の組だ。夏海組の舎弟が寝返ったんだよ。」

「そんな……! 久利組って隣県じゃとても大きな組織よね!?確か危ない薬とかも出回っているって!」

そのとき、私はすぐに連想した。先週捕まえたという不審者たちも、久利組の配下だということだ。どうして、そんなところがこの都市に手を出してくるのだろうか。

「近々あるかもな。抗争が。」

「そんな……っ!」

私の胸が痛む。抗争が起きれば、一般市民に危害が及ぶ可能性もある。非常に危険だ。ましてや、私にとって大切な子供たちがいる——

「当分は、春川組の人たちは家に来ないほうがいいかもしれないね……」

思わず言葉が漏れる。

「そうだな……玲子も子供たちを守ることを優先しろよ、いいな?」

獅子合の言葉に、私は強く頷いた。

「……わかった。気を付けて。」

それだけ言って、獅子合は部屋を出ていった。扉が閉まると、次に入ってきたのは子供たちだ。

「何の話していたんだ?」

コウタが心配そうに私を見つめる。その目には、いくつかの疑問と共に、私を守りたいという気持ちがこもっている。

「大人の話。気にしなくていいよ。」

私は少し笑顔を作って答える。だが、コウタの目には見抜かれている気がした。きっと、いろいろ察しているのだろう。

子供たちの笑顔が私を安心させてくれる。だが、安心している暇はない。今すぐにでも行動を起こさなければ。

しばらく子供たちを送り迎えすることにした。こうすることで、私も子供たちも少しでも安心できるだろう。

(とにかく、今は子供たちを守らなければ。)

その決意が胸に刻まれる。

 帰ってから何か月かは平和な日々が続いた。ヒロトとアキラとコウタは死期が迫る私に気を使ってくれた。死ぬまでに何がしたいか聞いてきたり、ヒロトやアキラが大きな花束をくれたり、コウタがいつもより食事の支度を手伝ってくれたりと。そんな日々が続いていたある日、また星屑を吐いた私をコウタがじっと見つめていた。

「ごめん、心配かけて。」

作り笑いを浮かべようとしたが、顔色まで隠せないことに気づき、胸が痛んだ。コウタがじっと見つめる目は冷たいようでいて、どこか優しさがにじんでいた。

「……なんだよ、それ。」

腕を組んだまま、少し不満そうに言うコウタの口調に、私は思わず息を呑んだ。

「こんなところで笑顔作ったって意味ないだろ。」

「でも、コウタ。」

「俺たちだって、お前の本当の笑顔を見たいんだよ。」

その言葉に、私は胸がいっぱいになった。コウタの不器用な言い方が、逆に心に響いてきた。

「ありがとう……少しだけ、頑張ってみる。」

「別に頑張らなくてもいい。無理する必要なんてないからな。」

コウタはそっけない様子で言ったが、その目にはいつもとは違う優しさが込められているのがわかった。

 それから八カ月が過ぎた。いつものように子供たちと共に学校から帰り、その足で食材の買い物を済ませる。今日は子供たちのクラブ活動があり少し遅くなった。もう宙は茜色に染まっていた。

「早く帰ろうか。」

「賛成!」

「急ごう!」

この日は私も少し油断していたのかもしれない。子供たちと曲がり角を曲がろうとした次の瞬間。

キキーッ!

左からまっすぐ車が突っ込んできた。

「うわあっ!」

「大丈夫!?」

幸いコウタが尻もちをついて、手がかすり傷を負ったくらいだ。だが問題は突っ込んできた車のほうで。

「奇病持ちだ!連れていけ!」

コウタの手に赤い結晶が出ていることで奇病持ちだとバレてしまった。しかし、狂獣病はたいして金にもならないし、狙われにくい奇病のはずなのに、なぜ誘拐しようとするのか。相手は二人。この曲がり角を曲がればすぐ家だ。家に入ればセキュリティシステムが作動して奴らは入ってこられない。

