パーティー終了直前、高梨は幹部役員たちと相談の上、久子の作品の映画化発表の件を公表しないことを決定し、結果として社員たちに発表されたのは、高梨の文芸部担当執行役員就任の知らせのみにとどまった。
久子の一件は水面下で動いたため公になることはなかったが、高梨にとっては梢と笑理が交際していることが気がかりであった。事の経緯や詳細を二人から聞きたかったが、
「今日は帰ります。梢のケアしなきゃいけないので」
と、一足先に帰っていく際に笑理に言われ、梢も放心状態で会話もままならなかったので、妙なモヤモヤだけが残っていた。
マンションに帰宅した梢は、ソファーに小さく座り込んでいた。
「はい、レモンティー。気分が楽になるよ」
と、笑理が運んできてくれたが、梢にはまだ心の整理がつかず飲む気になれなかった。
梢の手首には久子に強く押さえつけられた跡が薄ら赤く残っており、また久子も相当な力を入れたのか爪がめり込んだ跡も微かに残っている。
「痛かったでしょ……」
じっと梢の手首の跡を見つめた笑理は、腕を持ち上げて顔に近づけると部位にそっと優しく口づけを何度も繰り返した。
「笑理……」
「こんなことしたところで、梢の心の傷は治らないのに……」
梢は手首にポタッと水が落ちる感触に気が付いた。よく見ると、目を潤ませた笑理の瞳から頬に伝った涙が、ポロポロと梢の手首に落ちている。
「ありがとう、助けに来てくれて。私、それだけで嬉しい」
「梢……」
「どうして、パーティーに来てくれたの?」
「梢のドレス姿、もっと見たいって思っちゃってね。でもまさか、あんなことに……」
そのまま笑理に密着するように抱きしめられた梢は、笑理から伝わるぬくもりを肌で感じていた。
「絶対離さない。梢は、私が守るから。これから先もずっと」
「ありがとう、笑理」
梢は安堵した途端、ドッと疲れが出て心の整理がついたのか、ようやく涙を流し始めた。笑理が微笑みながら涙をぬぐってくれると、そのままキスをされた。
今日ほど笑理の存在が欠かせないものと実感した日はないと、唇を重ねながら梢はふと思っていた。それと同時に、次出社したときに高梨に笑理との話をどう説明すべきか迷っていた。
二日の休みを経て復帰した梢は、高梨から久子の作品の映画化企画が白紙に戻ったことを聞かされた。また笑理とのことを改めて伝えようとしたが、プライベートなことだからという理由でそれ以上は何も聞いてこなかった。