梢が眠ったことを確認した笑理は、その夜リビングのソファーで横になった。梢に尋ねられて話してしまった家族との出来事が、笑理の脳裏をよぎっている。
物心ついた頃から、笑理や姉は両親の口論を耳にしていた。姉妹で同じ部屋を使っており、夜になるとほぼ毎日、階下から両親の声が聞こえ、口論があまりにも酷いときは姉が笑理の耳を塞いでくれた。
小学三年生の時に両親が離婚。笑理と姉は母親に引き取られ、この離婚に伴って小学校も隣町へ転校することに。
「この本、面白いから読んでごらん」
と、ある日たまたま姉に勧めてもらったのが、笑理にとって小説との出会いだった。以後、笑理はすっかり文学少女となり、小学校でも図書室で本をよく借りたほか、中学校や高校では図書委員を務めた。
母は二人の娘を育てるためにパートを掛け持ちし、三人で暮らすアパートにも寝に帰ってくるだけがほとんどだった。そのため笑理には、これといった家族の思い出がなかったのである。この環境下で、夕飯の支度をする姉の手伝いをしていくうちに笑理は料理を覚えた。姉が母方の実家の旅館を手伝うために高校卒業後に家を去った後は、母との二人暮らし。
だが長年の心労が重なり、笑理が高校進学後まもなくから体調を崩し、寝込む日々が続くことになる。笑理は昼食の弁当の支度を始め、掃除や洗濯など家事全般を母の代わりに行った。俗に言うヤングケアラーである。現実逃避をしたいときは小説を読むか、夢中になっていたテニス部での活動に没頭していた。
男子生徒から何度も告白をされたが、家庭の事情のこともあり、受け入れることは一度もなかった。また、家庭のことは同級生にも部活の部員たちにも決して公表することはなく、村田家の事情を把握していたのは担任ぐらいである。
大学に進学後、在学中に小説家デビューが決まった際には、母は自分事のように喜んでくれて、これからは母を喜ばせるために小説を書こうと決めたほどだ。母の静養のために空気の良い都心から離れたマンションに引っ越したが、今から二年前の春、母は膵臓癌が見つかり、余命半年と宣告。母の生命力もあってか、宣告された半年よりも二ヶ月長く生き続けた。
母は容態急変後にすぐに息を引き取り、祖母や姉が病院に駆けつけたが間に合わず、結果的として笑理一人が母を見送った。
「ごめんね……」
朦朧とする意識の中で母が呟いた最期の言葉が、今でも笑理の記憶にはっきりと残っている。