夜の八時を過ぎても梢からの連絡はなく、笑理はソファーでじっと梢の帰宅を待ち続けていた。
残業で遅くなることは時々あったが、それでも梢は連絡をくれていただけに、一人の時間は妙に寂しさを倍増させている。このまま一人でイブを過ごすことになるのかと考えると、笑理は横になって思わず溜息が出てしまっていた。
真由美たちの手伝いを終えて、梢が文芸部の自分のデスクに戻ったとき、時間は既に十一時を回っていた。
「高梨部長、まだいらしたんですか?」
文芸部には、高梨が一人残っていた。
「執行役員になるまでにも、いろいろ準備とかがあってな」
「春からですもんね、いよいよ」
残業でやや疲れ切った顔をしていた高梨は、立ち上がると真剣な眼差しとなって、
「年明けに、西園寺久子の件で延期になった映画企画のことで、配給会社と打ち合わせをする予定なんだが、三田村理絵先生のデビュー作『指切りげんまん』の映画化を提案しようと思う」
梢は驚愕して、口をポカンと開けた。自作のメディアミックス化は笑理にとっても悲願であることは、梢もよく分かっていた。
「高梨部長……」
「俺と笑理の関係性がバレたら、職権乱用だって言われるかもしれないな。けど、あのデビュー作は本当に素晴らしいものだった。初の映画化になれば、話題にもなるだろう。父親として、あいつにはできるだけのことはしてやりたいんだ」
「喜びますよ。笑理の夢だったんです、自分の作品がメディアミックス化されるの」
「そうか……。この話、俺と山辺君から、笑理に対してのクリスマスプレゼントってことで本人に伝えてくれないか」
梢は笑顔で大きく頷いた。
「もちろんです」
「執行役員になったら、今以上に忙しくなる。春までに一度、笑理と一緒に飛騨へ行こうと思う」
「良いと思います。どんな事情であれ、高梨部長が笑理のお父さんということに変わりはありません。父娘なんですから」
「そうだな。さ、笑理と素敵なイブを過ごしてくれ」
仕事に追われていた梢は、壁に掛けられている時計を見て血の気が引いた。
「え……もうこんな時間……」
「今頃笑理が待ってるぞ。今日はもう帰りなさい」
「はい……お先に失礼します」
梢はデスク回りを慌てて片付け、コートを羽織りマフラーを巻くと、鞄を抱えて高梨に一礼をし、風のように走り去っていった。
夜の道は、今にも寒波到来となるほどひんやりとしていた。冷たい風を肌で感じながら、梢は白い息を吐いて家路を急いだ。