「皆、今すぐ走って!」

「うわあああっ!」

子供たちは叫びながら家まで必死に走った。すぐ近くが家で本当に助かった。三人を家に入れ、すぐにセキュリティシステムを作動させる。

「お姉さんも早く!」

私も家に入ろうとした瞬間、銃で肩を撃たれた。

「っ!」

「残念、奇病の子はセキュリティシステムの中ですか。」

「あんたは……!」

糸目の男がにやりと笑い、片手に拳銃を持っている。奴が私を撃ったのだ。

「須藤幸喜!」

「ご明察。久しぶりですね、玲子。」

「あなたなら私が二十五まで死ねないことは知っているでしょう?」

「えぇ。もちろん知っていますよ。ですが、無力化させることはできると思いましてねぇ。」

彼がぱちんと指をはじくと周りから一斉に敵が現れ、あっという間に囲まれる。

「あなたに敵に回られて一緒に戦われちゃ厄介なのでね。ここで捉えさせてもらいますよ。」

「……っ!」

本当にまずい。後ろが壁だから全方位を囲まれたわけではないが、このままでは助けを呼べない。だが、この壁が私の家の壁でなければ絶体絶命というわけではない。私は壁をよじ登り、家の敷地に飛び込んだ。すると警報音が鳴り響く。

「なるほど、さすが玲子ですね。」

「家のセキュリティシステムを把握していない家主がどこにいまして!?」

この警報音で警察はすぐに来る。奴らは逃げるしかないというわけだ。

「仕方ない、引きあげますよ。」

奴等は車で退散していった。家の中では警報システムが鳴り響いている。その音で住宅街に住む人たちが顔を出し、警察も到着した。

「お姉さん、大丈夫!?」

「え、えぇ、大丈夫。すぐに警察が来るからね。」

 そして警察の事情聴取が終わると、私たちは優香の車で凪街にある事務所へ向かった。

「怪我はないかい?」

「大丈夫。この子もかすり傷程度。」

そのとき、事務所の扉が思いっきり開き、獅子合が入ってきた。

「お前たち、大丈夫か!?」

「獅子合お兄さん!」

獅子合は私たちに怪我がないことを確かめると、ほっと胸をなでおろした。

「それで、なにがあった?」

「秋葉組にいた須藤幸喜が私たちを誘拐しようとしたの。家が近くて助かったけど…」

「須藤幸喜だって!?」

獅子合は驚いてすぐにどこかに電話をかけた。

「もしもし、カシラですか!? 秋葉組のカシラの右腕が裏切りました!」

どうやら春川組のカシラに電話しているようだ。この事実が、この都市にいる極道たちに衝撃を与えることになるだろうと、私はぼんやり思いつつ、お茶を飲んだ。

「これでよし……しかし……まさかあいつが裏切るとは…」

獅子合も驚きのあまり、顔が青くなっていた。

「で、そっちはこれからどうするのよ。」

「……雨宮家に手を出したんだ……近々、冬木組にも何かしら動きがあるだろう……」

久利組がある場所は、冬木組の縄張りに近い香里街だ。何か動きがあれば、まず冬木組が動くはずだ。一気に凪街にまで来ることはないだろうが、それでも気をつけなければならない。

「久利組のやつらは八カ月前からマークしている。お前たちはしばらくこの事務所で過ごすんだ。」

「獅子合、私も戦う。」

「馬鹿! 下手したら戦争になるかもしれないんだぞ!」

「相手は少なくともそれをご所望よ。」

雨宮家に手を出し、わざわざ戦いを挑んでいる時点で、奴らは戦争を望んでいる。それなら、私はその望みを叶えてやる。

「久利組がどういう組織なのかは知らないけれど、うちのシマに手を出した時点で容赦はできない。安心して。私は二十五の誕生日まで死ぬことはないから。」

獅子合は私の言葉に反応し、一瞬言葉を失う。それでも、彼は口を開く。

「お前はいつもそうだ。そうやって危険を顧みず飛び込んで……」

「ごめんね、でも、これが私のやりたいことだからさ。」

獅子合は大きなため息をつき、佐山さんに電話をかけた。電話中も獅子合はずっと考えていただろう。

「佐山の兄貴と相談した。兄貴は必ず奴を討つようにと言っていた。」

「えぇ、命に代えても。」

獅子合はてきぱきとLUNEで弟分たちに命令を送る。

「誕生日の前日までに奴の居場所を抑えさせる。いつ討ちに行くかはお前が決めていい。」

「了解。」

「だが、決して無理はするな。」

私は微笑んで言った。

「善処するよ。」

 最後の日まで子供たちは学校を休み、私と優香、子供たちでいろいろな場所を巡った。水族館や遊園地、公園、動物園など……子供たちは楽しそうに遊び、私もその笑顔につられて笑顔になる。

