昨晩、確かに俺は家に帰ってきて、そうして部屋のベッドで寝たはずだ。
そのはずなのだが……どうしたことか。目の前にある光景は実に信じられないものだった。
誰もいない部屋。しかしそこは俺の部屋ではない。
どこか荘厳さを感じさせる石造りの部屋だ。寝具もないので俺は冷たい石床の上で目を覚ましたわけだ。
部屋には扉が1つ。正面の壁のど真ん中に豪華な両開きの扉がある。その扉の前には何やら祭壇のようなものがあり、扉の周囲を煌びやかに飾り付けてある。足許を見ると俺のいる床には何やら円形の模様があった。
見た感じここは教会のような……しかしこの模様、教会にあるものか……?あるとしてもこれはまるで何かを召喚するもののような見た目だ。
「ま……まさか、俺が召喚されたとか……?」
つい零れた言葉が薄暗い室内に反響する。しかしそれに返事をする者もいなければただその音は冷たい石壁に吸い込まれ消えていった。
……とりあえず、部屋を出てみよう。
そう思い立ち足を踏み出す。
だが、それを許さなかったのは俺の足許のこの模様だった。
「は……っ?」
この円形の範囲内から出ることができない。
まるで壁があるかのようにそこから先に身体が進まないのだ。手を伸ばしても円の範囲内でぴたりと止まる。手応えもなく、ただ身体が止まるのだ。その不可思議さと閉じ込められている状況とに恐怖を覚えた俺はとにかく大声を出していた。
「おいっ! 誰か! 誰かいないか! 助けてくれ! 出られないんだっ!」
やはり室内に反響するのみだったが。
ひとまずどうしたものか。恐怖と焦りに支配された俺は冷静でいられなかった。手当り次第に色々と試してみた。
ジャンプして飛び越えようとしても空中で止まり真下に落下する。前転しても途中で止まる。床を傷つけようとしても一切傷はつかない。
どうなっている……。
やがて俺は抵抗することを考えなくなった。
「もういいよ……なんだってんだよ……」
円の中で大の字になり天井を仰ぐ。
無力な俺にできることなど何も無くただ諦めることしかできなかった。
夢であれば目覚めた時にはいつもの部屋になっているのだと信じ目を閉じた。
「おーーっう!ちこくちこく~っ!」
大きな音と情けない声とともに扉が開け放たれ何者かが部屋の中に入ってきた。
眠っていた俺もこの音を聞いてすぐに目が覚めた。
やっと誰かが現れたのだ……!
「誰だ!? なぁ、助けてくれ! ここから動けないんだ!」
姿は見えていないがとにかく縋るように声をかける。
「んぇ……なに、ねてたの。なぁんだ。じゃあいそぐこともなかったのかぁ」
返ってきた返事はあまりに腑抜けていて切羽詰まった状況との乖離が俺を混乱させた。
「はぁ!? 何言ってんだよ! 俺は別に好きで寝てたわけじゃねぇ!」
カッとなり怒鳴りながら扉の方を見るが、やはりその声のする方向には誰もいない。
「ひぐ……な、なにこのひと……」
しかし依然として声だけは聞こえる。
「おい、どこにいる……?」
「こ……こわいひと……?」
怯えるような声でこちらの様子を伺っているようだ。祭壇の後ろに隠れているに違いない。だがここで逃げられては俺も帰ることができない。
「ち……違うよぉ~怖くないよぉ~。ほら、出ておいで?」
俺は最大限優しく声をかけた。
「うわきも、かえろ」
げんなりとした声が返ってきて扉が少し開かれる。
「おい待てェ!」
「きゃーっ!」
俺が大声を出すと声の主が跳ね上がったらしく祭壇の向こう側に頭がちらりと見えた。
よく見ると金色のアホ毛がぷんぷんと隠れきれずに揺れている。
「お、おい!そこにいるのか!」
「い……いないよぉ……」
完全に怯えられている。なんとかしてこいつを引き止めないと……!
