奥飛騨温泉郷は、平湯、福地、新平湯、栃尾、新穂高の五つの温泉地で形成されている。梢と笑理は『奥飛騨クマ牧場』からタクシーで十五分ほどの平湯に向かった。その一角に、昔ながらの二階建て木造建築で、しっかり手入れされた日本庭園が設えられている『奥飛騨温泉郷平湯・湯の宿むらた旅館』があった。
タクシーを降りてすぐ、梢は外観を物珍しく見上げて、
「ここが笑理のおばあちゃんの旅館」
「そうだよ」
笑理にとっては、母の納骨の際に宿泊して以来二年ぶりだが、長い年月来ていなかったような懐かしい気持ちであった。
梢と笑理がロビーへやってくると、フロントから黄土色の布地に写実的な草花模様という加賀友禅の着物の若い女性が姿を現した。
「笑理ッ」
「久しぶり、お姉ちゃん」
迎えたのは、笑理の三歳年上の姉、朱理であった。
「こちらが、お連れ様?」
「うん。私の担当をしてくれてる編集者の山辺梢ちゃん。高校の時のテニス部で後輩だった子なの」
「初めまして、山辺梢と言います」
「若女将で笑理の姉の朱理と言います。本日は遠いところお越しくださり、ありがとうございます。お疲れになりましたでしょう、早速お部屋にご案内いたします」
祖母を手伝っていることもあり、佇まいに品が出てきていると姉の姿を見て笑理は思った。
「おばあちゃんは?」
「今、組合の会議で出かけてて、夕方には戻ってくると思う。夕飯時になるとみんなバタバタしちゃうから、夜にでもゆっくり挨拶に行くわ」
「うん」
朱理に案内され、梢と笑理は二階にある客室の一室を案内された。広々とした十畳の和室で、広縁からは山の景色が一望できる造りである。
「良い部屋ですね」
「ありがとうございます」
「ねえお姉ちゃん。もう露天風呂って入れる?」
「うん、うちは十五時から夜中の十二時まで入れるの。朝は六時から入れるから朝風呂にも良いと思う」
朱理は改めて正座をして宿泊の案内を一通りすると、仕事に戻っていった。
「じゃあ梢、一緒にお風呂行こうか」
「うん」
浴衣に着替えた梢と笑理は、風呂場へと向かった。ちょうど他に客もおらず、内湯に入った後、頑丈な岩造りの露天風呂に浸かった。
「はあ、極楽だ!」
「良いところでしょ、ここ」
「また来ようね」
笑理はふと、梢を後ろから抱きしめた。
「今晩、ちゃんとおばあちゃんとお姉ちゃんに話すね」
「うん」
二人きりの空間になっているのを良いことに、笑理は優しく梢に口づけをした。