誕生日の前日、深夜。獅子合からの電話が鳴った。須藤が香里街西通りにあるビルに滞在しているという情報が伝えられた。

「午後九時、それがいつも奴の外出時間だ。」

その電話の後、私は静かに立ち上がり、撮りためた写真の束を取り出した。手を動かし、ひとつひとつ丁寧にアルバムにしまっていく。小さなひとことを添えながら。

「ふふ…懐かしいな。」

昔の思い出が、写真の中で微笑みかけてくる。そのたびに、胸が痛んだ。涙が頬を伝う。忘れたくても、忘れられないものがここにあった。そのとき、扉の外から小さな足音が聞こえてきた。

「玲子お姉さん。」

「ん?どうしたの、みんな?」

子供たちが、私を心配そうに見つめていた。扉を少し開け、彼らの目が私の中の不安をすべて読み取っているようだった。

「本当に明日死んじゃうの?」

その一言に、私の心が押しつぶされそうになる。言葉にするのも辛い、でも、これは避けられないこと。

「うん。」

アキラは何も言わず、ただ顔を背けて涙をこぼし始めた。ヒロトも静かに肩を震わせている。コウタは黙ってその場に立ち尽くしていた。みんな、まだ信じたくないのだろう。私がもうすぐいなくなることを。

「そんな…そんなの嫌だよぉ…!」

アキラが声をあげて泣きじゃくる。私の心臓が痛む。彼の涙が、私をどれだけ苦しめるか分かっている。ヒロトもコウタも、何も言わずただ涙を流し続けている。これが、私の最後の日々だ。

「皆、泣かないで。」

私は静かに、しかし力強く言った。

「どうしてお姉さんが死ななきゃいけないの…!こんなに元気なのに…!」

その言葉に、私は自分を責めずにはいられなかった。確かに見た目は元気そうに見えるかもしれない。でも、内臓が星屑で傷つき、体のあちこちが痛む。どんなに無理しても、もう元気ではいられないことを、子供たちに隠し続けることはできなかった。

星屑の量が明らかに増えている。喉を傷つけ、体も重く感じる。こんなに元気じゃないことを、どうしても伝えたくなかった。でも、子供たちに嘘をつくわけにはいかなかった。

「最後に私の願いを聞いてもらってもいい?

「うん…!」

彼らは必死にうなずく。その目には、私を信じて疑わない、純粋な信頼があった。

私は立ち上がり、ゆっくりと彼らを抱きしめる。暖かい体温が、私に力を与えてくれる。もう一度、彼らの顔を見てから、ゆっくりと口を開いた。

「あなたたちも、自分の人生を悔いのないように生きて。なにをしてもいい。そのためのお金は、ちゃんと残すから。だから、好きなことをして、やりたいことをして。どんなに小さなことでも、やりなさい。いいわね?」

子供たちは大きくうなずき、また涙をこぼした。それでも、少しだけ表情が柔らかくなった気がした。

私のお願いが、彼らにとって少しでも希望になればと願いながら、私はその場に立ち尽くす。

「必ず、悔いなく生きなさい。…いつでも、あなたたちのことを愛しているから。」

それを言い終えると、私の胸は少しだけ軽くなったような気がした。痛みも、悲しみも、すべてが一つの覚悟に変わる瞬間だった。

私の最後の願い。子供たちに幸せな未来を託すこと。それだけが、今、私にできる唯一のことだった。

 朝から私は獅子合のもとへ向かった。最後のドライブをしようと思ったからだ。この生まれ育った凪街を、最後に目に焼き付けたかった。

「ふふ、あそこの公園懐かしいね。よくあそこで待ち合わせていたっけ。」

「……おう。」

そう言いながら、獅子合はハンドルを握りしめたまま、無言で車を走らせる。目の下にはクマができていて、もう何日も寝ていないことがわかる。彼にとっても、私の時間が迫っていることがつらくて、眠れない夜を過ごしているのだろう。

「大丈夫?」

「……あぁ。」

返事だけが返ってきた。獅子合はもう、言葉でのやり取りよりも、ただ私と一緒に過ごすことを望んでいるように見えた。私は窓の外を見ながら、懐かしい景色が流れるのをただ見ていた。

車は峠の途中に差し掛かり、二人で車を降りた。風が冷たく、けれど清々しい。静かな空気が二人を包み込む。

「ねぇ、獅子合。最後に何か伝えたいことない?」

峠の頂上に立つ私を、獅子合は煙草をふかしながら見つめている。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。彼が私を見つめる瞳は、言葉にできない思いがこもっているようで、私の胸が痛む。