「なぁ頼む。ここはどこだ?俺は一体どうなるんだ?説明してくれ。お願いだ」
しばらく返事は返ってこなかったが、恐る恐るといった感じで祭壇の陰から手が出てきた。
「ちら……」
呟きながらそいつが顔を出す。
それはアホ毛同様の淡い色の金髪を背中まで伸ばした幼い少女だった。
「子どもか……おい、誰か他にいないのか?」
「む……こどもっていうな」
俺の質問に答えずに頬を膨らませる。
あぁ、この子ども特有のやつな。今の状況じゃ面倒なだけだ……。
「はいはいわかった。で、誰かいないのか?」
「わかってなぁいぃ!」
俺の返事が気に食わなかったのか再び質問を無視して癇癪を起こす。
「だぁぁあっ! うるせぇ! とりあえず説明しろ説明っ!!」
質問に答えてもらえないと話が進まないのでまたついカッとなってしまった。
「ひぐぅ……」
やはりというかまたこいつは怯えて素早く祭壇に隠れてしまった。
「おい……勘弁してくれ。俺は一体何に巻き込まれている? 理解できなきゃイライラするだけだぞ……」
正直もう限界が近かった。
訳の分からない状況にめんどくさいガキ。
流石に聖人君子でも血管が浮くに違いない。
「ご……ごめんなさい……」
俺の苦悩をわかってくれたのか、その少女は謝りながらやっとのことで再び顔を出した。
「なぁ、説明してくれ。ここはどこだ?俺はどうなる?」
「んと……えっと……なんだっけ?」
ここまで引きずっておきながら少女はど忘れしたように首を傾げる。
思わず身体が疼いたがこの忌々しい模様のせいでどうにもならなかった。
「なぁ……なぁおい……」
もう言葉も出なかった。
「まってまって……んぅ……そう!そうそう!おもいだした!」
そう言って少女はぱっと明るく顔を上げた。
「おぉ!なんだ!」
「にへへぇ~なんでしょぉ~」
にんまり笑いながら質問し返してくる。
客観的に見たら微笑ましいものだが、今の俺は散々焦らされているためその笑顔は癒しではなく感情の許容量を超える引き金になってしまった。
「ぐぁぁあああぁぁあ!」
俺は叫ぶ。心の赴くままに叫ぶ。
がまんのげんかいだ!
「わぁっ!うそ!うそです!ごめんなさいっ!」
ぺこぺこと何度も頭を下げて少女はようやく祭壇の前に立った。
「はい、あたし、めがみです」
「は?」
手を挙げて突然妙な名乗りをするものだから面食らってしまった。
「あなたは、うまれかわります」
「……」
もはや言葉も出なかった。
「ふんすっ!」
意味のわからないことを言い放ったくせに、そいつは腰に手を当てたままやり切った顔をしている。
「ちょ、ちょっと待て。なに? 何の話?」
全く理解できないし脈絡が無さすぎる。なに、こいつが女神? なのはまぁどうでもいいけど、俺が生まれ変わる? 意味がわからない。
「んと……その……おにいちゃんね、しんじゃったの」
おずおずと俺を見上げながら少女はそう言う。
はいはい、そうなの。俺がねぇ……俺が? ここにこうしているのに?
「……もう付き合ってられねぇ」
俺は呆れ果てて座り込んでしまった。
「どしたの?つかれちゃった?」
少女が俺の顔を覗き込む。
「なぁ、ほんとに誰かいないか?お前じゃ話にならない……」
「むむむむぅ……ばかにしてぇ……あたしだってひとりでできるもん……」
そう言いながら少女は目に涙を浮かべた。
……もうダメだ。マジで話にならん。
「何ができるんだ?言ってくれよ。それがわかれば俺も納得できるからよ」
「それはですねぇ……えっと……」
大人気ないとは思いつつも、この苛立ちを抑えることもできなかった俺は、八つ当たりするように少女に正論を求める。
もちろんそれに答えられないのもわかっている。
少女はもじもじと指を突き合わせながら身体をくねらせる。これ以上の進展はなさそうだ。
「よし、わかった。うん。じゃあな」
そう言って俺はまた模様の上に大の字になると目を瞑った。
「え、え……えっと……なにしてるの……です……か……?」
「なにって、見りゃわかんだろ。寝る」
「だめだめ! だめだめだめ! だめなの!」
やかましく少女が喚く。
「お前が悪いんだろが! 話を進めないから!」
喚声に呼応するように俺も声を上げる。
「いってるじゃん! おにいちゃんはしんだの! うまれかわるのっ!」
「死んでねぇし! 何にだよっ!」
未だにさっきの話を引きずる少女に問うと、少女はにっと笑う。
「それをいまからきめるんだよ?」
「え……」
「このめがみさまがね!」
再び女神を自称した少女が得意げに胸を叩く。
「信じられねぇ。なんか証拠ないの?」
「それはぁ……えっとぉ……」
少女は服のポケットから何かを取り出した。
「わたくし、こーいうものです」
めがみと書かれた名刺を差し出された。
「もう帰れよ……」
「しょーこなのに!!」
手をぱたぱたさせて悔しがっているがどう考えてもおままごとの小道具にしか見えないそれを渡されても嘆息しか出ない。
「なんかこう……奇跡みたいなのないの?」
「あ、なぁんだ。そういうこと?さきにいってよぉ」
そう言った少女は手を差し出す。またなんか適当なことをするつもりか。
「ほぉい」
少女が差し出した手から光が溢れる。
「は……?」
「ほぉりぃらいと!」
彼女が開いた手から轟音とともに極太の光線が放たれる。
それは俺の真横を掠めて真後ろの石壁にぶち当たった。
直撃箇所は黒く焦げ付き煙が上がっている……。
「な……なんですか……それ……」
「しんじた?」
少女は今度こそ得意そうに腰に手を当てた。