笑理とのデートから一ヶ月が経ち、梢は笑理とプライベートでも仕事の打ち合わせでも顔を合わせており、充実した日々を過ごしていた。
まもなくして、『ひかり書房』の文芸部では、部長である高梨を筆頭に、梢をはじめとした文芸部所属の編集スタッフが集まり、今後の出版企画についての会議が開かれた。梢は笑理や久子の他に数名の作家を担当に抱え、同僚たちもそれは同じであった。新人作家発掘のために企画した公募では数多くの応募があり、最終審査に残った一人が『ひかり書房』からデビューをすることが決まったが、こちらは高梨が担当をすることに。
出版会議は、企画を検討するところでもあり、当然内容次第では著名な作家でも企画が通らないことがある。梢の担当する作家は笑理や久子を含め、企画がすぐ通ったので問題なかったが、内心久子の一件については、上手く口裏を合わせて企画を通してくれた高梨に、梢は深く感謝をしていた。
その日から、梢は連日残業が続いていた。作家の書いた原稿を読んでいる間は、作品の世界観に浸るため、時間を忘れて没頭することが梢にはよくあった。
「やっぱり、まだ残業してたのか」
現実世界に戻った梢がハッと頭を上げると、コンビニの袋を持った高梨が立っていた。
「あ、すいません。原稿読んでたら、時間忘れちゃって」
「無理するなよ。良いものを作るために残業する気持ちは分かるが、こういうのは変に根詰めたらかえって悪循環になるかな」
高梨は自分のデスクに戻る途中、袋からおにぎりと栄養ドリンクを取り出し、梢はそれを受け取った。
「ほら、エネルギー補給しろ」
「ありがとうございます。高梨部長も残業ですか?」
「出版会議も無事に終わっただろ。新人の子の編集をするだけなら良いんだけど、管理職って言うのは、他にもいろいろ雑務があってね」
苦笑しながら、高梨はPC眼鏡をつけて、パソコンを起動させる。
「そんなに遅くまで残業して大丈夫なんですか?」
「家で待ってる家族もいないからな。今の俺には、仕事が家族なんだよ。まあ、その仕事で家族を壊しちゃったけどさ」
「壊した……?」
梢は訝しそうに尋ねた。
「山辺君も、俺の過去の話知ってるだろ」
高梨が同僚や作家と浮名を流したという噂は、梢も耳にしたことがある。
「まあ、噂で聞いたことは……」
「噂じゃないさ、あながち間違ってないから」
パソコンで作業をしたまま呟く高梨を見て、梢は返す言葉が何も見つからなかった。