獅子合は煙草の火を消し、ゆっくりとこちらに歩み寄る。そして、何も言わずに私を強く抱きしめてきた。

「まったく……こっちの気も知らねぇで……」

その声が震えているのを感じ、私は肩をすくめて笑う。

「へへ、ごめん。」

しばらく、二人の間に言葉はなかった。けれど、獅子合はやがてゆっくりと口を開いた。

「好きだ。今までも、これからも。お前がいなくなっても、お前のことを考え続ける。」

その言葉に、胸がいっぱいになった。私がいなくなった後も、獅子合が私を思い続けてくれる。それだけで、今までのすべてが報われる気がした。

「……ありがとう、りょうが。」

その名前を呼んだとき、彼は少しだけ震えたように感じた。私も彼を力いっぱい抱きしめ返した。もう、言葉が出てこなかった。ただ、心の中で彼への感謝と愛情が溢れ、私たちの間に静かな誓いのようなものが生まれた。

しばらくそのまま、二人で立っていた。風が吹き抜け、何も言わずに時が過ぎていく。もう、言葉は必要なかった。私たちは、お互いの存在をただ感じていた。

そして、私は静かに息を呑んだ。この瞬間を、永遠に刻んでおきたかった。この人と過ごす最後の時間を、大切にしなければならない。心の中で決意しながら、私は獅子合を抱きしめた。

 午後九時。須藤が時間通りにビルから出てきた。

「須藤。」

その声に、須藤はゆっくりと振り返った。

「……おや、これはこれは。雨宮家の玲子じゃないですか。」

冷たい笑みを浮かべる彼に、私は何も答えず、ただ視線を鋭く向けた。

「……よくも私たちを襲い、このシマを荒らしたわね。」

「それが親父の指示なんでねぇ。」

須藤は、まるで無意味なことを言うかのように肩をすくめた。だが、私の心には怒りが満ちている。これ以上、こんな奴に許しを与えるつもりはなかった。

「最後に聞くことだけ聞いておこう。」

「……なんだ?」

「このシマを荒らしたのはなぜ?」

須藤はしばらく黙っていたが、やがて低い声で答えた。

「全部、雨宮家前当主のせいですよ。久利組は雨宮家がこの都市の極道をまとめ上げた時に反対した者の集まりでね。雨宮家があの時現れなければ、彼らはまだこのシマに居続けられていたんだ。」

なるほど、そういうことか。彼らは、ただの反逆者ではなく、もっと深い理由があった。だが、それがどうした。私には関係ない。

「なるほど。でも、獅子合が調べたら、あなたたち、守ることを優先せず、お金儲けを優先して動いていたわよね?」

須藤は一瞬、顔色を変えた。だがすぐに冷徹な笑みを浮かべる。

「僕はそんな彼らをまとめ上げた。彼らを守るためにね。だから君と戦うよ、雨宮玲子。」

その言葉に、私は無表情で頷いた。

「私も、子供たちを、このシマを守るために最後まで戦うわ。」

言葉を交わすことなく、私たちは同時に剣を向け合い、激しく斬りかかった。

刀と刀が激しくぶつかり合う音が響く。その刃は火花を散らし、鋭い音を立てて交錯する。

「そういえば君も剣は得意だったね!」

須藤はその言葉を吐きながらも、手元から拳銃を取り出し、私に向けて発砲した。

サイレンサー付きのため、周囲には音が伝わらない。だが、私は反射的に剣でそれを防ぐ。弾丸が刀に当たる音が響く。

「くっ……。」

もう、体が思うように動かない。昔のように、弾を避けることなんてできない。だが、それでも私は剣を振るい続ける。防ぎ、斬り、また防ぎ、そして斬る。息も絶え絶え、体力も底をついていた。

そして、最後にお互い、剣を振りかぶり、全力で斬りかかる。

その刃が交わり、私はついに須藤の体を貫いた。

「すごいな……君、もう体の中が星屑でいっぱいで、思うように動けないはずだろうに……っ」

須藤は、口から血を流しながら、痛みに歪んだ顔を見せる。

「……っ、まさか……」

そして、彼は力なく膝をついて倒れた。私もその場に立ち尽くし、彼の死を見守る。

「……お前が、最後まで…戦ったのは…無駄じゃなかった。」

その言葉が、彼の最後のものだった。

須藤は絶命した。彼の体が完全に力を失い、静かに地面に倒れ込む。私もその場に膝をつき、呼吸を整える。

星屑が体内で静かに崩れていく音が、耳の奥で響いていた。だが、私は無駄に悲しむことなく、ただその死を受け入れた。彼もまた、戦いの中で生き、死んでいったのだ。私も、同じように戦ってきた。

そして、私はその場に倒れ、星屑を大量に吐き出した。体が重く、すぐに動けなくなった。吐き出す度に、喉が痛み、心臓が締め付けられるような感覚が走った。だが、それでも私は笑顔を浮かべようとした。

「玲子!」

獅子合の叫び声が私の耳に届く。振り返ると、彼が急いで駆け寄り、私を抱きかかえた。

「獅子合……私……勝ったよ……」

息も絶え絶えに、私はそう言った。だが、獅子合は私を抱きかかえながら、冷静さを失わずに叫んだ。

「いいからしゃべるな!すぐに美紀さんを呼ぶ!」

私の手が獅子合の携帯に伸びたが、すぐにそれを取り上げて、かすれた声で告げた。

「最後くらい……二人でいさせてよ……馬鹿……」

獅子合は絶望的な表情で私を見つめ、必死に反論した。

「奇跡が起きるかもしれないだろう!?」

だが、私はそれを否定するかのように静かに笑った。

「奇跡なんて起きない……そんなこと獅子合だってわかっているくせに……」

彼の顔が歪む。私の言葉を認めたくないのだろう。だが、私はその時、もう覚悟を決めていた。

「ねぇ獅子合……私……あの時返事していなかったね……」

私はその言葉に少しの苦しみを込めて、彼の肩を抱き寄せ、耳元に口を近づけた。

「私もね……好きだよ……子供たちも好きだけど……獅子合と一緒に……家庭を築きたいって思えるほどに……」

「……!」

獅子合の目が大きく見開かれ、驚きと深い感情が交錯するのを感じた。

「愛しています……ずっと……どうか……幸せになって……」

その言葉を最後に、私の体は言葉を発することなく静かに動かなくなった。

意識が遠のき、体が次第に軽くなっていく感覚があった。きっと、星屑が私の体の中で静かに爆発し、広がっていったのだろう。私はもう何も恐れずに、ただその瞬間を受け入れた。

獅子合は私の名を叫び続けていた。

「玲子!玲子!!」

その叫びが、私の意識の中に響く。だが、それはだんだん遠くなり、最後には静寂が訪れた。

午前零時。私の体は星となって、その場で弾け飛んだ。

街の灯りが静かに瞬く中、獅子合の泣き声だけが響いていた。それは、まるで時が止まったかのように、街中に広がっていった。

 二十年の時が過ぎ、ついに星散病の特効薬が開発された。かつて、二十五歳を迎えることができなかった多くの人々が、今ではその壁を越えて生き続けられるようになった。この偉業を成し遂げたのは、雨宮ヒロトだった。彼の尽力と革新により、もはや死を前にした病とは無縁の未来が広がりつつあった。

アキラとコウタもまた、その道を歩んでいた。子供のころ、絶望の中で奇病と戦った彼らは、今では命を救う側に立ち、患者たちに希望を与え続けている。あの時の無力感を知っているからこそ、今度はその反対側に立って、誰もが恐れていた病を根絶すべく尽力していた。病床に横たわる患者たちにとって、彼らの存在はまさに光そのものだった。

その一方で、かつて凪街を恐怖に陥れていた久利組はついに崩壊した。暴力と陰謀の中で生きた悪名高い首領は討たれ、長年続いた血と闇の連鎖は断ち切られた。街に平和が戻り、かつての恐ろしい風景は遠い記憶となり、静かな日常が広がっていった。笑顔があふれ、かつて失われたものが少しずつでも取り戻されていく様子は、まるで新しい命が芽吹いたかのようだった。

静かな墓地の一角。夜風が吹き、心地よく髪を揺らす中、一人の男が佇んでいた。その顔にはかつての強さや優しさがにじんでいるが、その目には長い年月を経て、静かに深い悲しみが刻まれていた。

「終わったよ……玲子」

その言葉は、ただの告白ではなかった。彼の中で、あらゆる感情が交錯していた。彼はゆっくりと手を合わせると、懐から小さな星を取り出し、それを玲子の墓石の上にそっと置いた。

「今でも、君がいなくなったことが信じられないよ。」

彼は静かに呟く。だが、その言葉には過去の痛みや後悔の色はなく、代わりに今の自分がどれだけ玲子との時間を大切にしていたかが込められていた。

夜空には、無数の星が輝いている。

かつて誰かが言った。星は命の輝きだと。

その星々の光を見上げる獅子合は、玲子が今でも彼を見守っているような気がした。玲子が命を懸けて守ったこの街、その未来が、今ここに広がりつつあるのだ。彼は静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

おしまい


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